#12 毒親育ちこそ、大切にすべきは信頼できる他人。
2020年9月10日。
前記事『上司に中絶手術を報告した結果。』のあと、友人や色々な人に話を聞いてもらって、気持ちを整理していた。
そのときにあらためて感じたのは、頼れるのは信頼できる他人。エネルギーを奪う毒親ではない。
信頼できる他人を大切にする理由
ひとことでまとめると、自分が心を許せる人だ。
定義は人によってそれぞれだ。
私は警戒心がやや強めで、心の内を話せる人はわずかしかいないので、自分の中で『この人は安全だ』とか『この人は裏切らないだろう』と思える人と定義している。
こう思うようになったのは、進学、就職、結婚(今はバツイチ)など、人生の重要な局面に立ったときに親から心無い言葉を浴びせられ続けた影響が残っているからだと思う。
世間からどう見られるかを気にして、学力はそこそこ良くて、社会に出ても一目置かれるような学校に行くこと、上場企業に就職すること、学歴が立派で収入が十分にある男性との結婚が、子供に希望し続けたことだ。
が、私は真逆の価値観だ。
学歴や勤務先がすばらしいとしても、人間性も立派とは限らない。上場企業でもネームバリューにすがって天狗になっている人もいる。収入は多いと安心できるのはあるが、共働きする前提の私には重要事項にはなってはいない。
今の世の中を考えても、学歴や勤務先のようなスペックよりも、壁にぶつかったときにどう考えてどんな行動をするのか、そこにその人のすべてが現れる。むしろ、そこだけで先の見えない将来を一緒に乗り越えられそうか、判断材料になると思っている。
だからこそ、世間体を並べて薄っぺらい言葉を並べる人よりも、自分の言葉で思いを表現して実行する人の方が信頼できる。付き合いの長さは関係ない。
毒親から逃げてもいい
血のつながりだけで言えば、毒親と言っても親には変わりないし、縁が簡単に切れることもない。
けど、価値観が違う以上、交わることは難しいだろう。交わろうと努力する選択もあるかもしれないけど、その努力をするくらいなら別の有益なものに対して努力したいし時間を続けたいとも思う。
人は、これを逃げだとか諦めるのが早いとか、ネガティブに受け止めるかもしれない。が、そこまでのエネルギーを使ってまで修復しなければならない関係なのか、問題なのか......今となってはそうとは思えない。
『家族だから......』という理由で、一緒にいなければならないとか、理解し合わなければならないとか、義務的なことはない。家族という枠組みがあったとしても、拘束力が強いわけでもない。『ダメだ......』と思ったなら、逃げてもいい。
ときに自己防衛しよう。
こちらが歩み寄ったとしても、毒親が歩み寄るとは限らない。逆に攻撃をされる可能性は十分にあるし、それであなた自身が傷つく場合もある。傷ついたぶん、それを克服するのには時間がかかる。
だからこそ、信頼できる他人を増やす。
他人だって人間だし、時に裏切りとかトラブルになる可能性もあるけど、信頼関係を築いているならトラブルも最小限で済む。問題を解決するスピードもかなり違う。
くよくよすることはあるけど、くよくよしてばっかりもいられない。
まずはダメージを最小限に減らすこと。人は経験によって耐性がついて、気持ちに余裕が持てるようになる。ダメージが大きくなるかもしれない問題は、このタイミングなのだ。