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#22 ベビたんに対するパートナーとの気持ちの差。

2020年10月15日。

昨日、久しぶりにパートナーと電話した。
LINEは毎日してるけど、仕事の都合で休みがなかなか合わないので、電話は貴重なコミュニケーションツールのひとつだ。

そのとき、ベビたんに対する思いが、パートナーと私とで差があるんじゃないか?と感じることがあったので、まとめてみようと思う。

ベビたんに対する私の思い

ただただ、『つわりよ、終われ』。これに尽きる。

相変わらず、つわりが続いている。
今14週目。世間的にはあと2週間くらいで終わるだろうものが、ラストスパート......をかけているのか日に日に悪化してるのだ。

もちろん、体調が落ち着いているときもあるし、そういうときは外出も食事もおうち時間も楽しめるが、ちょっとでも『ヤバい、これは激しいのが来る』と予感したら、数日はぐったり。しんどくて身動きが取れず、横になって落ち着くまで耐える。

生物学上、妊娠したらつわりが起きるのは仕方がないものとは理解してるし、落ち着くまでの辛抱だともわかる。が、つわりが始まった頃は余裕だと感じていただけに、ここ最近の症状は予想外。『こんなはずじゃなかった』というのが本音にある。

検診に行って、ベビたんの成長がわかるのは不思議な気持ちになる。
『生命はすごい』と関心してるけど、自分の身体で人体実験をしてる研究者の気持ちに近い。理科の実験で、ものの変化を観察してる感覚なのだ。

『まぁ、こんなに成長してくれて!』
......というような、生まれてくる子供を愛おしそうに見守るママの気持ちとはだいぶ違う。

ベビたんに対するパートナーの思い

対して、パートナーは『感動して泣きそう』なんだそうだ。

仕事の都合はもちろん、コロナの影響で病院への付き添いはNGなので、状況報告のためにエコー写真を送っているんだけど、直近のエコー写真で顔がわかったからか、より実感が増した......ようだ。

これが親になる人の素直な感情なんだろうなぁ〜と思ったりする。私の感情が淡白なような気もして、『今の感情のまま、出産しても大丈夫なんだろうか?』と、自問自答するきっかけにもなっている。

いつになったら親の実感はわくのか

妊娠して、出産すると決めた以上、出産したあかつきには親という立場になり、育児をすることになる。が、その実感はいつやって来るのか、まだわからずにいる。

予期せぬ妊娠・出産だったからだろうか。人生の選択肢になかったことを選んでいて、探究心の方が勝ってしまっているのか。

それとも、毒親の影響だろうか。経済的に満たされてはいたものの、精神的なフォローは皆無で批判・避難・抑圧・服従が日常。親と呼べる人との会話がなかったから、親子関係がどういうももなのかよくわかっていないのもある。

無事に産まれたら実感わくのかなぁ。
今は、少なくとも自分が親にされて嫌だと思ったことをやらない、子供に同じ思いをさせない......そのためにできることをやっている。といっても、子育てに関する本とかネットの記事を読んだりするくらい。実際とは違うことも理解している。

それでも、今できることをがんばる、そのスタンスは続けていこうと思ってる。そのすべてが親としての自覚につながるとは限らない。けど、学んだことはどこかで活かせるタイミングがある。ただただ今はそれを期待して、毎日を全力で生きるのみ。

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