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私は、在宅医療が好き。

現在絶賛、在宅介護中である私の家族の話。

昨年末、12月31日祖母が自宅で転倒した。
診断名は、#右大腿骨転子部骨折


その時のレントゲン

エンダーピンを挿入する手術を受け、急性期病院からリハ病院に転院し、入院2.5ヶ月で在宅に帰ってきた。

祖母には持病がある。
以前の記事を読んでいただければ…(有料以降だけど)

治すとは、元に戻すことなのか

そもそも、祖母には重度心疾患があり、障害者手帳1級を所持するほど。
いつどうなってもおかしくなく、本人は故意的な延命は望まないとのことで、以前から在宅医療をお願いしていた。

そんな祖母が自宅で転倒した時、身動きが取れなくなり、家族の誰しもに「救急車」という言葉がよぎった。
だけど、私の頭は、「折れてるから、とりあえず往診呼ぼ、折れてても保存治療の余地あるかな〜」と思っていた。

きっとそれは、今までの在宅医療に従事した経験の中で、
骨折を保存した人も見てきたし、
早急に病院に行って手術してすぐ帰ってきて訪問看護特別指示で回復した人も見てきたし、
大腿骨骨折で入院したのに誤嚥性肺炎で亡くなった人
も見てきた。

いろんな選択肢がある中で、病院嫌いな祖母だから、手術は選ばないと思った。

大晦日に救急車なんて呼んだらどこに運ばれるかわからない。だからとにかく落ち着いて。

年末年始の予定を全てキャンセルし、身動きの取れない祖母を徹底的に看続けた。
痛い、触るな、やめろと言われようが、言ってそのあと安楽な体勢まで持ってけるなら、いくらでも言っていいよ、けど頑張って。って思いで。

折れた右足。元旦から福祉用具さんを呼んで、3モーターベッドと自動体位交換付きマットレスを入れてもらった。

最終決断は、今まで通っていた総合病院での手術。
祖母の「治してほしい。」の言葉が決め手になった。

医師からの話では、日常生活レベルはひとつ落ちます。と。

つまり、病院に行けば治る!と思っている祖母にとって、日常生活レベルが落ちることは想定外。

折れてしまった骨を元通りくっつけること自体がまず不可能であり、回復には多くの時間を要することになる。

大体の人は1週間も寝たきり(食事排泄もベット上)すれば、歩くのは困難になる。
それが高齢者になろうものなら、3日も寝たきりで歩けなくなる。

「入院して手術する」とは、つまり少しの間安静を強いられ、危険防止装置等で自らの意思では動けなくなる。

骨折の治療に来て、もう一度歩くを目指してきたはずが、寝たきりの筋力低下で歩けなくなる。と言うリスクもある。と言うことを忘れてはならない。

つながりが多いほど人は元気になる

祖母の入院中、なんともネックになったのは
コロナ禍での面会制限。

辛うじて、自分で電話ができる能力はあったので、時々電話をかけてきては、愚痴をこぼしていた。

「ご飯が美味しくない」

たまたま私の高校の同期が、入院した病棟で看護師をしてて、連絡をもらった。
入院当初はとても愛想の良いおばあちゃんだったらしい。
祖母はとても愛想がいい。心を開くまでに時間がかかりその間は感情を押し殺して我慢するタイプ。だから、愛想が良く見える。

そんな祖母も、急性期病院からリハ病院に移ると先の見えないリハビリ生活に嫌気がさして行った。

退院できる日も伝えられず
期間も分からず
どんな状態なら帰れるかも予測できず
ただただ苦しい毎日だっただろう。
家族も会いに行けない。
ただ1人孤独に頑張るしかない。
いつのまにか電話が来なくなった。

付けられた病名は、#うつ病
抗うつ薬も始まってた。

本当にそうなのか?
ただのホームシックじゃないのか?
孤独が引き起こすうつ病で薬を盛られるなんて正直許せない。(病院で働く人には反感を買うだろう)

もう家帰ろうよ。と言ってしまった。


日常を取り戻すこと


そうして祖母は退院して来た。
驚いたことに、2.5ヶ月の入院で、体重が10kg落ちていた。
病院食はまずい。食べると吐くと言い、ほぼ食べ物を口にしていなかった。

退院おめでとう!と好きなものだけを出したら全て完食。


入院前は、杖と押し車でなんとか歩いていたけど、車椅子生活になった。

祖母の気持ちは歩きたい。
トイレには自分で行きたい。

そんな思いがあるからこそ、根性でトイレまで歩いた。その姿には意地が見えた。

これがリハビリの本質だと思う。

トイレに行くための筋トレをするのか、
トイレに行きながら筋トレをするのか、


この話をすると、前職の理事長の話が頭をよぎる。

確かに筋トレや訓練はすごく大事。
だけど、それが何のためなのかわかってない筋トレだと本当に意味がない。
それがよーくわかる事例だった。

生きることって疲れる

帰って来て、半月が経とうとしている。

社交的ではない祖母は、もう一度通ってたデイに通おうとするタイミングを見ている。

入院前、デイに通い始めて慣れて楽しくなるまでに3ヶ月の時間を要した。
入院期間通えなかったから、気持ちは振り出しに戻っている。

「みんなが待ってるから行かなきゃね〜でもね〜」

そりゃ、2.5ヶ月もワイワイ喋ってなけりゃ
疲れるし、面倒だし、行きたくもないよ。

それにマウントする父(祖母の実息子)

「おばあさん疲れるもんな、1時間で帰ってこおし。」

いやいやいや!違うねん!!!!
頑張って行って喋って来ないと、家で寝てばっかいたら、孤独になって死んじゃうよ!!!

私論文で見たもん。早死の要因は孤独だって!
どうもそれが伝わらない。

家にいたらトイレにしか歩かない、下手したら父はトイレまでも車椅子で誘導する。それ以外はベッドで寝てる。

本当にそれでいいのだろうか。

目が覚めて、ベッドから起き上がって、
服を選んで、身支度をして、
朝ごはんを食べて、出かける
行った先では、たくさん話をして、
みんなでご飯を食べて、休憩をして
誰かに身を委ねて、頼って
帰って来て、パジャマに着替えて、
今日も楽しかったって思えて、
布団に入って、あー疲れた。って言う

そんな1日の方がよほど充実してて心地が良いと思う。
「疲れる」を避ける人生って、廃人を形成していくと思っている。
何事もやらなきゃ疲れないんだから、どこまでやると疲れるで、どこから先が疲れすぎるのかそれを見るのもとっても大事だと思う。それは何歳になっても、、

こう言うケースよくあるのだけど、今まで私はどう家族をエンパワメントして来たのか、
わからなくなっている。

医療従事者の第三者って、結構投げやりなところあるけど、意外と影響力のるから、それがめちゃくちゃ欲しい。

いい笑顔でがんばろーっと

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