理念と実践(5)無血革命の理念(1)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第22回
広宣流布の思想
池田は「創価学会は広宣流布という偉大な使命をおびた団体である」(講演)と定義している。といっても、創価学会外の人たちにはわかりにくいと思われるので、若干説明を要するだろう 。
広宣流布とは、文字通り日蓮正宗を広く流布することだが、同時にこの場合、仏法を甚盤として、個人の幸福、社会の繁栄、国家の安泰、世界の平和を築いていく方程式を意味する言葉として使われている 。
つまり、個人の幸福は、日蓮の思想哲学を学び、実践して、一日一日を喜びに生きる絶対的幸福を得ることだが、それだけでは十分でない。社会人として生きる以上、社会の繁栄の実現をはかっていかなければならない。その一環として、人間尊重を第一に、大衆福祉を目指す政治を行なうことであり、これが政治進出への発想につながっている。
あらゆる社会で、この目的が達成されれば、豊かで戦争のない平和な世界が実現する。いいかえれば、個人の内面的幸福と外面的幸福がともに充足されるなかで、真の幸福があるという考えである。
ひるがえってみれば、これまでの人間社会は個人の間も、国家間もエゴイズムを基礎とする力関係がすべてを支配してきた。封建時代の剣や刀が、今も核やミサイルに姿を変えただけで、力関係の原理はいささかも変わっていない。
平和への運動
特定の国家のエゴイズムのために、他国の民族を大量に 殺害することすら、正当化されるのが現実の世界である。そのなかで、いままでの宗教が人間社会の平和にはたしてきた役割はあまりにも淋しい。たかだか個人生活にまつわる道徳の支えにはなり得ても、戦争、植民地支配、人種差別など、人間の尊厳をおかす大きな罪悪に対してほとんど無力であった。
というより、権力者によってそうした罪悪に利用されてきた側面があることも否定できない。だが、池田は平和に徹する日蓮の哲学、思想を流布することで、平和な世界を実現できると確信する。その道がいかに遠くとも、一歩一歩近づいていく過程が、彼の指揮する思想運動なのである。だから池田は個人の幸福はそれとして、さらに高い理想社会の実現に向かって使命をはたすところに、真の幸福があることを教えるのである。
最近、地方指導で、一女性会員が、個人的悩みを訴えようとしたとき、
「 悩みは一生ある。悩みがあるから人間なのです。悩みと対決し、これを克服するところに煩悩即菩提がある。最高の悩みは広宣流布を達成しようという悩みだ。そういう大きな悩みに立っていったとき、個人的な悩みも 一切解決できるのです」とさとしたのもそれだ。
平和と人間革命
この運動を池田は,革命あるいは戦いと呼んでいる。その革命は資本主義社会のいわば弱肉強食の論理でもなければ、社会主義社会の階級闘争の論理でもない。それに代わる調和と信頼の論理であり、実践面でいえば、折伏による無血革命方式である。池田のこれまでの発言も、その点で一貰しているといってよい。
「折伏行は、日蓮大聖人の民衆救済の大精神であり、その御遺命をうけた創価学会の生命であり、骨髄である」(御義口伝講義)
「われらの革命は、人間革命を根本とし、政治革命、経済革命、文化革命など、あらゆる革命を推し進めていく慈悲と道理の無血革命である」(大白蓮華 巻頭頁)
「詮ずるところ、世界平和といっても、個人における人間革命から始まる。個人の革命が家庭を革命し、国家を革命し、ひいては世界の宿命も変えていく。この人間革命が創価学会の真髄であり、千里の道も一歩より、大海の水も一滴よりなのです」(講演)
「人間革命とはなにか、まず自己の強く正しい人生観に生きることであり、社会人として立派な社会性を身に つけて人生を送り道理正しく、礼儀正しく円満な常識人になることである」(講演)
「王仏冥合とは、仏法の哲理と慈悲を根本精神とし、具体的には大衆福祉を根本として政治を行うことである」(政治と宗教)
「世界広布を達成することが、この地上より悲惨の二字を抹殺する唯一の道である 」(御義口伝講義)