七百万世帯をつなぐ師弟のきずな(2)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第4回
打てば響く
これまで政治記者として、選挙の際など、首相や政党の領袖の遊説にも同行取材した経験から、一般庶民の反応を池田に対する学会員のそれと比較して連想してみたこともある 。もちろん、この二つの場合を同列に考えるわけにはいかない。政治家の場合は、ネームパリューのある大物への物珍しさのような反応であるのに対し、創価学会員の池田に対する反応は、全く異質だからである。
東京では、撮影会を前に「あした、先生とお目にかかれるかと思うと、四、五日前から嬉しくてあまり眠れないぐらいです」と目を輝かす会員。
「先生が、あれほど私たちのことを思ってくださっているのに、万分の一も報いられないで、気があせるばかりです」と会合に、布教に走りまわる婦人。みんな、どの顔も生き生きとしているのである 。
大阪では、池田の車が信号で停止したとき、たまたま近くの歩道を通行中の女性会員が池田に気づいた。とみると、あっという間に車道に走り出し、一直線に車の窓にとびついてきたこともあった。後続車が走って来る危険に、池田はあわてて「危ないから早くもどりなさい」ときびしい口調で叱った。彼女たちが歩道にもどると、かたわらの私に「これだから危なくて仕方がないんです」といって息をついた。
学会員信仰の中心地である日蓮正宗総本山富士大石寺に同行した際、境内を歩く池田の姿を認めた百人近い青年学会員たちが“先生!”と口々に叫びながら、怒涛のように押し寄せ、近くにいた私は人波に巻き込まれて、脱出するのに苦労したこともある。
こういう調子だから、池田がどこそこへ旅行するなどということがあらかじめ、その地方の全学会員に知れわたれば、さしずめ行く先々で大変な騒ぎになるに違いない。所によってはオーバーでなく交通麻痺すら起こりかねないのである。だから池田は旅行中も汽車の中など,時折濃いサングラスをかけるなどして、なるべく目立たないよう配慮しているが、それでも学会員に見つかることがよくある。「デパートヘ買物に出かけることもできません」と苦笑してみせたこともあった。
はじめ池田の旅行日程が聖教新聞に一切予告されないことについて、身辺警戒のためと考えたこともあったが、実際にはむしろ、そうした場合に起こりがちな事故を避ける配慮ではないかと思っている 。池田が、A地方を離れ,B地に移ってから、聖教新聞にA地での指導会から講演などの模様が盛大に報じられるのも,これを裏書きするものだろう。
会長中心の活動
要するに、創価学会は池田を中心に動き、全学会員の気持は会長池田一人に集中されているといっても過言ではない。折伏に奮い立つのも、池田の指導を忠実に実践するためともいえるし、文化祭を成功させるために夏のさ中に二か月間も練習に打ち込むのも、ひたすら池田に見てもらいたい、という気持からなのである 。
池田をめぐるこのような雰囲気は、日本人会員に限られたものでなく、言葉の通じない外国人の場合すら、同じような光景がみられる。宗教を基盤とした心のきずなで結ばれているからである。もっとも、率直なところ私は、学会員が池田と会ったときに起こすこうした極度の感動を、そのまま自分のものとして感ずることはできない。だから、他の人たちが納得できるように説明するのは、いっそうむずかしい。しかし、あえていうなら、心の底から池田に会いたい、会いたいと思っていた一念が、現実のものとなったときの感動、すなわち池田と学会員の間に起こる、目に見えない生命の感応現象とでもいうのだろうか。
私はまた、これまでさまざまな機会に、とくに一般の会員に対して、池田をどう考えているかについて、いろいろな角度から質問をしてきた。返事は異口同音「立派な人です」「偉大な指導者だ」に尽きる。ここで注目を引くのは、これらの人たちが、池田を単に、一創価学会のリーダーのスケールでなく、全社会の指導者として偉大さを確信し、誇りとしていることである。
「池田会長は、日本の指導者であり、世界の指導者です。そうした会長を師にもった私たちは幸せです」本土の南端、奄美大島の若い女性会員が私の問いに答えた言葉だった。