「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第2回 ジャーナリストの責務として池田大作氏を語る(2)
いうまでもなく、創価学会における池田大作氏の指導性は確立されている。こうした観点から「池田大作」の人間像、そしてこの指導者の思想、七百万世帯の学会員に対する指導の中味に焦点をあてることが必要ではないかと思う。
もちろん、私自身、池田氏について特別よく知っているというほどうぬぼれてはいない 。それに第一、私は創価学会員ではないし、いかなる宗教も信仰したことがないから、その理解に限界があることも心得ているつもりである 。
だが、少なくとも私は数年来創価学会の実態を自分の目と耳と肌で確かめ、じかに池田氏の考えに 触れてきた点で、部外者としては比較的正しい認識を得ることができたと思っている 。
そこには 、私の目に映った限りの創価学会員のだれもが喜々として信心にはげんでいる事実,また、劣等感に悩む青年が澄刺とした前向きな人間に生まれ変わり、家庭に閉じこもっていた主婦が、社会に目をひらいている模様、そして私の知る学会員は誰もがパイタリティに富んでいることなどがあった 。
池田氏と学会員との心のきずなは、一般の人たちの想像を越えるものがあり、それが創価学会の鉄の団結を形づくっている 。
そこには、何かがある 。
あらゆる点で、この組織のカギを握る池田氏を通じて、その何かにできるだけ迫ってみたい。これが本書の目的でもある 。
私の知る池田氏は、実に魅力的な人物である。数百万という人たちの心と膨け合い、血縁もおよばない親愛と尊敬をかち得ている実態、そして、思想の混乱状態にある今日、抵抗期の純粋な青年や、三百万といわれる女性を社会的活動にリードしている指導者は歴史上にも稀ではないかと思う。おそらく、池田氏なくしては今日の創価学会はあるまい。いかに日蓮正宗の理念がすぐれたものとしてでもある 。
この点は、その理念の唯一絶対性を確信する学会員にも異論のないところだろう。それほど、創価学会における池田氏の存在は大きい。
一般に指導的立場にある者が半数の部下を掌握できれば管理職としては合格といってよいだろう。普通僅か数人の部下ですら、心からの信頼を得ることはなかなかむずかしいものである。その点だけをみても池田氏には常識的なモノサシではかれないスケールがある 。それを宗教団体の特殊性とかたづける人もいるが、ゴマンとある宗教団体にかつて同じような現象が起きたことがあるだろうか。そう単純に割切れるものではあるまい。
池田氏のリーダーシップは“会長”というそのポストに由来するものでは決してない。
二万人近い大幹部を前に、演説する池田氏よりも、むしろ地方の指導で一般会員とひざをつき合わせている姿、会長という肩書をとった、生の人間池田氏に私は、より大きなものが感じられた。やはり 人間の問題なのである 。
世に革命を目指す運動家は多いが、そのいずれも体制の変革だけが目的である。一方、池田氏の志向する革命は社会を構成する一人一人の人間を根底から改革していこうという雄大なスケールの革命である 。
はたして、そうした池田氏を十分にいいあらわすことができるかどうか。一般の人たちに馴染みのない用語はつとめて避け、私が知り得た限りをできるだけ平易に 記述することにした 。
なお、文中敬称を略させていただいた。また、多くの著作から引用させていただいた 。
昭和四十四年八月
小林 正巳