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ヤル気だけは整っている(無理をするとは試験勉強みたいなもの)
出だしからひとつ補足を。わたしの言っている試験勉強というのは、試験が近づいたら一気にわっとする勉強の事で、日々コツコツとやり「試験勉強なんて特別関係ない」という方はどうかスルーでお願いします。
生きているとどうしても無理をしないといけない時がある。本来なら無理をしない方が身体の為にも気持ち的にも良いんだけど、「ここは頑張り時」ってあるんじゃないですか、そういう時に「無理しないでね」って言われると、なんだかモヤってしまう。
言葉とは不思議なもので、使い方次第で人をどうにでも動かせる。宿題とか、あとも少しの用事とか、仕事行くかとか、そんな感じ。
それを「無理しないでね」と言われるとなんかこう、やる気が削がれるというか余計気が重くなってしまう。人のせいにしちゃいけないのは分かるが、言葉と言うのはたった一言でも重いものだなぁと最近実感している。
人は愚痴っちゃう訳ですよ、スタートラインに立つために。「あーぁ、(しゃーない)やるか」と。こう呟くだけでなんかこう、気持ちが軽くなるというか不思議と『よしやるか』という気になる。
それを間に受けて「無理するな」を言わないで欲しい。自分でも変なこと言ってるのはよくよく分かっています。人の行為を無にするもんじゃないよと。しかし、こうやって書かないとやってられない。今、そんな事が起こっています。
テスト前日なのに絶望的な時は詰め込むだけ詰めこんで、1日くらい寝なくてもいいやってハラが決まりますよね。まぁ大体寝ちゃうけど。
やっとヤル気を出した子供に、今更気付いたのかと歯軋りする事はあっても「身体に悪いから無理しないでね」「明日はテストなんだからぐっすり寝ましょうね」なんて言う親はまずいない。
それが仕事やプライベートとなると何故か「無理しないでね」となる。大人になってからの無理と言うのは一夜漬けの試験勉強のようなもの。今やらんでいつやる、死んだ気でやって来いと荒々しく送り出して貰う、そしてお疲れ!と称えて貰った方がよっぽど有り難い。
お願いだからわたしに勉強させて、そしてテストを受けさせて、結果はどうでもいいから。
#エッセイ #ヤル気 #無理