お辞儀の意味
ある授業終わり、ポルトガル人の友達に「君がよくお辞儀をしているから、YouTubeでお辞儀の解説動画を見たよ、感謝を示していたんだね」と言われてハッとした。
そうか、伝わっていなかったのか。
自分ではそんなにお辞儀をしているつもりはなかったけど、彼の言葉をきっかけに自分の立ち振る舞いに意識を向けてみると、日常のたくさんの場面でお辞儀をしていることに気がついた。
横断歩道で車が停まってくれた時、バスで隣の人に肩がぶつかってしまった時、ふと誰かと目があった時、いつも口から言葉が出てくるよりも先に、自然と身体が動いている。無意識レベルでお辞儀をするぐらい、私は日本人だったらしい。
日本人はそれぞれの場面に合わせて頭を下げる角度や秒数を変えることで、感謝だけでなく、謝罪やちょっとした会釈など、色んな意味を込めてお辞儀をしている。この高度な行為を通じて互いに意思疎通ができる日本は、確かに紛れもなくハイコンテクストカルチャーの国だと思う。
しかし、お辞儀の文化を持たない他の国の人にとっては、きっとお辞儀に込められたニュアンスを正しく汲み取ることは難しいだろう。日本のそのような文化や裏にある精神を誇りに思いつつも、直接的な表現を好む文化の国にいる限り、きちんと言葉にして相手に想いを伝えたいと思う。
私はサッカー選手ではないが、ここ数日、周りのクロアチア人の友達がたくさん気遣いや励ましの言葉をくれる。
試合は日本語を勉強しているクロアチア人の学生たちと一緒にカフェで観戦したのだけれど、私が居心地悪くならないように終始たくさん気を遣ってくれているのが伝わってきて、彼らの優しさで少し泣きそうだった。
ある友達は昔日本人の友達にもらったという太宰府の「絶対合格」と書かれた大きな鉢巻を頭に巻いてくれていた。カフェが赤と白のチェック柄の応援グッズで埋め尽くされる中、そのような目立つものを身につけることはきっと勇気がいる行為だったに違いない。周りの目を気にしてか、トイレに行く度に鉢巻を外していたが、帰ってきたら律儀に締め直して、私に向かって微笑んでくれた。
本当にありがとう。今度彼らに会った時にもう一度感謝を伝えよう。