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有名になりたい 第10話
2006年の半ばから新宿紅布と下北沢DaisyBarにお世話になる事が増えた。
その辺りからオリジナルメンバーのぱらが復帰する。この辺りはひたすら都内で活動をしていた。
2007年は新宿紅布、下北沢Daisy Bar、下北沢屋根裏などが主な活動場所。自主企画も2本。7/19の下北沢Daisy Barでの企画ではペリカンオーバードライブとex.ポテトチップスのもりくんさんのバンド、パンティーハイスクールを招いて大々的にやった。アンコールではspeenaのVo.の方も飛び入りして大成功に終わる。集客も含めて勢いがあった。この頃からけんごさんは弾き語りやドリルカムズというバンドでも活動を始めた。少しずつ歯車がズレていったような気がする。あくまで自分からの視点だが、けんごさんはリーダーとして自分がメインのバンドをやりたがっていた。一度スタジオの前にリーダーを譲ってくれと言われたが、そこは断った。
その後も順風満帆にやって行けると思っていたけど、秋にけんごさんの脱退が決まった。バンドとしての状態は過去最高なくらい仕上がっていたし、お客さんも増えていた中での脱退宣言。
自分自身もプライベートがガタガタで、かなりキツかったのを覚えてる。
脱退ライブは11/16の新宿紅布だった。
Theシーチキンズはトリを任され、お客さんも何十人も集まってくれた。けんごさんは本当に愛されていたのだ。ライブはこの3人での完成形とも言えるくらいに出来上がったライブがやれた。仲違いをしたわけでも無く、方向が変わった円満な脱退だったのでひたすら良い夜だった。
次のベーシストもその頃には決まっていた。ジョン.T.龍彦という若者がそのまま加入して2008年のTheシーチキンズは動き出す。12月、1月と自身の弾き語りもやりつつバンドとしての復帰ライブが2/4に。しかし、ジョンくんは4月に抜ける。その後も一瞬コーヘイというベーシストと合わせたりもしたが、なかなか正式メンバーは決まらず。
今思えば、ペースが早すぎたのかもしれない。すぐにデモを作って、曲も沢山あった。
夏にはぱらと2人でライブをやったりもしつつ、スタジオはずっと入っていた。
そして遂に8月にKyonくんというベーシストが加入する。自分は25歳になっていた。
少しずつ無邪気な頃が終わっていく時期だった。それでも今振り返ると圧倒的に若い。