有名になりたい 第9話
本八幡サードステージにてJIG HEADとの対バン。
ミッシェルガンエレファントとスプリット盤を出したりしていたJIG HEADは元THE POGOのリョータさんの率いるガレージロックバンドだ。
東京事変が初ライブしたのもJIG HEADの企画。ミュージシャンズミュージシャンと評価の高いバンド。
この頃のTheシーチキンズは変則的なメンバー構成だった。
熊さんはサポートという形で続行、そしてドラムは元ベースのキャデラが加入という体制。熊さんが抜ける事になり、キャデラにお願いした形になる。そしてそれとは別に仕事が落ち着いたぱらとも2人でスタジオで遊んだりしていた。
そして本八幡サードステージでの共演。
Theシーチキンズはトップだったが、めちゃくちゃやった。リョータさんから褒められた。
「シーチキンズいいよ!!名前がいいよ!バンドをなめてると思ったよ」「ちゅーとはんぱなジャンプで、MCもちゅーとはんぱで、無理やりテンション上げててさぁ」「出てきていきなりテンション上げて空回りして」「あれは、狙ってやったらダメなんだ。千葉はキングブラザーズみたいなバンドばっかいてよー。あーゆーのはキングブラザーズとギターウルフまでだろ。シーチキンズはやろうと思ってんだけど出来てねーからいいんだ」「歌はけっこういいんだよ。今のシーンを考えたらもしかしたら売れるかもしれないなー。だけど、売れたらだめだな」「今日、シーチキンズ観れたから、よかったなー。まー途中までしか見てねーけどな」
と。めちゃくちゃ嬉しかった。
対バンに高速タートルというバンドがいた。彼らは同い年で、革ジャンを身に纏ったロックバンドだった。初めて共演した時はボロクソ言ったが、この日も一緒。
当然会話も無くライブが始まる。自分達の出番が終わり、高速タートルを観たがとてもかっこよくてコロリと評価を変える。この日の打ち上げで、初めて会話を交わす。ここから、少しずつ打ち解けてきたように思う。
リョータさんと。
冬にかけてキャデラがドラム、けんごさんがベースという体制で活動が続く。その頃の自分はキャスケットを被ってライブをやる時期だった。
この時期には下北沢屋根裏のオーディションを受け、無事に合格。都内は渋谷club CRAWL、下北沢屋根裏、小岩eM SEVENなどが主な拠点になる。
小岩でAMAZONというバンドと出会うのもこの頃。彼らも同い年だったが、ベースは現在ソロで活動している王舟、ドラムは昆虫キッズやスカートで活動している佐久間くんというメンバーだった。AMAZONは良いバンドだった。ギターボーカルの藤田くんとは未だに交友がある。
少しずつ人間関係が広がってきた時期だった。結局、この頃に仲良くなった人達と未だに交友がある。
本八幡でのライブが終わり、熊さんが一旦脱退。
そこからキャデラに何度か手伝って貰いつつ、こーちゃんという中村達也ばりのドラマを叩くドラマーと一度渋谷でライブをやる。結局その一度きりでこーちゃんは抜け、再び熊さんに頼む。12月にはTheシーチキンズとほねのスプリットアルバム"ほねつきチキン"をレコーディング。
Theシーチキンズの収録曲は"あの娘はいつも""Highteen Girl""トキメキ""ベッドでラララ"
またTheプッシーズのピーズナイトVol.3も開催される。オールナイトでここで初めて東高円寺UFO CLUBに出演。アンコールではニーネの大塚さんを交えてセッション。Theプッシーズはここで活動休止となる。
また、この頃はチラシを毎回手書きで書いていた。この写真は2006年の1月のチラシだ。
年が明けて2006年。
本八幡サードステージのオムニバスアルバムに参加する。レコーディングは西船橋でニートビーツやデキシードザエモンズのレコーディングエンジニアを務めたDewマキノさんに録音して貰う。
Bin Bin Record Vol.3、このアルバムは全国発売した。
Theシーチキンズは"あんたの心を俺にちょうだい""人間は腐る"を収録。
そして2月14日にギョガンレンズ、レディオキャロライン、VIOLETSのパッチさんと対バン。これはサードのブッキングだったMさんという方の企画だった。
この頃からTheシーチキンズは都内での活動が増えていく。