恋愛悲喜交交
あんたが恋愛のこと語るんかい! というつっこみ。はい、お受けいたしましょう。もし結婚を恋愛の最終形みたいに考えるとしたら、わたしは完全なる恋愛の敗者なのかもしれません。可哀想なことに、そう思っていないご本人。
片想いは面白い、両想いはつらい
好きな人ができると必死で「両想いになりたーい」とぎゃぎゃーやっていた中学生や高校生のころ。あれが恋愛でいちばん面白いことだったのかもしれないと思うのです、大人になってしまったら。恋を”胸キュン”と表現するけど、あの感覚はいつになっても残っているもののような気がします。おばあちゃんになっても、中学生のときのそれを脳じゃなくて心の奥で思い出せるんじゃないかとか。
けど、両想いはうれしい楽しい反面つらいこともいっぱいありますよね。せっかく想い合っているのになぜなんだろうか。
期待値の問題
人間関係をうまくやる方法として「相手に期待しない」ことだ、という話は何百回と聞いてきたという人も多いと思いますが、やっぱりそれに尽きるんだろうなぁと。両想いになった瞬間に「この人は自分のことを思ってくれているから」という勝手な甘えが生じて、友人や同僚とは違う、さらに上等な期待を持ってしまうのかもしれない。だから期待通りの反応がなかったときのつらさが増し増しになってしまう。わかってる、みんなそれはわかっている、けーど、恋愛をしたら思い通りの気持ちや行動を相手に求めてしまうのが人間のサガなのでしょうか。
わたしはしばらく日本とカンボジアで遠距離恋愛をしていたので、「期待してもどうにもならない」という物理的条件から、そういえばいつも心穏やかでいられました。もし、いつでも会えていたらイライラしていたのかもしれません。わたしを穏やかでいさせてくれた人に、いまでも大きく感謝しています。
不思議な本でした
三浦しをんさんの『ののはな通信』を読んだのです。結構ボリュームのある小説ですが、最初から最後まで、すべてが手紙やメールのやりとりのみで書かれている恋愛物語です。読んでいない方へネタバレになるので内容の詳細は書けませんが、心の描写だけで恋愛を表現している傑作だと思いました。不思議な本でしたけど。
高校生のころに両想いいだった主人公ふたりが、別れるまでは楽しいことじゃなくて苦しいことがいっぱいありました。その後お互い別の恋愛を経て、また再会(メールのやりとりだけなので会ってはいないけど)するわけですが、大人になってからのふたりのやりとりから”嫉妬”というものがもはや抜け落ちていることに気づきました。この小説の醍醐味は、ある一時代の恋愛模様を切り取って描くのではなく、大人になってからの展開まで続いていること。それをすべて往復書簡だけで書いてしまう三浦しをんさんは、すごい作家さんだな、とあらためて思います。とても好きです。
恋愛について何か言葉を落としたくなったのは、この小説を読んだからなのですが、人を好きという気持ちは自分を生かすひとつの動力となるので、死ぬまで大事にしたいと思いました。彼氏いないじゃんとか、そういうコメントはお受けいたしません、あしからず。片想いでも、いいんだからっ。いまに見ておれ。