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42年前の担任の先生からの手紙
忘れられない先生は? と聞かれたら迷わず答えるのが小学校1年・2年のときの担任の先生です。40年も前のことなのに、先生と過ごした時間はいまでも鮮明に思い出される不思議。ひょんなことから先生に手紙を出したのは4月のこと。今朝「お返事がきたよ」と実家の母からのLINEに小躍りしたわたし。
小学校の同級生、の娘さん、の卒業式、の写真
わたしが通った小学校は、新潟県のとある村(平成の大合併の波に飲まれて現在は市)の山間にある全校児童150人ほどの村立の小学校。同級生は20人。男子14人女子6人で6年間自由闊達に育ちました。大自然(しかない)のなかでのびのびと学んでいた、子どもにとってはすばらしい環境の学校だったなぁと回想し、廃校になってしまったことが残念でなりません。それはさておき、男子14人のうちの1人から、3月にLINEで連絡がありました。「うちの娘の担任が、どうやら俺たちの担任だったあの先生と同姓同名なんだが、卒業式で話すチャンスがあったら聞いてみる。」その結果は、ビンゴ。娘さんの卒業式の写真を送ってきてくれたのですが、先生の顔を、脳内で40年ほど若返らせてみたら、うん、間違いなく、先生でした。親子2代、同じ先生に担任されるって不思議なご縁の同級生、天晴れ!
42年前の教え子、手紙を書く
同級生曰く、先生も彼のことを覚えていたとのこと。そう聞いたらどうしても先生に手紙を書きたくなって、住所を所望してみたところ、娘さんに届いた年賀状から先生の住所を見つけてくれたのです。令和の時代でも教え子に年賀状を律儀に出す先生、ファインプレー! 手紙を書きはじめてみると、先生と過ごしたのは42年前のことなのに次から次へと先生に伝えたい言葉がむくむく湧いてくる不思議。片想いのラブレターのように一方的な思いを込めた3枚の便箋と、実家の母にアルバムから探して送ってもらった先生とクラスのみんなで撮った2年生のときの写真のコピーを封筒に入れて、4月のはじめにプノンペン中央郵便局のポストに投函しました。突然カンボジアから届いた郵便物は不審に思われないだろうか? 彼のことは覚えていてもわたしのことは覚えているだろうか? 20代だった先生が60代になるまでに何百人という子どもたちの担任をしてきただろうから忘れてしまっていても仕方ないよね、と、もしお返事が来なくてもがっかりしないように自分に言い聞かせたりもして。
先生に伝えたかったこと
先生がわたしの中で特別なのは、今のわたしの原点が先生との時間にあるからです。先生は毎日”日記を書く”という宿題をくれました。日記を提出すると先生が赤ペンで感想を書いてくれます。いいところを探してよく誉めてくれます。それがうれしくて毎日毎日日記を書きました。会話や擬音語を入れるともっと誉めてくれました。だからどんどん工夫して日記を書きました。入学してから2年間日記を書き続けたことで、いつのまにかわたしは作文が大好きな子どもになりました。先生とは2年生の途中で先生の産休でお別れになりましたが、そのあとも6年生まで日記は続け、小学校を卒業するときには数十冊にもなりました。先生とお別れしてから20年後、わたしはライターになりました。大好きな作文がお仕事になったのです。自分の考えを文に載せるという作業が人生を豊かにしてくれています。だから今のわたしの原点は先生との出会いに遡るのです。そのお礼をやっと伝えることができました。まずは同級生に感謝します。
実家に届いた先生の手紙
もしお返事が来なくても、先生にお礼を伝えることができたので満足と思いつつ、手紙を出したことを気にかけなくなったころ、先生からお返事が届いたのです。実家に届いたレターパックの中に、わたし宛の手紙とハンカチの贈り物、そして丁寧にわたしの家族宛に手紙をわたしに渡してくれというお願いのお手紙まで。母に開封してもらい手紙を画像で送ってもらいました。先生の「温かい思い出としてはっきり覚えています」という文字に涙がにじみました。わたしだけでなく、女子6人の名前がぜんぶ漢字で書かれていました。仲がよかった子とわたしが配り物係だったとありました。うれしい手紙のなかにあった少しまぬけに響くクバリモノガカリに泣き笑いをしました。そして涙がデスクの上にぽたりと垂れたのはこんな文章があったからです。
「たまに、あの小学校付近を通ると、山のてっぺんや川のしぶきの中から、みんなの歓声が聞こえてきます。自由な時代でした。思い切り遊んでいました。・・・教師生活48年、1年生担任をしたのは、たった1回の、かわいいみなさんたちだけでしたよ。」
大きなランドセルに逆に背負われてかわいそうと言われていた小さな1年生だったわたしにはじめて勉強を教えてくれた先生が、先生にとってもわたしたちがはじめてでそして最後だったということを知って、特別なことだったと感じています。
先生と出会えた42年前に感謝しながら、電話番号のメモを同封してくれた先生に、同級生たちといつか会いに行こうと決めました。そのときは、1年生のときの日記帳を持参しようと思っています。