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望んでいて、できそうで、できないこと、にゃー

え? なんでそうしないの? と言われて、うん、やろうと思えばできるんだろうけど、なんかそうなっていないよね、ということってありませんか? わたしはあります。単なる努力と工夫不足なんでしょうけど。

猫が飼いたい

言い続けて十数年。「うるさいなぁ、もうさっさと飼えよ」と言われることのひとつ。猫は、小学校に上がったときからずっと飼っていたので”実家に帰ればいるもの”でした。自分で飼ったのは、20代後半。本当は飼っちゃいけないアパートでこっそり”まめし”という奇妙な名前の奇妙な性格の猫を飼っていたのです。が、当時は深夜まで残業がある悪名高いどブラック企業に勤めていたという災いがありまして。まめしがひとりぼっちの時間が長く、あまりにかわいそうなので実家に飼ってもらうことになったのです。そこから天国に行くまでの間、まめしは両親のもとで幸せな猫生を送ったのでした。あれは英断だったと胸を張っています。

猫を飼えないいいわけ

まめし以来、自分で猫を飼ったことがないのです。東京に住んでいたときは、ペット可のアパートは高いだのなんだのっていいわけをしておりました。プノンペンに来てからは、この街でペット不可物件を探す方が至難のワザなので、出張が多いからといいわけをしています。だけど、ここは猫の街。いたるところに勝手にかわいがれる猫がいて、にゃんたまのついた猫のお尻を追いかけ回したり、昼寝を見守ったりできているのです。毎日通っているオフィスの駐車場にもある猫一家が暮らしていて、子猫が生まれて成長していつの間にかいなくなって次にまた生まれて、なんてサマを観察する日々。だから、飼っていないけど、勝手に猫と暮らしているようなそんな感覚になっています。満足。

猫の日

2月22日の猫の日に寄せて、なんらか、猫のことを書いておこうと思ったのですが、今日にかぎって、いつでもそこらへんにいる猫らと、まったく接触がない。駐車場の猫一家も顔を出してくれないという始末。プノンペンの猫らはどこに行ってしまったんだろうか。インスタグラムを開けば猫だらけなのに。今日はバーチャルな猫で我慢してやるかってことで、猫の日に猫の話ができてとりあえずよかったです(何がよかったか不明ですが)。

望んでいて、できそうで、していないこと

猫を飼うってことのほかにもう一つあって、それが結婚。しようかな、するだろうね、いつかできるでしょ、なんて思っていて、していないこと。わたしの中で、猫を飼うことと結婚することは、同じカテゴリーに入っているようで。この先一生、猫を飼わないかもしれないし、結婚もしないかもしれない、それならそれでいいし、もし猫を飼えるなら結婚もするだろうし、結婚できるなら猫も飼うだろう、そう思っているのでした。

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