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民主主義にヒーローは必要なのか?

某大きな国の大統領が変わって、色々な変化が訪れようとしていますが。その国だけじゃなくて周りにも影響が生じはじめていますね。わたしには直接は関係ありませんが、色々なことを考えさせられたので、綴っておこうと思います。

USAIDはどうなるのかな

ちょうど出張で日本におります。朝NHKを見ていると、合衆国国際開発庁USAIDが閉鎖になっちゃうかも? というニュースが気になりました。国際援助には大きなお金が必要で、それを出したくないから止める、というのはその国の自由だとは思います。が、わたしが暮らしているカンボジアにも大きな支援が入っているんですよね。支援がなくなってもやって行けるならない方がいいというのが持論なのですが、はて、その組織で働いている人たちはどうなるんだろう? と思ったのです。さっそくカンボジアに連絡して、「どうなるんかい?」と聞いてみたところ、「いま活動停止中でスタッフたちは暇をしている」「もし閉鎖になったら、5000人くらいがカンボジアで失業するかもね」とのこと。影響あるじゃん、カンボジアにも。

自国ファーストの国の人は幸せなのか?

国として考えると途方もないので、わたしのような小物は家族と考えてみました。お父さんが家族が金銭的に得することだけを考え、親戚や隣近所、友人らを無視して様々な側面で家族ファーストを貫いた結果、お金はあるけどコミュニティから総スカンをくらってしまった。さて、その家の子どもたちは幸せだろうか? 資本主義の”資本”には、お金だけではなく、人間関係(関係資本)だったり、信頼関係(信頼資本)だったりという目に見えない資本もあります。それらは、家族だけでは持つことができない資本なのではないかと思うのです。話を途方もない国に戻すと、周りの国との良好な関係や世界での信頼がないと、結局その国の国民は幸せにはなれないのではないかと考えました。どうなのかしら?

ヒーローがいる国といない国

世界を見渡すと、ヒーロー(国の強い指導者をあえてそう呼ばせていただきます)がいる国といない国があります。カンボジアはいる国です。絶対的な首相がいます。日本はいない国だと思います。だらしないとかみっともないとか酷いことを書かれてしまう首相はいます。では、日本は不幸なのだろうか? と考えるとそうではない雰囲気があります。だって、首相が誰になったって、自国や世界を揺るがす大きな問題にはならないからです。

田坂広志さんの言葉

2019年3月(頃だったかな)田坂広志さんの講演会で必死にメモったものがあり、その手帳を見返してみました。そこにはこう書いてありました。
「英雄がいない国が不幸なのではない。英雄が必要な国が不幸なのだ。」
メモをとってから数年経って、久しぶりに目にしたとき、この言葉をよく理解できた気がしました。英雄が必要な国にならないような政策をもつ国こそ、国民が幸せを感じることができるんじゃないかなぁ、と。あら、じゃあ、日本は悪くないね、なんて楽天的なことを思ったりしておるのです。いつも外側から日本を見ている勝手なことを言っているおかっぱ的には。

国だけの話じゃなくて、職場も一緒だな〜と思ったので。わたしが働くプロジェクトでは、”ヒーローはいなくても全員が笑顔で頑張る!” を目指したいと思っています。


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