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週一教師ハ3学期が苦手デアル

外国で日本式の教育を受けられる場として、日本人学校が有名ですが、日本人補習授業校(通称補習校)というものもあります。子どもは通常インターナショナルスクール等に通い、週に1日程度通う学校です。世界の51カ国と1地域に237校あるんだそうです(2023年時点)。わたしが暮らすプノンペンにも補習校があります。

白ワインとともに志願

ひょんなことからわたしも補習校で教師をすることになり、はや4年目になります。補習校は土曜日しかないので、教師はみんな副業でやっています。平日働いて土曜も働いて偉い方々だなぁと思っていたわたしは、2019年から2021年半ばまで毎週末は大学院生をやっており週休ゼロ日生活を送っていました。その大学院の授業がちょうど修了するころ、補習校の役員をされている方お二人に、飲みに誘われました。カウンターで左右から挟まれて陽気に座っているうちに、白ワインにすっかり酔っ払い、補習校教師用の履歴書をダウンロードして(させられて?)いました。こうしてわたしは、補習校の教師になったのです。(面接などは受けましたよ。)補習校で働いてもまだ日曜日は休みだし、という余裕を持って。

週一教師の格闘

仕事が教育関係であること、教員免許を持っていること、塾や家庭教師のアルバイト経験があること、などによって、わたしは教師として受け入れられたわけですが、そもそも学校で子どもに教えたことなど、大学4年時の教育実習以来。しかもあれはお行儀のよい高校生。一方補習校でわたしが担任を任されたのは小学2年生ときたもんです。小2なる生き物に、最初どのように接したらよいかわからず、土曜の朝たった3時間の授業で、心と体のエネルギーすべてを奪われて帰宅する始末。ぜんぜん余裕なんてなし! いやぁ、これを毎日やっている世の中の教師の方々すべてを大尊敬しました。しかし、どの仕事でも一緒ですが、準備をしておけばある程度のことは対応できるということを思い出し、水曜の夜くらいからはいそいそと授業の準備(小2という小さき人々に対する想定問答も)という鎧を用意し、毎週土曜の決戦に臨みました。

愛すべき小さくてかっこいい人たち

まる1年担任をやったあと、教師という仕事にすっかり魅了された自分がいました。たった1年という年月の間の子どもたちの変化を目の当たりにして、今まで触れたことのない世界に触れてしまった! 人跡未踏の地を探検してしまった! そんな気持ちになりました。自分は1年どころか、5年も10年も、なんも変わらず生きているのに、子どもたちがほんの1年ぽっちでしっかりと成長しているのが、もう、何なんだ、この小さき人々は! ポテンシャルが半端なくてかっこいいなぁと思って、ひとりひとりが愛しくてしょうがなくなってしまいました。こんな愛しくてかっこいい存在たちに毎週会わせていただいて、ありがとう、神様。ああ、あのとき、白ワインをたんまり飲んでよかった、いまはそういう気持ちでいます。

ときにはコントロール不能、ときには懐柔

愛しくて、かわいいのですが、それはもちろんずっとではなく、笑。ひとりのふざけから始まって、教室の中が洗濯機のようにぐるぐるとふざけの渦に飲み込まれたり。モグラ叩きのように、あっちこっちが取っ替え引っ替え立ち上がったり、喧嘩がはじまって泣いたり。「わたしこのまま学級崩壊しちゃうの?」なんて思うこともありました。かと思えば、小さき人々同士が助け合ったり、教師のお手伝いを全力でやりたがったり、どうしてこんなにいい子たちなんだろうと感動させられることもあります。シールひとつのために、必死に漢字を覚えたり、計算問題を解いたり。そんなことなら、ダイソー中のシールを買ってこなくてはね、と思ったりしています。

3学期が寂しい

そして3学期は毎年やってきます。書き初めがあって、運動会があってと行事も目白押しなのでバタバタしているうちに、通知表を作成という時期がやってきます。そのころになると、妙に寂しくなるのです。通知表って、子どもひとりひとりのことをじっくり考えながら作るじゃないですか。次の学年に上がる準備をしてあげないといけないのだけれど、嗚呼、この子たちの担任をずっとしていたいなぁ、と毎年思うのです。だから、わたしは3学期が苦手。終業式や卒業式で体から声を出して元気に歌を歌う姿、学習発表会で照れながらいつもより小さい声で発表する姿、想像しながらいまからハンカチがスタンバイOKになってしまうのが、3学期の日々なのです。

そう思っていても終わりのときがあって、新しいはじまりがあります。子どもたちとの日々はわたしの生活にビリビリといい刺激をくれます。だから補習校の子どもたちとの出会いには、感謝しかないです。プノンペンで暮らさなかったら一生やらなかったことだろうし。


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