「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第21回で取り扱われている範囲で)
岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」という、この連載も書かせていただいています。
私の連載の内容につきましては、第17回の「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第17回で取り扱われている範囲で)」の冒頭で記しましたので繰り返しませんが、今回初めてお読み下さいます方は、第17回のその冒頭部分だけでもご覧いただければと思います。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n7b93dc212b5b
なお、以下に※で列挙しています凡例(はんれい)的なものは、その回から初めてお読み下さる方もおられると思いますので、毎回記させていただくようにしていますし、今後もそのようにします。ただ、英訳に関する項目だけ、第17回から「※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。」と変更しています。
※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。
※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。
※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。
※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。
※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。
※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。
※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。
※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。
※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。
ここでちょっとご紹介しておきますと、つい先頃、本田雅也先生による「変身」の対訳書が出ました。『対訳 ドイツ語で読む「変身」』(白水社)です。全文訳ではなく抜粋ですが。本田先生は翻訳を多数なさっておられることもあり、この「変身」もとてもお上手に訳しておられます。
※これはいわゆる修辞疑問文――疑問文にはなっていますが、相手に尋ねると言うよりも、答えが肯定になることを前提として、その答えの形で自分の言いたいことを強調している――ですから、訳も疑問文の形ではなくて、「それ以上の余裕は家族の誰にもなかったのだ」のような感じでも訳せますね。このように訳している訳も案外多いのではないかと私は思っていたのですが、意外なことに、邦訳では高橋訳・中井訳と、最新の本田訳くらいであり、英訳に至ってはゼロでした。
※それから、この文を原田訳のように、現在形で訳している訳がいくつかあります。いずれも、Gregor を「ぼく」とか「自分」などとは訳していませんから、これらの訳がここを体験話法と判断したと断言はできませんが、仮にそう判断したとして、この文はそれらの訳の判断のとおり、体験話法なのでしょうか。
なお、体験話法に関しての詳しいことは、次の題名の頭木さんのブログをご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました
それで、この文に関してですが、確かにグレーゴルにとっては深刻な状況を言っていますが、緊迫した状況とはまた違いますし、これはどちらかと言いますと作者自身の考えと判断した方がよいと私は思います。ですので、原文に忠実に疑問文として訳すのでしたら、辻訳のように過去形で訳してよいのではないかとも思います。ついでながら、過去の高橋訳では「...持ち合せている筈(はず)がないのだ」と体験話法風に訳していましたが、その後は上記のように修正されています。
ですが、ある文が体験話法か否かを決める絶対的な基準のようなものはありませんから、この文を体験話法として訳しても、間違いでは決してありません。
①この nun は「今や(過去形と厳密に合わせますと、そのときには)」くらいの意味でしょうが、どうしても訳出する必要まではないでしょうね。既訳でもあまり訳出はされておらず、邦訳では「いまは」「もう」、英訳では文字どおり now としているものが少しある程度です。
②この doch は、多くの諸訳では「結局」「結局は」「ついに」「とうとう」「after all」「at last」「eventually」「finally」「in the end」と訳しています。しかしながら、doch には実にいろいろな意味がありますが、このような意味は辞書には出ていません。ここでは、一部の邦訳で使っている「やはり」「やっぱり」という意味ではないかと私は思います。また、高安訳では意訳していますが、感じが出ていて上手だなと思いました。
①den Kopf umflatternd[em] を逐語訳的に訳しますと、「頭のまわりにひるがえっている」とか、「頭のまわりにひらひらしている」のようになりますが、これはいろいろに訳せますね。
邦訳では「白髪を振り乱しながら」という感じの訳が比較的多いですが、これも上手な訳ですね。また、「白い髪をばさばさに振りみだした(中井訳)」「頭のまわりに白い髪の毛をはためかせた(辻訳)」「白い髪をざんばらにふりみだした(片岡啓治訳)」「白髪頭(しらがあたま)を大童(おおわらわ)に振り乱した風体(ふうてい)で(川村二郎訳)」「白髪をきちんとまとめておらず、頭の回りでひらひらさせている(野村廣之訳)」「頭の周りにボサボサの白い髪をなびかせた(真鍋宏史訳)」のように、言葉を足している訳もあります。それから、「白髪がばさばさ(または、ぼさぼさ)した」という感じの訳もありますが、「ばさばさ」と「ぼさぼさ」は髪の毛が動いていることを意味しない場合もありますから、これらの語だけを使うのはちょっとと思います。
さらには、原文に忠実に訳しますと、「頭のまわりに」と入れなくていけませんが、これは言わなくてもわかりますから、あえて訳出しなくても構わないと思いますし、省いている訳も多いです。
英訳では、with white hair / fluttering(これが特に多いです)・flapping・floating・flying / around・round・about・all over / her head という形で訳しているものが非常に多いです。このパターン以外の訳では、with [bony features and] white hair, which stood up all around her head、with a great mane of white hair、with a head of flying white hair、with a shock of unruly white hair、with a fluttering mop of white hair、with an untidy mop of white hair、with tousled white hair、with unkempt white hair、with wild, white hair、with wispy white hair としています。
②この schwerst[e](schwer の最高級〔英文法の用語では「最上級」〕) を、「一番...」「最も...」と解している訳と、いわゆる絶対最高級として「とても...」「非常に...」という感じで解している訳とがあります。どちらが正しいとは断言できませんが、ここでは素直に前者と解してよいのではないかと私は思います。
ちなみに英訳では、hardest か heaviest としているものが大部分ですが、英語の絶対最上級は「most+形容詞の原級」という形になるのが普通ですので、ここでは「一番...」「最も...」と解していると思われます。
①の überglücklich と②の Unterhaltungen(ここでの意味は「娯楽」とか「楽しみ」でしょうね) は、邦訳でも英訳でも非常にいろいろに訳されています。意味の解釈が違っているわけではありませんが、せっかくですので見ておきましょう。
①邦訳では、「あんなによろこんで」「大喜びで」「喜んで」「いそいそと」「有頂天になって」「うっとりとした顔で」「嬉しがって」「楽しそうに」「得意になって」としています。中にはニュアンスがちょっと違うのではないかと思われる訳語もありますが。
英訳では、blissfully、cheerfully、joyously、overjoyed、proudly、with great delight、with such delight、with pleasure、with [so much] pride としているか、あるいは意訳して、enjoyed [wearing ...]、had been [very] fond of [wearing...]、had been overjoyed to [wear...]、had delighted in [wearing ...]、had loved to [wear...]、used to love [to wear ...、または wearing ...] としています。
②邦訳では、「遊び」「遊びごと」「楽しみ」「娯(たの)しみごと」「楽しい集まり」「たのしいつどい」「楽しみの集まり」「一家だんらんの集まり」「催し」「催しごと」「お出かけ」「お呼ばれ」「パーティ」「客を迎える」「遊びに行く」としています。
英訳では、ceremonies、company、conversation、entertain-ments、family gatherings、get-togethers、parties、social events、social occasions としているか、あるいは意訳して、when they went out for the evening としています。ついでながら、前置詞の bei は、英訳では、Unterhaltungs や Feierlichkeiten をどう訳すかにもよってきますが、at、during、for、on に分かれています。この点も興味深いのですが、ここでは意味の解釈が大きく分かれているわけではありませんし、長くなりますので、bei Unterhaltungen und Feierlichkeiten 全体の英訳の列挙は省略します。
①この größt[e] は、嘆く要因が今までにもいろいろ出てきていますから、「きわめて大きな」という感じの意味の絶対最高級ではなく、「最大の」という意味の、文字どおりの最高級と解してよいと私は思います。邦訳ではほぼすべてが後者のように訳しています。あとの Klage と合わせて「愚痴(ぐち)の行き着くはては」と意訳している訳が1つあり、訳としては上手ですが、原文の意味とはちょっと違ってきていますね。英訳でも、ほとんどが biggest か greatest としていますが、chief、main、major としている訳も1つずつあり、これらの訳者は絶対最高級と解したものと思われます。
②Klage の訳語は、「嘆き」が一番無難のように思われますが、「悩みの種」「頭痛の種」と訳している訳もいくつかあり、これらも上手な訳であると思います。英訳では、what they lamented most などと意訳しているものは別として、ほとんどがこの Klage を complaint と訳しており、ほかには lament(名詞) と lamentation と訳しているものが少しだけあります。
③ここには man が2箇所で出ていますが、このあとの文の man と合わせて、今回の付録で詳しく検討しています。ただし、邦訳では訳し方は分かれていませんので、英訳に関する検討になりますが。
①この wohl は、原田訳のとおり「よく」という感じの意味で、sah ... ein を強めています。邦訳では、「よく」以外に、「十分」「ちゃんと」「はっきり」としている訳もあります。また、川島隆訳では「目ざとく[見抜いていた]」としており、上手に訳していると思いました。英訳では、訳出していない訳も多いですが、訳出している訳では fully、perfectly well、quite well、well enough などとしています。
なお、この wohl には「たぶん、おそらく」という意味もあり、邦訳でも英訳でもこのように解しているものがわずかですがあります。wohl はこの意味でもしばしば使われますから、この解釈も絶対に間違いとは言い切れません。ですがドイツ語では、「知っている、わかっている、理解している」という意味の語と一緒に使われる wohl は、「よく」という感じの意味になるのが普通ですから、やはりこちらを採りたいと私は思います。
②この denn 以下の訳し方も、英訳に関してではありますが、今回の付録で詳しく検討しています。
それはそれとしまして、この部分を体験話法として訳している訳がいくつかあります。私はこれまでは、ここはそれほど差し迫った緊迫感のある箇所ではありませんので、体験話法とは判断しませんでした。しかしながら、今回改めて考えてみましたところ、確かに緊迫感は少ないですが、グレーゴルの気持ちを強く表している感じもしますので、体験話法と考えてもよいのではないかと思うようになりました。特にここの doch は、「でも...ではないか」という感じの意味で、相手に強く主張するために使われていると、私は思いましたので、体験話法と考えますとこの doch が生きてきます。もっとも、既訳でこの感じの意味を出している訳は1つしかなく、それも日本語として今一つでしたので、あえて私の方で試訳してみました。
ですが、前記のとおり、ある文が体験話法か否かを決める絶対的な基準のようなものはありませんから、私の考えが絶対に正しいということは勿論ありません。
この文は、それほどやさしくはありませんが、解釈が分かれてる箇所はないように思われますので、特には取り上げません。文法的に簡単にコメントしておきますと、was die Familie hauptsächlich vom Wohnungswechsel abhielt 全体(逐語訳的には、「家族をおもに移転から妨げていたものは」)がこの文の主語になっており、war が動詞で、die völlige Hoffnungslosigkeit と der Gedanke がその補語になっています。daran の dar の部分は、あとの daß 以下の文の内容を受けています。
ここは、まさに原田訳のとおりで、全く間違ってはいませんが、どのようなニュアンスで言っているのでしょうか。大部分の既訳では、このようにほぼ直訳していますが、中には訳者の解釈的なものが入っている訳もありますので、あげてみます。
どの訳が一番妥当なのか、あるいは、もっと良い訳があるのかといったことは、私も断定はできません。ただ、このあとの内容から考えますと、高本訳や川村訳のような肯定的なニュアンスではなく、他の訳のような暗いニュアンスで言っているのではないかと、私は感じます。
原田訳と他のいくつかの邦訳は、ここを現在形で訳しています。しかしながら、ここは深刻な状況ではありますが単なる描写であり、体験話法ではありませんので、これらの訳はここを歴史的現在――過去のことを現在形で表現することによって、そのことがあたかも今起きているかのようにし、生き生きとした感じを出す表現法――として訳したのではないかと思われます。
①holen の訳し方は実にさまざまですので、ここにあげてみます。すべて現在形で記します。また、邦訳で「...してやる」と訳しているものも多くありますが、これは除外して記します。「買ってくる」「買いにいく」「取ってくる」「取りにいく(取りに走る)」「取りよせる」「運ぶ」「はこんでいく」「もっていく」。英訳では fetch が多いですが、bring と buy もいくつかありますし、ほかには carry in(...を運びこむ)、get、go to look for、procure、take もあります。
この holte の解釈にも関係してきますが、この部分がどのような状況を言っているのかは、私もよくわかりません。職場で同僚に頼まれて昼食を買ってくることはよくあることですが、朝食はちょっとイメージしにくいですから。ドイツの事情に詳しい方にも伺ってみましたが、「少なくとも今の時代では、職場でほかの人のために朝食を調達するということは、あまりないと思う」とのことでした。もっとも、時代が今とは全然違いますので、この時代の状況などにお詳しく、はっきりおわかりの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
ただ、この時代にこのような習慣があったのかどうかは別としまして、holte の解釈に関しては、「(朝食がまだの人にどこかで)買ってきてあげた」という意味と考えるのが、一番自然ではないかと私は思います。もっとも、銀行内の食堂か何かで朝食を出していたのでしたら、話は別になってきますが。
なお、ここの klein[en] は、「身分が低い」という感じの意味と思われます。邦訳ではいろいろに訳されていますが、あまり良い言葉ではありませんので列挙は差し控え、「しがない」「下っ端の」が多いことだけ、記しておきます。英訳では minor としている訳が多いですが、文字どおり little や small(または smaller) としている訳や、humble、lesser、lowly、petty、junior(「年少の」という意味だから不適切ではと思いましたが、辞書によりますと「身分が低い」という意味もあるようです) としている訳もあります。
②Pult は台や机を意味しますので、ここでの Pult[e] の解釈としましては、次の3つが考えられます。
〔1〕原田訳やいくつかの邦訳のように「(商品を載せる)売り台、陳列台」。
〔2〕いくつかの邦訳や英訳のように「カウンター、勘定台」。
〔3〕多和田訳(「店の机」)やいくつかの英訳(the desk か her desk)のように「机」。
なお、「売場」としている邦訳もいくつかありますが、これはちょっと飛躍していますね。
ちなみに英訳では、dem まで含めてあげますと、her counter、the counter、the shop counter、her desk、the desk のいずれかしかなく、基本的には counter か desk だけです。
私としては、妹が店員として働き始めていたことから考えて、〔2〕が一番自然ではないかと、これまでは思っていました。
ですが Pult は、台や机を意味することは確かなのですが、たとえば譜面台のように、上の板が傾斜している台や机のことを言う、ということを思い出しまして、再度考え直してみました。
〔1〕このような売り台は、普通は傾斜していませんが、商品によっては傾斜していることもありうるかもしれませんし――たとえば、布地であればそこの部分に掛けるとか――、傾斜していても、その面に出っ張りのようなものをつけてそこに商品を置く、ということも考えられます。
〔2〕状況からしますと、「カウンター」が一番当てはまりそうなのですが、カウンターの上の台が傾斜しているということは、もう一つ考えにくいですね。
〔3〕彼女は店員だけではなく、店の事務のようなこともやっており、自分の机を持っていて、その机で領収書を書いたりしていたのかもしれません。her desk としている英訳はこう考えたのではないかと思われます。また、詳しいことは私も知りませんが、向こうでは上の板が傾斜している事務机もあるようです。
それで、ここに関しては、どの解釈が妥当か私もわからなくなりまして、知人を通じてネイティブにも意見を求めたところ、〔3〕と思うとのことでした。ネイティブが言ったから絶対に正しいということは勿論ありませんが、こう解して著しく不自然とは言えませんので、一応〔3〕としておきたいと思います。
しかしながら、あるいはこれの上の板が傾斜していたというわけではなくて、全く普通の台か机に対してカフカがこの語を使ったという可能性も完全には否定できず、もしもそうでしたら、上記の私の考察は意味がなくなってきてしまいますが…
いずれにしましても、ここに関しましては、何かご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただけましたら幸いです。
③は、逐語訳しますと、「しかし、家族のもろもろの力は、既にもうこれ以上には達していなかった」のような感じになり、要はもう限界にきていたということですね。ここは、邦訳でも英訳でもいろいろに訳されていて、興味深い点もあるのですが、意味の解釈が分かれているわけではありませんし、長くなりますので、残念ですが列挙は省略します。
①2箇所に出ている nun は、カフカがよく使う、「今や」「そのときには」という感じの意味の nun と思われますが、訳出しなくてもよいでしょうし、既訳でも訳出しているものは少ないです。
②の nahe zusammenrückten は、直訳しますと「互いに近づいた」のようになります。nahe は意味を強めるために入れられたのでしょうが、zusammenrückten だけでもこの意味になりますから、なくても意味は変わりません。原田訳は上手に訳していますが、「寄り添い」という感じで訳している訳や、「椅子を引き寄せ合い」という感じで訳している訳もあります。ご参考までに後者の訳は、「椅子を近づけて(中井訳)」「椅子を寄せあい(三原弟平〔おとひら〕訳)」「互いに椅子をつめ(山下肇〔はじめ〕・萬里〔ばんり〕訳)」。英訳ではこの感じの訳も案外多く、pulled their chairs close to each other (Stanley Corngold 訳)、drew their chairs close (Aaltonen 訳)、drew(または、moved、pulled) their chairs close(または、closer) together としています。
③Mach' dort die Tür zu の dort は、訳出していない邦訳も多いですが、これを訳出して全体を直訳しますと、「そこでドアを閉めて」となりますから、日本語らしくしますと、「あそこの/そこのドアを閉めて」のようになりますね。英訳では、訳出せずに the door とだけしているか、that door としているか、the door there としているかです。
④ihre Tränen vermischten は、お互いに頬を寄せ合った泣いていたために、「涙を混ぜ合わせた」ということになりますね。難しいことはないと思いますが、訳し方はいろいろ考えられますね。「頬を寄せて涙を流し合ったり(高本訳)」「寄せあう頬に涙を流したり(城山良彦訳)」「頬を寄せて泣きあったり(立川〔たつかわ〕洋三訳)」「涙しとどに頬を濡らし合い(川村訳)」「互いの涙で頬を濡らし合っていた(浅井健二郎訳)」「[ふたりの]ほおをよせた[女が]涙にかきくれる(川崎芳隆訳)」などのように、言葉を足して上手に訳している訳もあります。英訳では、mingled(または、intermingled、mixed) their tears などと、あっさり直訳しているものが多いです。
○以下の箇所では、身分に関する語がかなりたくさん出てきます。これらも訳し方の違いがかなり見られますが、1つ1つ詳しく論じていますと非常に長くなりますので、一部の語以外は、邦訳と英訳がどのように訳しているかを示すだけにとどめておきます。なお、中には第Ⅰ部などで既に出た語もあります――このころはまだ、私も今ほど詳しくは書いていませんでしたので、これらの語はほとんど取り上げませんでした――が、煩雑を避けるため、あくまでも以下のこの箇所の訳だけを見ることにさせていただきます。また、すべて単数形で示します。それから、英訳に関しては、ここの文脈上、明らかに誤りと思われるものは除外しました。
※Chef:〔邦訳〕社長、店主(この2つのどちらかがほとんどです)、商店主、店の社長、店の主人;〔英訳〕boss、chief、director、employer、head [of his firm、または of the firm]、manager
※Prokurist:〔邦訳〕支配人(これが多いです)、業務代理人、専務、店長、部長、マネージャー;〔英訳〕manager、assistant manager、general manager、office manager、chief clerk、head clerk、chief secretary、company secretary、attorney、executive、procurator、supervisor
※Kommis:〔邦訳〕店員(これが多いです)、社員、女店員、中堅の社員、手代;〔英訳〕clerk、junior clerk、lesser clerk、under-clerk、junior assistant、office helper / commercial traveler、salesman;「店員」という意味と、「セールスマン」という意味があります。後者の意味に解しているのはいくつかの英訳だけで、邦訳でこう解しているものはありません。ここではどちらの意味で使われているのか断定はできませんが、und で次の die Lehrjungen に続く形になっていますので、社内で正規の店員の下にさらに見習いがいるという感じで、前者と解した方が自然かなと思います。
※Lehrjunge[n]:〔邦訳〕見習い(これが多いです)、小僧、小僧さん、使い走りの少年、見習い従業員、見習いの少年、見習いの若者;〔英訳〕apprentice(これが多いです)、apprentice boy、intern boy、trainee
※Hausknecht:〔邦訳〕給仕、下男、小使、小使い、雑用係、下ばたらきの男、使用人、召使、用務員 / 門番;〔英訳〕assistant、custodian、errand-boy(errand と boy の間にハイフンが入る)、errand boy、factotum、handyman、hired man、house servant、lackey、messenger boy、office boy、office messenger、servant、teaboy / janitor、porter;「雑用係」という感じの意味と、「門番」という意味があります。これもどちらの意味で使われているのか断定はできませんが、ここはホテルなどではなくて商店ですし、ことさら「門番」と解するよりも「雑用係」と解した方が自然かなと思います。
※Stubenmädchen:〔邦訳〕客室係の少女、客室係をしていた女の子、客室づき女中、客室メイド、小間使い、座敷女中、女中、部屋係の女、部屋係のメイド、部屋づ(または、付)き女中、部屋つ(または、付)きの女中、メイド、ルームメイド;〔英訳〕chambermaid(これがほとんどです)、chamber-maid(chamber と maid の間にハイフンが入る)、maid、cleaning maid
※Kassierin:〔邦訳〕会計係、会計係の女、会計の女、カウンターにいた(または、いる)女の子、カウンターの女の子、女店員、帳場の女の子、婦人会計係、レジ係嬢、レジ係の女、レジ係の女の子、レジ係の彼女、レジ係をやっていた娘、レジスター係の女、レジスター係の女の子、レジにいた女性、レジの女、レジの女の子;〔英訳〕cashier(これがほとんどです)、female cashier、sales girl、saleswoman、shop assistant、shopgirl、till girl
ここは解釈が分かれてる箇所はないように思われますので、特には取り上げません。文法的に簡単にコメントしておきますと、はじめの文の Die Nächte und Tage は主語ではなく、verbrachte の目的語になっており、主語は Gregor です。あとの文の daran の dar の部分は、その直後の zu 不定詞句(... zu nehmen)の内容を受けています。
①この in seinen Gedanken erschienen はいろいろに訳せますが、邦訳では「彼の頭の中には(または、彼の脳裡には)...が現れた」のようにしているものが多いです。英訳でも直訳的に、in his thoughts ... [re]appeared とか、there [re]appeared in his thoughts ... のようにしているものが多いですが、面白く意訳しているものもありますので、いくつかご紹介しておきます。思い浮かんだ人物たちの部分まで入れていますと非常に長くなりますので省略し、~だけで示します。
②begriffsstützig[e] は、邦訳でも英訳でもいろいろに訳されていますが、これもあまり良い言葉ではありませんし、解釈が分かれているわけでもありませんので、諸訳の列挙は省略します。たとえば多和田訳のように「のみこみの遅い」などと訳せば、それほど差別的な感じにならないと思われるということだけを、記しておきたいと思います。
③この eine liebe, flüchtige Erinnerung を、原田訳のように独立させて、他の人物たちとともに列挙されているかのように訳している訳がかなりありますが、ほかはすべて人物ですから、この訳し方は適切でないと私は思います。これは前の ein Stubenmädchen のことを言い換えていると考えて、たとえば立川訳のように訳した方がよいと思います。なお、英訳で2つだけ、これをあとの eine Kassierin の言い換えのように解しているものがありましたが、eine Kassierin のあとに出ている um die er sich ernsthaft, aber zu langsam beworben hatte と内容的に合っておらず、違うのではないかと私は思います。
それから、この liebe もいろいろに訳せますね。邦訳では、「愛らしい」「愛すべき」「愛の」「恋の」「甘い」「甘酸っぱい」「いとしい」「楽しい」「懐かしい」としており、英訳では、dear と sweet が多いですが、charming、favorite、fond、happy、loving、tender もあります。
①Fremde[n] は形容詞の fremd が名詞になったものであり、ここでは複数3格で、「見知らぬ人々」という意味になります。「見知らぬ人々」がなぜ心に浮かんでくるのか、ちょっと疑問にも思えますが、一種の夢のようなものと考えれば、さほど突拍子もないわけではないようにも思います。
邦訳ではほぼ全部が、「見知らぬ人」か「知らない人」のようにしていますが、中井訳だけは上記のように訳しています。fremd には「親しみの薄い」という感じの意味もありますから、このような意味で言いたかった可能性もありますね。あるいは、辞書によっては、「疎遠になっている」「いつもとは違う」といった意味も載っていますから、これらのいずれかのニュアンスで言いたかったのかもしれません。あるいは、fremd は家族以外の人たちを言う場合にも使われますから、この意味で言いたかったのかもしれません。ただ、家族以外の人たちのことは、既にここの前で何人かを思い浮かべており、重なっているのではとも思いますが。
英訳ではほぼすべてが strangers としており、そうでない訳は3つだけでした。ですが、others he never knew と unknown [and fotgotten] faces はstrangers と同じですね。Fox 訳は unfamiliar [or perhaps already forgotten] people としており、英訳者では Fox さんだけが「親しみの薄い」という意味に解したのだなと思っていました。ですが辞書で確認したところ、unfamiliar には「見知らぬ」という意味もあるようですから、間違いなく「親しみの薄い」という意味に解したとは断言できません。とは言え、strangers や unknown といった語を使わずにわざわざこの語を使っていますから、やはり「親しみの薄い」という意味に解したのではないかと、私は思いたいです。
いずれにしましても、この Fremde[n] に関しては、私ははっきりとはわかりません。おわかりになる方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
②この statt ... zu helfen を「助けるどころか」という感じて訳している訳も多いですが、原田訳のような訳し方でも勿論構いません。英訳ではほとんどが、instead of ... としています。なお、ohne ... zu ... と statt ... zu ... は同じような表現であり、細かなニュアンスの違いを説明している文法書などもありますが、私のこれまでの経験では、意味の区別はほとんどなしで使われています。
③この unzugänglich は、原田訳のように文字どおり「近づきがたかった」のような感じにしている訳も多いですが、「無愛想だった」のようにしている訳もあります。英訳ではほぼすべてが inaccessible か unapproachable のいずれかで、あとは impenetrable と out of reach が1つずつあるだけです。
○以下の Dann aber war er wieder gar nicht in der Laune, ... から ... , hie und da lagen Knäuel von Staub und Unrat. にかけても、原田訳のように現在形で訳している邦訳があります。ですが、ここもどう見ても単なる描写であり、体験話法ではありませんので、それらの訳はここも歴史的現在として訳したのではないかと思われます。ですからここは、普通に過去形で訳しても何ら差し支えはありませんし、原田訳で現在形になっている動詞の部分を過去形に直せばすぐにそのような訳になりますので、前半では他の訳例は省略します。後半では、特定の箇所の別の訳例をあげることが本来の目的ではありますが、過去形で訳している浅井訳もあげておきます。
①この worauf er Appetit gehabt hätte ですが、明らかに過去形の接続法になっていますので、正確には過去のことを言っています。ただ、過去形として訳している邦訳は中井訳(「前に自分が食欲を感じた食物をいま何ひとつグレゴールは思い出せないのだが」)だけで、ほかの訳はすべて、「何が食べたいのか」という感じで訳しています。英訳でも、時制を現在形にして訳してしまっているものがかなりあります。けれども、言いたいことが大きく変わってくるわけではありませんから、修正を要する誤りとまでは言えませんね。
それから、これも細かいことになりますが、この hätte は接続法第Ⅱ式ですね。接続法第Ⅱ式は推量の意味になることが少なくありませんから、英訳の中には、これを含めた gehabt hätte を、hätte に推量の意味を含めて might have had とか would have had のように訳している訳があります。しかし、単に had とだけ訳している訳もあります。私の考えでは、ここは普通でしたら(一種の間接話法ですから)接続法第Ⅰ式を使って gehabt habe となるところを、似たよう感じの語が並ぶのを避けて第Ⅱ式の hätte としただけで、この hätte には推量の意味は含まれていないのではないかと思います。
②この immerhin は、訳出していない訳も多いですが、「とにかく」くらいの意味ではないかと私は思います。訳出している邦訳ではおおむね、「とにかく」か、それに近い言葉で訳しています。あるいは、直接には訳出していなくとも、「自分にふさわしいものをなんであろうと」(原田訳)、「口にあいそうなものを手当たりしだい」(立川訳)、「何であれよさそうなものを」(池内紀〔おさむ〕訳)のようにして、感じを出している訳もあります。また、訳出している英訳では、after all、anyway、at all、ultimately としていますが、after all と ultimately は「結局は」という意味ですから、ニュアンスがちょっと違いますね。
それから、この immerhin を、前の auch wenn er keinen Hunger hatte(少しも腹は空いていなくとも) と関連づけてと思われますが、「それでもやはり」と解している訳もあります。邦訳では1つだけですが、英訳では still としている訳が4つあります*。immerhin にはこの意味もありますので、この解釈も間違いではありませんが、auch wenn er keinen Hunger hatte の直後にそこまで強調して言う必要性はあまりないようにも思われますので、私はやはり「とにかく」と解したいと思います。
*それから、一部の辞書によりますと、after all もこれに近い意味になることがあるようですので、after all としている訳がこちらの意味に解している可能性もありますが。
①Gefallen は、男性名詞では「親切、好意」、中性名詞では「喜び、楽しみ」という意味になります。この語は第17回にも出ており、そこでも解釈が分かれていました。ご関心がおありでしたら、そこもご覧下さい。「○... , zweitens aber sei es doch gar nicht sicher, ...」で始まる項目にあります。https://note.com/okanoue_kafka/n/n7b93dc212b5b
ただし、第17回では、ein Gefallen と1格の形で出ていました。男性名詞の1格と中性名詞の1格につく不定冠詞は同じ ein となりますから、そこではどちらなのか区別ができませんでした。しかし今回は、einen Gefallen となっていますから、明らかに男性名詞の4格であり――中性名詞の4格でしたら、中性名詞の1格と同形の ein Gefallen となるはずですね――、「親切、好意」という意味に解すべきところです。邦訳で一番正確に訳しているのは浅井訳で、ちょっと説明的ではありますが、上手にも訳していると思います。
もっとも、第17回の ein Gefallen のみならずここの einen Gefallen に関しても、邦訳、英訳ともに、「喜び」と解している訳はかなり多いですし、どちらに解しているのか明確ではない訳もあります。ここの場合には「喜び」と解するのは文法的な立場からは正確ではありませんが、グレーゴルに親切にするということは、ある意味ではグレーゴルを喜ばせることでもありますから、一概にいけないまでとは言えないとも思います。
なお、ここの Ohne jetzt mehr nachzudenken, womit man Gregor einen besonderen Gefallen machen könnte, ... の部分に関しては、man を英訳でどのように訳しているかを見てみたかったこともありまして、ここ全体の英訳を巻末の付録で一覧にしてみました。それぞれの英訳が Gefallen をどう解釈しているかということもわかりますので、ご関心がおありでしたらご覧下さい。
②この beliebige は、ほとんどの邦訳で、「ありあわせの」か、浅井訳のようなそれに近い語で訳されています。ほかには、「何か(または、なにか)適当な」としている訳が3つあります。いずれも間違いではありません。
ただ、「ありあわせの」ですと、そこにあったものを無条件に取ったことになりますが、beliebig のもとの意味は「任意の」ですから、より正確には Bernofsky 訳の random chosen(正確には「勝手に選ばれた」、日本語らしくすると「勝手に選んだ」) という感じの意味かなと思われます。「適当な」ですとこのような意味とも受け取れますが、「ふさわしい」という意味とも受け取れますね。
「勝手に選んだ」と同じ意味で、もっと気が利いた訳語があればベターなのですが、私も今のところ思いつきません。思いついた方がおられましたら、お教えいただけましたら幸いです。
英訳では、any old food(これが一番多いです)、any food、any food that was available、some food、some food or other、some kind of food などと訳されていますが、「勝手に選んだ」とはやはりニュアンスがちょっと違うかなと思います。
③この mit einem Schwenken des Besens は、原田訳や浅井訳のようにしている邦訳が多いですが、schwenken は「振る」という意味ですから、より正確には(一部の邦訳のように)「箒をひと振りして」のようになります。けれども、これはどちらかと言いますと日本語の好みの問題になってきますので、どうしても修正する必要まではありませんね。
ここはちょっと訳しにくいですが、特に難しい2箇所に関してコメントするだけにとどめておきます。
①の konnte gar nicht mehr schneller getan sein は、逐語訳しますと、「もうこれ以上に速くなされた状態であることは全くできなかった(あるいは、全くありえなかった)」のようになりますから、たとえば原田訳のように訳せますね。
②の Schmutzstreifen zogen sich die Wände entlang は、これも逐語訳しますと、「筋状になった汚れが、壁に沿って延びていた」のようになります。汚れがたまっていたのは、壁と床との境の、いわば部屋の隅と考えてよいと思います。壁面にこのような汚れが何列も筋状についているとは、ちょっと考えにくいですし。また、Streifen が複数形になっているのは、単に壁が四方にあって、1つの側の分を1つとして数えたのか、あるいは1つの側でもこうした汚れの集まりが途切れ途切れに複数あったのかまでは、この表現ではわからないと思われます。もっとも、これらはあくまでも私の想像ですから、違う解釈をなさった方がおられましたら、ご教示いただけましたらと思います。
bezeichnend は「特徴的な」「特徴を示す」といった意味ですが、これですとやはりわかりにくいですので、「汚れ」とか「汚れた」という言葉を入れた方がよいですね。この語に関しては、邦訳ではほぼ全部がこのように訳していますが、英訳ではこのようにしている訳――たとえば、in corners of the room that were particularly filthy とか、in corners where such dirt was particularly noticeable――と、直訳的に訳している訳――たとえば、in specially significant corners とか、in corners particularly indicative of this problem――とがあります。もっとも後者の訳でも、in corners where this was especially obvious (Philipp Strazny 訳) などは上手に訳していますが。
○以下の Aber er hätte wohl wochenlang dort bleiben können, ... から ... , daß das Aufräumen von Gregors Zimmer ihr vorbehalten blieb. にかけての一部または全部を、体験話法と判断してでしょうか、現在形で訳している邦訳があります。ここでは確かにグレーゴルにとって厄介な状況が言われていますが、非常に緊迫した状況が言われているとまでは言えませんので、体験話法とは考えなくてよいのではないかと、私は思います。
①の er hätte wohl wochenlang dort bleiben können, ohne daß sich die Schwester gebessert hätte は、逐語訳をしてみますと、「妹が自分を改善したということはなしに、彼がそこに何週間もとどまっていることはできなかっただろう」のようになります。それで、ここを、原田訳と同じく、
〔1〕彼がそこに何週間いても、妹が態度を改めることはなかっただろう。という意味に解している訳(が大部分ですが)と、
〔2〕彼がそこに何週間かいたら、妹は態度を改めただろう。
という意味に解している訳とがあります。
ここではやはり〔1〕と解した方が状況から考えて自然ではないかと、私は思います。書き方がちょっとわかりにくくはありますが、皮肉的な意味合いを込めてこのように言ったのではないでしょうか。邦訳ではおおむね、〔1〕のように訳しています。逆に英訳ではほとんどが原文のとおりに直訳していますが、意味をそれなりに解釈して訳し方を変えている訳も3つだけありました。
②この ja を、
〔1〕「...なのだから」と理由を表す意味と解している訳と、
〔2〕単なる強めの意味のように解している訳とがあります。この意味で訳出している邦訳では、「ちゃんと(これが特に多いです)」「たしかに」「はっきり」「もちろん」「歴然と」としています。英訳では、文頭に [… ; ] after all や Indeed や In fact を置いたり、文中に certainly や of course や surely を入れたりしています。また、Eugene Jolas 訳は Didn’t she see filth as he did, ... 、Corngold 訳は ... ; she must have seen the dirt as clearly as he did, ... として、この感じを出しています。
それで、この ja は〔2〕と解してよいのではないかと、私は思います。あとの「決心した」までを含めますと確かに因果関係が成り立ちますが、この部分だけではちょっと無理かと思われます。
③この eben を、
〔1〕「...なのだから仕方がない」という意味と解している訳と、
〔2〕「まさに」「それこそ」という感じで単なる強めの意味のように解している訳とがあります。この意味で訳出している邦訳では、「まさに」「それこそ」のほかに、いわば意訳する形で、「堅く」「断乎として」としているものもあります。英訳では、just か simply としているものがほとんどで、ほかには finally と only もありますが、あとの2つはニュアンスがちょっと違うかなと思います。
これに関しても、〔2〕の単なる強めの意味と解してよいのではないかと私は思います。ただ、これに関しては断定はできませんので、〔1〕と解しても間違いではないとも思います。
①の Dabei はいろいろな意味で用いられますが、このあとの内容が、ここの前の「ろくに掃除をしなかった」という趣旨の内容と反対になっていますので、「それなのに」「それでいて」「そのくせ」といった逆接的な意味に解するのが、一番自然ではないかと私は思います。
もっとも、「今は手抜きをしていても、これまでに兄の世話をずっと一生懸命にしてきたのだし、こんなことをとらえて、余計な手出しはしてほしくない」という気持ちであると考えれば、この Dabei を絶対に逆接的に訳さなくてはいけないとまでは言えないかもしれませんが。
邦訳でも、逆接的に訳している訳が多いですが、「こうした際に」「その際」「その場合」「その場合に」「しかも」などとしている訳もあります。英訳でも、逆接的に訳している訳(And yet、Yet、Nevertheless、Nonethe-less、On the other hand)とそうでない訳(In doing so、In this business〔この business は、掃除のこととも解せますし、business は漠然と「こと」という感じの意味になることもありますから、こちらの意味とも解せます〕、In this manner)とがありますが、英訳では、折衷的な意味である At the same time としている訳が特に多いです。
②über ... wachen で、「...を監視する」という意味になります。それでこの wachte は、――だいぶ離れた所にあってわかりにくいですが――あとの darüber につながっています。darüber の dar の部分は直後の daß 以下の内容を受けていますから、直訳的には「daß 以下の内容を監視した」という意味になるわけです。
③この überhaupt は、「個々の場合に限定せず、全体・全般・一般などを指して」(岩崎英二郎『ドイツ語副詞辞典』白水社)いる用法で、「そもそも[彼女だけでなく]」くらいの意味ではないかと私は思いますが、単に die ganze Familie を強めているだけとも解せますので、どうしても訳出する必要まではないかなとも思います。
邦訳では、訳出していないか、「そもそも」かそれに近い言葉で訳しているか、別の言葉で訳しているかですが、überhaupt に全くない意味で訳しているものもあり、ちょっとどうかと思います。英訳でも、訳出していないか、actually、anyhow、generally、indeed、in fact、just、moreover、now と、いろいろに訳されていますが、überhaupt にない意味で訳しているものもありますね。英訳としては generally が一番近いかなと思われます。
ここの、
①die ihr nur nach Verbrauch einiger Kübel Wasser gelungen war
②sich zu rühren anfingen
③rechts と links
④die Schwester anschrie, sie werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
での解釈や訳し方の相違に関しては、私が2023年の8月に公開した、「番外編:『変身』第Ⅲ部の、ある箇所の解釈について」で記しています。特に④に関しては、解釈が非常に大きく分かれていますので、メインテーマとして詳しく記しています。①②③に関しては、終わりの「付記」の箇所で記しています。まだご覧でない方は、お手数ですが、以下のリンクからご覧下さいましたら幸いです。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n8cb4bded5788
また、今回改めて読み直しましたところ、これらとは別に、前半で3箇所ほど、解釈や訳し方の相違が見られましたので、記しておきます。その部分だけ、原文と原田訳をもう一度あげておきます。該当箇所の番号は、前項との兼ね合いで、④の続きの⑤から始めます。
⑤allerdings には、「当然」「もちろん」という感じの意味と、「ただし」「とは言っても」という感じの意味とがあり、どちらに解しても意味が通る場合も少なくありませんので、しばしば解釈に迷う語の1つです。ここでも、邦訳、英訳ともに、解釈がまっぷたつに分かれています。どちらが絶対に正しいとは断言できませんが、ここの前に gelungen war(成功した) という語があり、その直後に「部屋がびしょぬれになってグレゴールは機嫌をそこねてしまい、...」と書かれていますから、原田訳の解釈の方が自然ではないかと、私は思います。
⑥この auch は、無視して訳出していない訳も多いですが、訳出している訳では解釈が以下の〔1〕~〔4〕に分かれています。ただし英訳では、訳出していても also か too としていて、どの語を修飾しているのかはっきりわからないものがほとんどです。
〔1〕部屋がびしょぬれになったことに対しては、母親も決まりが悪かった――ただし、このことは明確には書かれていません――が、グレーゴルも不快になった。
〔2〕家族に対しては度量が広いグレーゴルさえも不快になった。:ですが、このような意味になるのでしたら、修飾する語の前にくるのが普通ですから、auch Gregor となるのではないかと思います。
〔3〕このところ不快なことが多かったが、部屋がびしょぬれになったことも、グレーゴルを不快にさせた。:ですが、auch は必ずしもそれが修飾する語の前後に置かれないこともあるとは言え、die viele Feuchtigkeit にかかっているとは、感覚的にちょっと考えにくいです。
〔4〕母親がグレーゴルの部屋の大掃除をし、さらにまた、これがグレーゴルを不快にさせた。:ですが、このような意味になるのでしたら、auch があとの方にあるのは不自然で、文頭に置かれて auch kränkte die viele Feuchtigkeit allerdings Gregor となるのが普通ではないかと思います。
以上、解釈を4つあげておきながら、〔2〕〔3〕〔4〕は私の考えで否定してしまいましたが、やはり〔1〕と解するのが無難ではないかと、私は思います。
⑦この trotz der beschwörend erhobenen Hände は、逐語訳的には「beschwören しながら(beschwörend は現在分詞であり、ここではこのような意味になります)上げられた両手にもかかわらず」となりますが、これですとあまりにも直訳になってしまいますので、原田訳などのように訳した方がよいですね。
ただ、それはそれとして、この beschwörend はどのような意味なのでしょうか。邦訳では、「なだめながら」という感じで訳しているものも案外多いですが、複数の辞書を調べてみましても、beschwören には「なだめる」という意味はないようです。この beschwören はやはり原田訳のように「嘆願する」とか「懇願する」という意味と解すべきかと思われます。もっとも、ここでこのように頼んでいるのは、ある意味ではなだめているとも言えないことはありませんから、「なだめながら」でも誤訳とまでは言えませんが。
英訳では、以下のようになっています。前後のコンマは省略して列挙します。
despite(または in spite of、または and ignoring) her mother’s implorlingly uplifted(または upraised、または raised) hands とか、despite the imploringly raised hands of her mother (Willa & Edwin Muir 訳) とか、and despite the mother’s hands, raised imploringly (Freed 訳) とか、and though her mother raised her hands imploringly (John R. Williams 訳) として、imploringly を使っているものが特に多いです。これら以外にも、
といった訳がありますが、ほぼすべての訳で、懇願(嘆願)を意味する語が使われていますね。
ただ、それでは「何を」懇願するのかと問われますと、書かれていませんのではっきりとはわかりませんが、その内容まで説明している訳が4つだけあります。
許しを懇願しているのか、落ち着いてと懇願しているのか、はたまたほかのことを懇願しているのかは、この記述だけではやはりわからず、原文の説明不足かなと思います。ただ、私としましては、許しを願っているのでしたら、もっと別の表現――um Entschuldigung(または Verzeihung) bittend など――をするのではないかとも感じますので、落ち着いてと懇願しているのではないかなと思いましたが、絶対に正しいわけでは勿論ありません。
最後になりましたが、英訳に関したいくつかの点につきまして、今回も高知市のエヴァグリーン英会話スクールの菊池春樹先生にご教示をいただきました。記して感謝いたします。ただ、英訳についての説明も、最終的にはすべて私の判断で記しましたので、責任は私にあります。ご意見がおありの方がおられましたら、私宛にお寄せ下さいましたら幸いに存じます。
付録
ドイツ語の man の意味と、英訳での man の訳し方
〔1〕
ドイツ語の man は、「世間一般の人」という意味になるのが一番一般的ですが、ときには、 ich とほぼ同じく、語り手自身のことを意味したり、du や ihr や Sie とほぼ同じく、話している相手のことを意味したり、er(「彼は」) や sie(単数であれば「彼女は」、複数であれば「彼らは」) とほぼ同じく、特定の登場人物のことを意味したりします。
ただ、「世間一般の人」という意味にならない場合には、「ich や du や ihr や Sie や er や sie のことではあるが、その人[たち]だけではなく、世間一般の人が同じ立場であっても」というニュアンスが加わることが多いですが、必ずそうとまでは言い切れず、作者がそれほど深くは考えずに使う場合もあるようです。
いずれにしましても、man がどの意味で使われているのかは、それぞれの文脈から判断するしかないと思われます。
それで、今回の連載の該当部分の、はじめから少し進んだ箇所では、
と書かれており、man が3箇所に出ていますね。①はグレーゴルも含めた一家全員、②と③はグレーゴル以外の家族を意味していると考えてよいと思います。これらの man に「世間一般の人が同じ立場であっても」というニュアンスが明確に含まれているのか、そのようなことをあまり考えずに使われたのかは、ネイティブのような語感があるわけではない私にはわかりません。あるいは、仮にこれらの man を sie(「彼らは」) としますと、同じ sie でも①と②③では微妙に違ってきますので、それを避けるために、より一般的なニュアンスが強い man が使われたのかもしれませんが、これも断言はできません。はっきりおわかりになる方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
以上の点に関しては、はっきり結論が出せずに申し訳ありませんが、それはそれとしまして、これらの man は、既訳ではどのように訳されているのでしょうか。
まず、邦訳に関しては、すべての訳が、訳文の違いは勿論いろいろあっても、原田訳と同じように、3つの man を全部、主語として出さない形で訳しています。このことは、主語を省いても不自然にならない文も多々あるという、日本語の特徴をよくあらわしていますね。
しかし英語では、少数の例外的な場合を除き、主語を省くことはありませんから、英訳となりますと、何らかの語を使ってこれらの man を訳出するか、あるいは man に該当する以外の語を主語にして、同じ意味の文になるようにしなくてはいけませんね。実際、ここの訳し方はいろいろです。ですが、ここ全体の英訳を一覧にしますと長くなりすぎますので、①と③に関しては、それぞれの man をどのように訳しているかだけを示すことにします。ただし、man に該当する以外の語を主語にして訳している場合には、必要と思われる部分の訳も示しておきます。②に関しては、ここの前の da es nicht auszudenken war の部分――es はあとの wie 以下の内容を受けており、逐語訳的には、「wie 以下のことは考え出されえなかったので」となります――との兼ね合いもありますので、da es nicht auszudenken war, wie man Gregor übersiedeln sollte の全体の訳を示すことにします。
それで、以下の一覧をご覧いただきますとおわかりのように、
①の man に関しては、ほとんどの英訳では they(1つだけ one)と訳していますが、この man を出さない形で訳している訳が2つあります(Michael Hofmann 訳、Robert Boettcher 訳)。これらの訳は man のことを強く意識してあえてこのように訳したのではないかと思われて、興味深いですね。
②の man に関しては、この wie man Gregor übersiedeln sollte の部分は受動態にしたりして man を出さない形で訳していても、この前の da es nicht auszudenken war の部分を they や one を主語にして訳している訳も、案外多くあります。
③の man に関しては、they(1つだけ one)と訳しているか、受動態の形にしてこの man を出さない形で訳している訳のほかに、別の訳し方をしている訳も4つあります(J. A. Underwood 訳、Wyllie 訳、Richard Stokes 訳、Hofmann 訳)。これらも、①の2つの訳と同じように思われて、興味深いですね。
※A. L. Lloyd 訳:①they;②... , for they could not imagine how Gregor could be moved.;③... , for he might easily have been transported in ...(この③に関しては、このように受動態にして訳している訳もかなり多くありますが、長くなりますので、einer passenden Kiste mit ein paar Luftlöchern の訳は省略します)
※Eugene Jolas 訳:①they;②... , for they were unable to decide how they could move Gregor.;③they
※Willa & Edwin Muir 訳:①they;②... , because they could not think of any way to shift(本によっては、transfer) Gregor.;③they
※Stanley Corngold 訳:①they;②... , since no one could figure out how Gregor was supposed to be moved.;③... , for he could easily have been transported in ...
※Vladimir Nabokov 訳:①they;②... because they could not think of any way to shift Gregor.;③they
※J. A. Underwood 訳:①they;②... because of the insoluble problem of how to move Gregory.;③... , since it would have been a simple matter to transport him in ...
※Malcolm Pasley 訳:①they;②... , since it was impossible to conceive how Gregor was to be moved.;③... , for he could easily have been transported in ...
※Joachim Neugroschel 訳:①they;②... since they could hit on no way of moving Gregor, ...;③they
※Karen Reppin 訳:①they;②... , since one could not conceive how Gregor was to be moved.;③they
※Donna Freed 訳:①they;②... , because it was inconceivable how Gregor was to be moved.;③... , for he could easily have been transported in ...
※Stanley Appelbaum 訳:①they;②... , since no one could figure out how to move Gregor.;③... , because after all he could easily have been shipped in ...
※Ian Johnston 訳:①they;②... , since it was impossible to imagine how Gregor might be moved.;③... , for he could have been transported easily in ...
※David Wyllie 訳:①they;②... , there was no imaginable way of transferring Gregor to the new address.;③... , it would have been quite easy to transport him in ...
※Richard Stokes 訳:①they;②... , since it was impossible to imagine how Gregor could be moved.;③... , for it would have been a simple matter to transport him in ...
※M. A. Roberts 訳:①they;②... , because relocating Gregor was inconceivable.;③one
※Michael Hofmann 訳:①The bitterest complaint, however, concerned the impossibility of leaving this now far too large apartment, ...;②... , as there was no conceivable way of moving Gregor.;③... , because all it would have taken was a suitably sized shipping crate[, with a few holes ...](岡上記:この英訳はわかりにくいですが、it はグレーゴルを引っ越させることを漠然とさしており、take はここでは「(時間、労力、備品などを)必要とする」という意味かと思われます)
※Will Aaltonen 訳:①They;②... , because they couldn’t think of any way of moving Gregor.;③they
※Joyce Crick 訳:①they;②... , as they could not work out how they were to move Gregor.;③they
※Charles Daudert 訳:①they;②... , because they could not think of any possible way to transfer Gregor.;③they
※John R. Williams 訳:①they;②... , because they could not think of how they were to move Gregor.;③... , for he could easily have been transported in ...
※C. Wade Naney 訳:①they;②... , since they had no idea how Gregor could be moved.;③... ; he could have easily been transported in ...
※Susan Bernofsky 訳:①they;②... , since no one could imagine how Gregor might be moved.;③... , since he could easily enough have been transported in ...
※Christopher Moncrieff 訳:①they;②... , because they couldn’t think of a way to transport Gregor.;③they
※Katja Pelzer 訳:①they;②... , because they could not even begin to contemplate how to relocate Gregor.;③... , for he could be transported easily in ...
※Peter Wortsman 訳:①they;②... , given the fact there was no way they could conceive of moving Gregor.;③they
※Mary Fox 訳:①they;②... since the process of moving Gregor out remained unclear.;③... , since he could be easily transported in ...
※Philipp Strazny 訳:①they;②... , it was unthinkable to relocate Gregor, so ...;③He would certainly have been easy to transport in ...
※Christopher Drizzen 訳:①one;②... , because it was not possible to think of how to move Gregor.;③... , for he could have easily been transported in ...
※Miqhael-M. Khesapeake 訳:①they;②... , as one couldn’t imagine how Gregor would be moved.;③... , for he could have been easily transported in ...
※Robert Boettcher 訳:①The greatest complaint, however, was always that it was impossible to leave this apartment, which was too large for the present circumstances, ...;②..., since it was impossible to imagine how Gregor could be moved.;③... , because he could have been easily transported in ...
〔2〕
ここでも man が出てきていますね。長くなりますので、英訳の一覧は Ohne jetzt mehr nachzudenken, womit man Gregor einen besonderen Gefallen machen könnte, ... の部分だけにします。
この man は、あとに ... , schob die Schwester eiligst, ... とありますから、die Schwester(妹) を意味していると考えてよいと思います。この man を one や they と訳している英訳もありますが、ちょっとどうかと思います。ただ、この man に「妹だけでなく、世間一般の人が同じ立場であっても」というニュアンスが明確に含まれているのか、そのようなことはあまり考えずに使われたのかは、〔1〕と同じく私には断定はできませんが、ここでの内容から考えますと、あまり考えずに単に sie の代わりに使われたのではないかという感じがします。
いずれにしましても、この man は、すべての邦訳で、〔1〕の3つの man と同じく、たとえばこの原田訳のように、主語として出さない形で訳されています――「どうしたらグレーゴルが喜ぶか」とか、「何がグレーゴルのお気に入りなのか」とかいった感じで、他の語を主語にして訳している訳も多いですが――。
英訳では、以下のとおり、訳出したりしていなかったりしますし、womit 以下を間接疑問文のようには訳していない訳もあり、いろいろな訳し方がされています。ご覧になるさいには、本論でもお話しした Gefallen の解釈の違い――「親切、好意」という意味か、「喜び、楽しみ」という意味か。文法的には前者になりますが――にもご注目下さい。
※Lloyd 訳:Nowadays his sister no longer tried to guess what might please him; ...
※Jolas 訳:Without giving any thought to what might please Gregor especially, ...
※Muir 訳:His sister no longer took thought to bring him what might especially please him, ...
※Corngold 訳:No longer considering what she could do to give Gregor a special treat, ...
※Nabokov 訳:His sister no longer took thought to bring him what might especially please him, ...
※Underwood 訳:With no thought any longer of how she might particularly please Gregory, ...
※Pasley 訳: Without any longer considering what Gregor might specially fancy, ...
※Neugroschel 訳:No longer paying any heed to what might be a special treat for Gregor, ...
※Reppin 訳:Without considering anymore what treat Gregor might enjoy, ...
※Freed 訳:No longer concerning herself about what Gregor might particularly care for, ...
※Appelbaum 訳:No longer reflecting about what might give Gregor some special pleasure, ...
※Johnston 訳:Without thinking any more about how one(→本によっては、they) might be able to give Gregor special pleasure, ...
※Wyllie 訳:Gregor’s sister no longer thought about how she could please him ...
※Stokes 訳:No longer considering how she might give Gregor a special treat, ...
※Roberts 訳:Without giving any more thought to how they could especially please Gregor, ...
※Hofmann 訳:No longer bothering to think what might please Gregor, ...
※Aaltonen 訳:Nowadays his sister no longer took the trouble to think of something he might like to eat.
※Crick 訳:Now, no longer giving any thought to what she might do for Gregor that would give him particular pleasure, ...
※Daudert 訳:Without thinking anymore about what might please Gregor, ...
※Williams 訳:His sister now no longer gave any thought to giving Gregor something he might really enjoy; ...
※Naney 訳:... , giving no thought to what he might especially enjoy.
※Bernofsky 訳:Without bothering to consider how she might give Gregor particular pleasure, ...
※Moncrieff 訳:Without stopping to think what might take Gregor’s fancy, ...
※Pelzer 訳:Without thinking anymore about what Gregor might particularly favor, ...
※Wortsman 訳:Without giving much thought of late to what dish might particularly appeal to Gregor, ...
※Fox 訳:No longer bothering to think what would especially please Gregor, ...
※Strazny 訳:The sister stopped spending any further thought on what Gregor might really enjoy.
※Drizzen 訳:Without now thinking any more about how to do Gregor a special favour, ...
※Khesapeake 訳:Without much considering what special treat might please Gregor now, ...
※Boettcher 訳:Without thinking any more about how to do Gregor a special favor, ...