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「本の紹介文を書いてほしい」と言われたので
自分、物は書くけれどもそんな器用なタイプではなく、何より、どれほど好きな相手に対しても、物書きとしての思いやりはない。まして明確な報酬なきところに物書きとしては忖度なんてしない。
そんなわけで、標記、「どんなテイストで」とか「どういったことを書いてほしい」とか明文化されたオーダーがなければ、そんなもん、自由に書くに決まっている。
で、自由に書いたら案の定ボツだったのはともかくとして、1時間程度でリテイクする間、「そういうことは先に明文化しておいてほしいのだけど…」というようなことをおっしゃってこられて大変モヤモヤし、かつ、自由に書いた紹介文が少しかわいそうになってきたので、以下に残しておく。
教科書とは、デジタル大辞泉に拠ると、「教科の主たる教材として用いられる図書。教科用図書。」や「あることを学ぶのに適している本。」を指すという。
とすれば、本書は間違いなく「教科書」である。
「ヒトが何らかの理由で集まれば、それはコミュニティとなる」――そう思っている向きもあるようだが、そんなのは大層甘い戯言だ。
単に何らかの理由で集まっただけでは「ヒトの群れ」、「個々の集合体」にすぎない。
野生動物の群れにも劣る「ヒトの群れ」。とはいえ、それは仕方のないことである。余程のことでもない限り、いわゆる「おひとりさま」で何とか生きていける程度に公共サービスが整っている現代社会において、ヒトは、野生動物のように命を賭して共同体を組成し、立ち向かう相手というのがいない。
つまり、現下、社会においてコミュニティを組成し、成すべきことがあるのだとしたら、コミュニティを管理する仕組みが必要となる。
目的は一致していても、個々が好き勝手にやる集団が上手くいかないというのは、誰だってわかるところだろう。
そして、生き物というのは往々にして楽な方に流れるゆえ、管理する仕組みは高度となる。
つまり、学ばなければならない。
本書は正しく「コミュニティマネジメントの教科書」となっている。
「目的は全員一致! なのにこの集団マジ単なる集団」とお悩みの諸兄姉はぜひ読まれたし。
※本の名前は伏せている(文中に答えはあるけれども)