バンド結成までの歴史とギター遍歴
とりあえず自分の遍歴でも書くかと思い、音楽を始めたきっかけなどを思い出しつつ書いていきます。
まずは音楽というか、ギターを始めた経緯について。
5歳頃に姉が習っていたピアノ教室に通い、ゲゲゲの鬼太郎のテーマを練習していた記憶がありますが、小学校に上がった段階でピアノを辞め、父が学生時代に強い選手だったのもあり柔道を習わされることに。
そこから柔道を小学校〜中学の間続けていきますが、そこまで柔道が好きというわけでもなく、やらされてる感のまま惰性で続けていました。
(その後バンドのライブで柔道着を着たりするぐらいには人生において大事な時間ではありましたが)
柔道を続けつつ、小5頃にやってたガンダムSEEDを見てオタクの素養を養い、工学系の男子中学(オタクの養成所に近い)に入学します。
小学校、いや幼少期からずっといじられキャラに甘んじており、常に誰かからナメられてるという感覚に晒されているのもあって、何かしらで見返してやりたいというフラストレーションはどこかで抱えてたように思います。
(正直今も抱えていますが)
中学時代は柔道部に入部しつつもひたすらガンプラを作ったり、同級生のオタク達とバカな日常を送っていましたが、上記のフラストレーションはやはり持ち続けたままでした。
フラストレーションが溜まってる顔。
そこで中2の頃、転機が訪れます。
深夜アニメを漁っていたときにあるアニメを観ました。
BECKです。
しかも初めて見たのが最終回間際の23話辺り。
話の内容は大してよくわからない状態でしたが、夏フェスの野外ステージで主人公のコユキがバンドメンバーが合流するまでの時間を稼ぐために1人弾き語りをするシーンを見て、何か突き動かされるような感覚を受けました。
多分アニメの雰囲気とか音楽に惹かれたのもあるんでしょうが、これを見て漠然と「全校生徒の前でアコギの弾き語りをしたい」というような欲求に襲われました。
そこで母にギターを弾いてみたいと言ったところ、叔父が昔使っていたYAMAHAのアコギを渡してくれることになり、中2の夏、ついに僕のギター人生が幕を開けました。
その後BECKの劇中音楽や主題歌を担当していたBEAT CRUSADERSにハマり、彼らの曲を弾いてみたくなり、中2の正月、池袋のイケベ楽器にてIbanezの初心者エレキギターセットを買うことになります。
IbanezのGIOシリーズですね。
まさにこのサンバーストカラーのギターを購入します。
ちなみにこの時、ある同級生を連れてギターを買いにいきますが、この男が後に蟹奉行の初代Baとなる藤崎で、今も共に曲を作ったりサポートGtをやってもらったりする関係となります。
(写真右端の男です。左端が僕です。2018/9/29のライブ後の写真。ターンテーブルは藤崎がたまたま持ってきていたのでノリで持っています。)
エレキギターを手に入れてからは色々とバンド音楽に興味を持ち、GIGSやロッキンジャパンを読んで色んなバンドを知っていきます。
ここでエルレやストレイテナーを知ってさらに音楽にハマっていきます。
その後高校に上がる(中高一貫校だったためそのまま入学)と、このタイミングで柔道部を辞め軽音部に入部しました。
軽音部に入ったらまず誰かとバンドを組まねばと思い仲の良い友人とコピーバンドをやることになりましたが、ドラマーがいない状態でした。
そこで当時ペン回しがやたらと上手かった男のことを思い出し、軽音部でドラマーをやってくれないかと頼むことになります。
その男こそ、後の蟹奉行初代Drである富沢です。
(写真左端の男です。2012年の春ぐらいの写真。何かの曲のREC中だったはず)
軽音部のコピーバンドでは僕はGtを担当し、そのバンドのVoがラルクファンだったのもあり、ひたすらラルクのコピーをやってました。
(以前ChroniCloopのVo瀬崎に蟹の曲はラルクっぽいと言われた事がありますが、この経験があったからでしょうか…)
この頃はラルクのコピーしているにも関わらず、エルレやビークルへの憧れもあり、ギターはレスポールを使っていました。
エドワーズのレスポールです。
今もたまに弾いてますがやたらと軽いのが特徴。
高校時代、藤崎は別の高校へ進学しましたが、時々池袋のスタジオに藤崎、富沢と3人で遊びで入ってセッションのようなもの(何も決めず誰かが出したフレーズに合わせて展開していく)をやって遊んでいました。
今思えばこの時の遊びが蟹奉行での曲作りの基礎となっています。
高3ぐらいの頃からある男と音楽の話で気が合い、その男からBloc PartyやFoalsなどのバンド、シューゲイザーなどのジャンル、それらのジャンルでセンスの良いボカロPなどを教えてもらい音楽の視野を広げていきます。
その男が後の蟹奉行初代Gtのカツオです。
(写真中央の男です。2011年12月の蟹奉行初ライブの写真。高校時代は前髪の切り方で教員と戦ってた記憶があります。)
高校卒業後、何か音楽を作りたいと考えてDTMを始め、藤崎からバンドやろうという誘いもあり、カツオ、富沢を含めスタジオに入って曲を作り始めます。
元々藤崎が当時企画していたライブに向けて結成したバンドだったため、何かバンド名を付けねばとなった時、ライブの出演者一覧を見ながらみんなで考えていました。
当時の出演者:
Calling From The Reach
Ghost in the pool
misty
Undecided
Nao(フレミング)
その時藤崎が言いました。
「お前そういえば中学の時に蟹奉行って呼ばれてたよね?」
中学3年の時、1週間程度だけ流行った僕のあだ名に蟹奉行というものがありました。
修学旅行先で蟹を食べている時、皆がめんどくさがって中途半端な食べ方をしているのを見て「もっと足の先とかに身があるんだよ!」と言って僕は細かく蟹を食べていました。
それを見て藤崎は「お前、蟹奉行じゃん」と言いしばらくの間あだ名として広まったのでした。
何故今それを思い出したのか。
「この出演者の中に蟹奉行って名前があるの面白くね?」
これが決め手となりほぼ悪ノリで「蟹奉行」というバンド名が決定しました。
その後の遍歴は下記バンドのヒストリーに載せてます。
http://kanibugyo.web.fc2.com/pg23.html
Fender Thurston Moore Jazzmaster
バンド結成少し前に手に入れ、現在もメインギターです。
上の写真では買ったばかりの綺麗な状態で弾いてますが今はこのような有様。
上記が僕の音楽、ギターとバンド結成の遍歴となります。
これを読んでいる方でこれからバンドを組む方がいらしたら、バンド名はもっと真面目に考えてつけていただきたいです。
特にインパクトのある名前をつけると中々変えられないということは知っておいてほしいです。
以上。