パラリンピックから見えてくる日本人の民族性
どうも!今年開催されました東京パラリンピックがおりいろいろな物議はありましたが、最終的には感動の大盛り上がりの中で幕を閉じました。
選手の方はもちろん、大会関係者の方々など数多くのサポートがあり大会を実現されたことだと思います。
ただ、それだけではないことも知っていただければと思います。
上記の記事を拝見させていただきましたが、思うことがありました。
これはパラリンピックだからとかではなく、つい日本人の民族性がもたらす弊害かなぁと思いました。
というのも、つい障害者といった何かの枠でひとくくりにする傾向が強いことがあります。
障害者=〇〇といった短絡的な思い込みです。
これに当てはめられてしまうと、記事にも書いているように「障害者でも努力すればなんとかなる」といった見方をされてしまい、障害の度合いや状況、年齢に関係なく努力を求められてしまうことに繋がります。
しかし、現実はそのようにはいかない事が多いのです。障害の度合いや状況によって一人で出来ることが限られているので、サポートする人や整った環境が必要になります。
物理的などの理由で努力ではどうにもできないこともあるということです。
つい、テレビで見てしまうとそれが全てと思い込み、それが当たり前だと思ってしまいます。
そんな思い込みから相手に求めて苦しめていることになっているかもしれない?そんな考えに繋がれば幸いです!
数ある中から最後までご覧いただき、ありがとうございます!
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