個人的忌み言葉(1)忙しい
個人的忌み言葉というのがある。絶対に使わないことにしている単語のことである。クラウドメモにリストにしてあり、時々確認したり定義を付け加えたりしている。
きっかけは学生時代に本多勝一さんの本(たしか『日本語の作文技術』)を読み、「紋切り型の表現」というものがあることを知ったことだった。たとえば「容疑者はカツ丼をペロリと平らげた」という表現を本多さんはたしか挙げておられた(かなり昔の本なので古くさいが)。こういう、使い古された、ありきたりの、何かを表現しているように見えてじつはオリジナリティもなければ事実ですらないという言葉。容疑者はほんとうに「ペロリ」と「平らげた」のか。本当はゆっくりとかみしめるようにカツ丼を食べきったのかもしれないし、3日も絶食したイヌのようにほとんど噛まずにわずか1分くらいで食べきってしまったのかもしれない。それならそう書けということである。
ほかには「きょうこのごろである」「今日も今日とて」などの言い回しもその例で、これはSNSなどでもよく目にする。これらはなにかを言っているようで、なにも言っていないに等しい。こういう言葉は表現者としてはもちろんないほうがよい。今どきの言葉で表現すると「イタい」。
こうしてつくり始めた使わない言葉のリスト作りをかなり長年やっているのだが、あまりそういうことをしている人を聞いたことがない。生きていくうえでひじょうに有益だったので何回かにわけて紹介する。
まずひとつめの忌み言葉は「忙しい」だ。
きっかけは、フィリピンに住んでいたころに考えたことだ。忙しい忙しいといっても、たとえば自分はスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツより忙しいのかといえばそんなわけがないのである。かれらはもっとさまざまな大きな決断に追われているはずだし、その結果大きな影響力を発揮しているのである。自分が忙しいといっても、彼らよりは非効率で影響力に寄与しないことで忙しがっているだけなのである。
そう考えてみるとくやしいではないか。ついては「忙しい」という言葉を封印することにした。いらい20年以上「忙しい」という単語をつかったことは5回以下である。(おもわず口をすべらせたことがあるためゼロではない)
効用はいくつもあった。ひとつめは「忙しい」と言いたくなったときにより具体的に事実を把握するクセがついたことだ。「来週は忙しいですか」とあいまいなことを聞かれても「忙しい」と答えることができないので、「来週は火曜日の午後と木曜日の午前が空いています」と応じるようになる。なんとなく忙しがるということをまったくしなくなった。
ふたつめには、自分が使わない言葉を他人がいかに軽率に使っているかがよくわかるようになった。たいしたアウトプットをしないのにいつも「忙しい」と言っている人がいるときは、なにかがおかしいとすぐに気がつくようになった。
みっつ目には、これは経営者をやるようになってからだが、いかに人々が「社長とは忙しいものだ」と決めつけて思考停止し、予断だらけの判断を勝手にしているかがよくわかるようになった。20年も続けているとこちらは「忙しい」(=とくに具体性はないが、時間がないと感じている)という概念が頭の中に存在しなくなってくるため、「社長お忙しいですよね?」ときかれても、「忙しいとはどういう意味で、なにを問うているのか?」という感想しかわかなくなってくる。なるほど人間はこんなふうに思考の枠を自分で狭めていくのだという格好の観察対象をしょっちゅう見つけることができる。
よっつめにこの単語を人々が使う頻度があまりに多いため、「忙しい」ことをこの国の人々がほとんど愛してしまっているということが分かるようになったことだ。「お忙しそうですね」と褒め言葉のように言ってくる人がけっこういるので、「ぜんぜん忙しくありません。ヒマです」と答えるようにしているのだが、あまりに続くので、どうもこの国の人は忙しいのはいいことなのだと思っているのだということに気づく。ひょっとするとこの国は生産性の向上など無理なのかもしれない。
忙しいのはまるっきりいいことではない。予定をパンパンに入れるのもよくない。他のものが入ってくる余地や余裕がなくなる。忙しいと言うのがクセになるとそれが魂に乗り移ってチャンスを逃す。新しいものを入れる場所は必ず開けておかなければならない。
だから、おれの予定はつねにぜんぶ空いているといっていいくらいだ。ものすごく重要なことがあれば、予定が入っていようとそれを押しのけて入れる。それだけの話なのである。親の葬式を休むやつはいない。
反対にどんなにヒマであるといったって、本を読んだりしているわけである。その時間は本よりつまらない予定は無視する。つまり空いている時間など人生にはまったくないといってもいいし、常にヒマであるといってもいい。本質的に、ものごとには優先順位があるだけなのだ。
「忙しい」という言葉は優先順位を決めるセンスを鍛える機会をすべて失わせる呪いの言葉である。
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