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実践研究者への道③‐続私の生きる道
過去には自分の目の前に3つの道があった。
1つは実践者の道、2つ目に政治の道、3つ目に研究者の道、その中で「私の生きる道」を定めた。今描く次の道はその延長線上でもあり独自の道でもある。
父は政治の道を選びそのことを尊敬はするものの自分はその道は選ばないと決めた。(選挙の時期になるとどこからともなくまことしやかに出るような噂がでるためそれを消すためにもあらためて自分の考えをまとめる。)
「富田」だけのことを考えれば、おそらく政治の道は施策を実現化するためにかなり有効な道。自分自身はなるつもりは全くないが、もし、他に適任がいて、議員を出すだけのバックアップ体制(人、財源など)が整えられるのであれば地域として出せるに越したことはない。自分が出ないことと地域における選択は別。
自分自身は毎年の旅の中でビジョンが拡張されていく中で、「富田」というふるさとに根づきつつも「全体の一助となること」をビジョンとして示唆されてきた。また、地域に根づきつつも多分野にかかわり視野を広げながら、全国へと飛び回ることに心が躍るし、元来、枠に縛られるのが苦手で自由人の自分にとっては性に合っている。「あり方」を決めるとき、自分の心も踊り、かつ全体の一助となる選択が大切だと思っている。
その中で政治家とくに政党色がついてしまうことは、自分にとっては自由に全国を飛び回り、かつ右から左まで党派を超えてさまざまな人たちとつながり、還していく際に足かせになる。(あくまで自分の考え)
また、宝塚市の人権審議会の委員などをさせてもらう中で、学識枠として参画することで施策そのものに影響できること(その責任含め)を感じてきた。研究者という肩書を有効に使うことによって、広く「全体の一助」となることができる可能性もこの間感じてきた。それは、富田に根づきながらも全体の一助となれる方法を教えてくれるものでもあった。
このことを踏まえて次に目指す道は「実践研究者」の道。実践と研究の往還をする道。
ただ、体は一つ、できることも限られている。また、この間、心が折れる経験を通して自身が次の場へ移行することで次世代へと移行し分担する道も見えてきた。
これも3年後ぐらいにはさらに次のあり方が見えてくるだろう兆しをすでに受け取っている。
険しい山を登り、頂上に到着しようとするころには次の道がいつも見える。