ブラック幼稚園に勤めていた話
3年制の専門学校を卒業し、晴れて幼稚園教諭1年目となった21歳の春。
初めて持ったクラスは年中児30人。
21歳の小娘が一人で30人を見る。本当に恐ろしいと思った。同期は年少児15人を補助パートの先生と二人で見ており、心底羨ましかった。
もちろん初めは、一人で見れるわけもなく、次から次へと保育室から脱走し、隣のホールで遊び始める。呼び戻そうと保育室から出ようものなら、せっかく室内にとどまった子達まで出ていってしまう。ホールへ脱走し、戻ってきた子の顔には引っ掻き傷ができていたり、怪我はないもののブロックを投げ合うは、窓の枠に上って飛び降りるは、とても目が離せる状態ではなかった。
翌日からは出入口を自分の足で塞ぎながら、絵本や紙芝居を、読み続け、手遊びをし続けた。絵本を読む口を止めることなく、脱走する子を逆の手で捕まえ、足で押さえながら全体の保育をした。本当に必死だったし、保育どころではなかった。無資格の知らないおじさんでもいいから出入口に立っていて欲しかった。
募集要項では、勤務時間は8:30~17:30と記載されていたが、朝の園バスの出発が8:00なのでそんな勤務時間はあり得なかったし、普通に7:00に出勤し毎日21:00頃まで残業しても仕事は終わらなかった。残業代は出なかった。
行事前になるとそれはそれは大変で、発表会であれば、台本、大道具、小道具、衣装、パンフレット、音楽、遊戯、指導、日々の導入…その全てを一人で行う。
発表会前の1ヶ月間は毎週末朝の5時まで残業し、準備に勤しんだ。
さすがに、行事前だけは残業代が出る。行事の1ヶ月前の月に6時間分だけ残業代と500円程度の弁当が週末につくのだ。
6時間… 一日の残業代としても足りなすぎる。
何をそんなに残業しているのかというと、まずは日々の保育の準備。
このブラック幼稚園は、とても良い保育をしていて、「子どもにやらせる」のではなく「子どもが自発的にやりたくなる」方法を考えていた。
活動に対する導入を大切にしていて、例えば、製作ひとつを取ってもただ作るのではなく、製作の見本が喋りだして「仲間がほしいからみんなも作って」と訴えたり、モチーフとなるような絵本を題材にし、絵本の最後のページに手紙が付いていて製作に誘う…とかそんな感じで毎日の保育を進めていた。
そのため製作の準備だけをすれば良いのではなく、題材となる絵本を探したり、手紙を作ったり、製作の材料をプレゼント風にまとめておいたりと、その時その時にアイデアを絞りながら準備をしていた。
その他には、各家庭に子どもの様子を伝える電話をかけていた。もちろん、怪我をしたりさせてしまったり、友達との喧嘩を解決できずに帰ったり…などはかける意味があると思うが、給食が嫌で少し泣いてしまった(すぐ泣き止む)とか、小さな指のささくれを気にしていた、とかそんなことでも一度泣いたら電話をかける暗黙のルールがあった。そして、「なるべく1週間でクラス全員に電話をする」という謎ルールもあったため、私のクラスだと1日に4~5人にかけないといけない。大体電話は一人あたり20~30分くらいかかるので、電話だけで2時間ほど費やす。
今思えばこれが一番無駄な仕事だった。
その他は書類関係だ。
年間指導案→期案→週日案、はもちろんだし、学期ごとの個人記録、年度末には指導要録(全学年)。毎月のクラスだより。そのクラスだよりには一年を通して1人ひとつずつ子どものかわいらしいエピソードを入れる。
何よりも大変なのは毎日の日案だ。
これは1年目の新人教諭のみ毎日書くもので、書いたものを毎日先輩教諭に指導をもらい、次の日の保育に活かす。2年目になるとなくなる。
日案というのは文字通り、1日ごとの指導案なのだが、これは
9:00 朝の会
9:30 戸外遊び
10:30 製作~
とかそんな大雑把なタイムスケジュールではなく、
9:00 朝の会が始まることを伝え、楽しい気持ちで集まれるよう手遊びをする
元気に返事がしたいと思えるよう「誰の声が素敵かな?みんなの声を聞いてみようね」などと声かけをし、挨拶や返事への意欲が高まるようにする
…など、たかが挨拶でこの量を書く。
なので1日単位だと平気でA4で10ページ以上書く。そして、日案なのでもちろん、毎日書く。
この過酷さを少しでもわかってもらえたら嬉しい。
新人だから、日案があるからと仕事を軽減してもらえることはなく(むしろ先輩の部屋の掃除とかお茶汲みとかは新人の仕事)、仕事の優先順位としては
①全体の仕事(掃除、会議など)
②保護者に関わること(電話など)
③学年の仕事
④クラス、個人の仕事
となるので日案に費やす時間はもちろん勤務時間中にはない。
ではいつやっていたのか、というと帰宅後に自宅でやっていた。
22:00に帰宅し、24:00に就寝。3:00に起きて日案を書き、7:00に出勤をしていた。
土日の休みはもちろん日案を少しでも書きためていた。
そんな生活をしていると、まず体調を崩す。土曜日に必ず発熱する。朝食を食べられず、何か口にいれれば朝から嘔吐。昼食は子どもたちの世話でほぼ食べられず。夜は食べる時間があるなら仕事したい。という状況で、毎日フラフラしていた。
自転車通勤しながら、とにかく休みたいと願っていた。親が死ねば少しは休めるだろうか、いや、1週間もすれば復帰しなければいけないだろう。自分が死ぬしかない…
自転車のまま早朝の道路に寝転がってみたり、目をつぶって急な坂を下ってみたりしたが、死ぬことはできなかった。
体調を崩して肺炎になり、2週間の入院になったこともあった。その時もまるで囚われたように、休む分の日案を書いていた。
絶対に書かなければいけない。絶対に休んではいけない。と囚われていたのだ。
こんなにこんなに、こんなにこんなに頑張って、総支給は147000円だった。
つづく。
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