見出し画像

【インドネシア】「英雄の街」で迎える英雄の日(Hari Pahlawan)

Selamat malam!
インドネシアからこんばんわ^^
2023年春、家族でインドネシアに赴任しました。
初めての海外生活も2年目です。


今日、11月10日はインドネシアの「英雄の日(Hari Pahlawan)」です。
英雄の日とは、インドネシアの独立戦争で戦った人たちを”英雄”として讃える日となっていて、学校や街でお祝いが行われます。

特に1945年11月10日は、私が今住んでいる街・スラバヤでオランダ軍との大きな戦いがあったようです。その戦いがインドネシア全土に独立の機運を広げるきっかけとなったとして、11月10日を「英雄の日」としてお祝いしています。そしてこの戦いが起こった街・スラバヤは「英雄の街(Kota Pahlawan)」と呼ばれています。


インドネシアの独立に関わった日本

この日を前に、BIPAの文化クラスで「英雄の塔」と「11月10日博物館」を訪れる機会がありました。博物館には、インドネシアの独立戦争に関する資料や写真が展示されていて、私たち以外にも沢山の子供達が見学に来ていました。

英雄の塔(Tugu Pahlawan)

インドネシアは独立宣言前に、日本の植民地だったこともあり、博物館には日本に関する記述や日本製の武器がいくつも展示されていました。

日本の旗が見える・・・

引率してくださった先生に聞かれたのは、「日本の視点からみたインドネシアの植民地時代やその後の話はどのようなものかということ。」インドネシアは約350年間オランダの植民地であったため、オランダと関連した出来事も多いが、インドネシア側の視点とオランダ側の視点にしばしば相違がある。3年間ではあるが、日本の植民地時代のことは日本ではどのように伝えられているか知りたいとのこと。

さて、私はなんて答えようか、、、、と拙い英語で伝えたのは、正直インドネシアの独立の歴史に日本が関わっていることを知ったのは、インドネシアに住み始めてからだということ。日本人としてその歴史は知らなかったと伝えました。(伝わったかな〜。)そして、逆に私が聞きたかったのは、インドネシアの人が日本人にどのような感情を持っているのかということ。これについては、オランダとも日本とも過去に対立の歴史はあれど、先生個人的には今はそれについて悪く思うことはないということでした。

日本ではインドネシアとの歴史的事実を学ぶのか?

日本とインドネシアの歴史を、私が認識したのは確かにインドネシアに住んでからでした。でも、本当に日本では学んでないのかな?私が覚えてなかっただけ??
と、ちょっと確信が持てなくなった私は、子どもの学校の教科書を読んでみることにしました。

読んだのは、小学6年生の社会と中学生の歴史の教科書。
そこに載っていたのは、インドネシアという個別の国ごとの事情ではなく、「東南アジア」という一括りの地域に対する日本の侵略やその国を通じて手にしていた資源についてでした。なるほど。この学び方では、インドネシアを一つの国としての認識はできなかったはずです。(しかも当時は「オランダ領東インド」と呼ばれていた。)そもそも、日本の教科書の中で多くのページをとっていたのは、やはり中国・韓国・アメリカとの関係でした。

うん。歴史って難しいですね。
その国にはその国の視点があって、地理的要因もずいぶんと影響しているはず。
全ての国の全ての事実が残っているとも限らなければ、100%理解するなんて無理な話なんだろうなと思います。

それでも、縁あってインドネシアに住ませてもらっているのだから、東南アジアという一括りではなく”インドネシア”と日本の歴史や関係性を知りたいと思う。そして、私が知ることのできたことは、少しづつでも言葉にして残していきたいと思います!!

2024年3月。さとゆみゼミ4期の仲間と共に始めたnote1000日チャレンジ
54投稿目。今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!