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看護の仕事の見える化          在宅医療偏 第8回                            12年間続いたAさんの訪問看護の鍵は「希望をつなぐこと」

1.     訪問看護ステーションいきいきらいふのご紹介
 熊本市南区にある訪問看護ステーションいきいきらいふは、事業開始から18年が経過しようとしています。当ステーションの運営母体は、医療機器販売卸のアイティーアイ株式会社であり、医療のネットワークと患者の希望に沿った自由度の高いサービスの展開がメリットです。自ずと、医療依存度や重症度の高い利用者様が多いのも特徴です。

いきいきらいふ訪問看護ステーションの皆様
いきいききライフ訪問看護ステーションの皆様(右:今回紹介する大坪しのぶさん)

2.     Aさんと共に歩んだ訪問看護師

 利用者Aさんとの出会いは、12年前でした。脳梗塞後、片麻痺があり、ほぼ全介助の状態で訪問診療と訪問看護が開始になりました。利用者のAさんとパートナーのBさんは、大恋愛によって一緒に暮らし始め、どんな時もお互いを思いやり、人生を共にされ、最期まで一緒にいることを選ばれました。そんなお二人と共に歩んできたのが、いきいきらいふの訪問看護師さんです。
 看護師は看護師が考えるAさんのQOLを追求し、リハビリをはじめ、様々な提案をしてきましたが、Aさんが首を縦に振ることはありませんでした。Aさんの優先度は常にBさんと一緒に過ごすこと、Bさんが幸せにいてくれることでした。そしてBさんの優先度も常に、Aさんが嫌なことはしないこと、Aさんの希望を叶えることでした。
そのようなお二人に接しながら、最初の頃の看護師は葛藤があったと言われます。なぜならば、私たち看護師は、少しでも健康な状態を目指し、利用者の生活の質、命の質を向上させたいと思うからです。
常に、看護師はお二人に寄り添い、意思を何度も確認していきました。常にお二人は気持ちを一つにされ、介護をされること、介護することを受け入れられたようです。そんな様子を見ながら看護師は、これでいいのだと思うようになりました。
 Aさんの状態が悪くなったのが、亡くなる1年前でした。利用者さんを苦しめたのが、左足の広範囲な壊死でした。療養の場を病院に替え、切断の必要性を訪問診療の医師より説明されましたがそれでもご本人の希望は、自宅での生活でした。何度も何度も繰り返し説明を行ってもAさんの気持ちは変わらず、パートナーのBさんも、最期まで一緒にいる覚悟をされたのでした。訪問看護の回数もこの時期より頻回になり、亡くなる前の1年間は、お二人との密な時間を過ごすことが多くなりました。Aさんの苦痛が強くなった時期、看護師は、お二人に処置の提案をしました。これまでAさんはBさんにしか処置を許していませんでしたが、看護師が一緒にする方が苦痛がないことを伝えると、AさんはBさんが苦労しないように、BさんはAさんが痛くないならとお互いを思いやる気持ちが一致し、受け入れてくださったようです。微に入り細に入り極めた技術の提供がされたことは言うまでもありません。いきいきらいふの看護師さんならではのチーム力が発揮されたと言ってよいでしょう。

利用者Aさん(右)とBさん(左)

3.     受け持ち看護師さんの看護観

 私は、デスカンファに参加した後に、受け持ちであった大坪しのぶ看護師さんと話をする機会をいただけました。
デスカンファレンスでは、様々な感想を聴くことができました。「二人は、一緒にいたかったのだろう。二人が頑張れたことがよかった」、「看護師も二人のチームに入れた」、「二人の愛が結果につながった」という看護師の気持ちが吐露されました。「二人のチームに入れた」という言葉は在宅ならではと考え深かったです。ともすれば、治療や介護が主体になる言葉を使いがちですが、私たちがお二人のチームに向かい入れてもらったというなんと素敵な言葉だろう。これが在宅医療、在宅療養なのです。よく、私たちは「患者中心」という言葉を当たり前のように使っていますが、病院では、治療方針に従うことが前提ですが、在宅医療は、真の「患者中心」と言っていいでしょう。
 さて、看護師の大坪しのぶさんにもどります。いきいきらいふの看護師さんが、スペシャリストとしての仕事をするのは日常的でそれを取り立てることはないのですが、大坪さんは、Aさんが亡くなる1年前に、極自然に、看護師の介入を許さなかったお二人に看護師に処置をさせてほしいという提案を行っていました。Aさんの苦痛を最小限にするためには、短い時間でケアをすることが必要と考えたからです。大坪さんは、お二人からの信頼も厚かったと思われますが、「生命力の消耗を最小限にする」という無意識的な看護の視点に基づいて行動していたことが読み取れました。
そのことは、インタビューの中での言葉にも表れています。大坪さんは当初、Aさんの生活の質を上げるためには、少しでもリハビリができればと思っていましたが、ことごとく拒否をされた時、「本人のいやがることをしていいのか?と思った」と言われました。嫌なことをすることが「生命力の消耗につながる」と自然に捉えていたのではないかと感じました。
 遡ること、大坪さんの「看護師として、忘れられない場面」から、今、大坪さんが大切にしている看護観に触れることができました。その場面は、看護師になる前に医療従事者として働いていた時の事例と、訪問看護師になってからのことを教えてくださいました。
 最初の事例は、がんの末期の患者さんが、看護師さんに「帰りたい。もう時間がない。今しかない」、「帰してほしい」と懇願されている場面を見て、親身に向き合う看護師さんはおらず、なぜ患者さんに向き合わないのかと思ったことを話されました。色々な背景はあったと思われますが、患者さんの希望は叶えることが大事なのでは思ったこと、特に「家に帰りたい人は帰してあげたい」と思っていると話されました。
 訪問看護師になってからは、利用者さんが亡くなる前、もう目も開けられない状態の時に、眼脂が気になり、きれに拭き取った後に「きれいになりましたよ、目を開けてみてください」と伝えると、利用者さんは目を開ける力はなく「ありがとう。目は見えないけど心の目で見えていますよ」と答えられたということです。その言葉に大坪さんは「研ぎ澄まされた感覚を利用者さんは持っている。見透かされている。上辺だけで関わってはいけないと思った。真剣に向き合わなければいけないと思った。」と話されました。
 看護師は誰でも忘れられない場面があります。今でも鮮明に覚えているその場面は、ずっと記憶に残り、自身の看護観として息づいています。大坪さんと利用者Aさんの中にも「希望を叶え」、「真剣に向きあった」日々の積み重ねが、12年間という年月につながり、希望であった、Bさんのそばで最期を迎えることにつながったのではないかと思います。

4.     在宅医療は希望をつないでいくこと

 Aさんの受け持ちである大坪さんの看護観を深堀しましたが、言うまでもなく、看護は一人ではできません。いきいきらいふ訪問看護ステーションの看護師、理学療法士の皆様の他、訪問看護ステーション以外のケアマネジャーをはじめとした在宅医療に携わるチームによってもたらせるものです。特に、医療依存度が高いAさんの治療を担当する在宅医療の医師の存在は必要不可欠のものでした。最後は、疼痛緩和がAさんの生活の質、命の質を保つために重要であり、疼痛緩和がもたらせたからこそ、在宅医療を存続させることができたと言えるでしょう。まさに家族とキュアとケアのチームワークでAさんの「希望をつなぐ」ことができた事例ではないかと思います。私はあえて、「希望を叶える」という点ではなく、「希望をつなぐ」という線を表現した言葉を使い、在宅医療の役割を紹介しました。点をつないでいくことの連続が在宅医療だと思うのです。今後も、家や施設で生活したいと希望する利用者に届くように紹介していきたいと思います。


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