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ただ、ああそうなんだねと
2024年の幕開けは、胃に鉛を落とされたような状態で、東京にいて実害のない私も苦しんでいます。
小学生の時、阪神淡路大震災が起きて地震が怖くて夜眠れなくなり、恐怖でひとり、誰にも言えず泣いている時期がありました。
地震で周りのみんなが死に、自分だけが生きていることを想像して怖くて仕方がなかったし、そんな地震が来るならいっそ死んだほうがいいと本気で思っていました。
その頃は東京でもあと10年もしたら大地震がくるんだと、先生にも言われていたしテレビでもやっていた記憶があります。
今思うと、PTSDのような症状だったようにも思えますが、その時も私の身に実害は起きていないので、時が経つにつれその気持ちは薄れていき、いつしか何事もないように過ぎていきました。
2011年、東日本大震災。
私はそれまで働いていた派遣社員を辞めてフラフラとバイトをしていた時期でした。
東京は震度5強、今までで一番揺れを感じたその日もバイト先にいて、バイト先の先輩は釜石市の出身だった。
休憩室のテレビで、先輩と2人、津波がきている映像を見た時のことは忘れられません。
そして2024年元日、地震が起きました。
思った以上に、阪神淡路大震災と東日本大震災での経験は、私にも根深く残っていたことに気づきました。
幸い、我が子たちは私のように今回のことに必要以上に怯えることはなく、日常を過ごしています。
実害を受けていない私がこんなに心を落としているのは、実際の被災者にとっても失礼だ、という思いもよぎりました。
早く日常をいつも通りに過ごし、笑うこと・経済を回すことが正しいのだと思いました。
でもね、それは違うんだよ。
それは、できる人がすればいいんだよ。
私も私でできる範囲で日常を過ごすし、Amazonの新春セールで必要なものを買ったり、子どもたちと遊んで笑い合ったりするけれど、胃にずっとあるこの鉛をどうにかしようとしなくていいんだよ。
自分の気持ちを自分が否定する必要はありません。
そしてその気持ちをどうにかしようとする必要もありません。
ただただ、「私は地震が嫌いなんだね。子どもの頃の出来事や東日本大震災での出来事から、どうしても気分は晴れないんだね」と自分の気持ちを理解してあげています。
地震が好きな人なんていないだろ、みんな苦手だろ、なんて思わないでください。
また、特に情報を追わない、ということもしていません。
あえて見ているわけでもないし、あえて制限もしていません。
すべて流れるままに受けています。
ただ感情を受け入れて、それを思考で理解してあげています。
鉛はまだあるけれど時間が解決してくれるのを知っているから、特にそこに入り込み過ぎず、ただ、ああそうなんだねと。
その気持ちをきちんと思考で切り離しているので、特に日常生活に支障はきたしておりません。
これは、今まで生きてきた中で培った処世術となっていて、今回の出来事に限らず私がよく使う手法です。
私はメンタルが強いのですが、苦手なものがないわけでもないし、こうやって落ち込まないわけでもありません。
それでいいんです。
いつも通りに見える誰かを、
いつも通りにできない自分を、
どちらも否定せずにいてください。
人それぞれ、どちらも間違っていません。
ちなみに、子どもは注意深く見ておきたいものです。
下記のツイートは参考になりました。
勇気を出して投稿します。長文ですが、皆様に知っておいてほしい事があります。ご容赦いただけますと幸いです。…
— 子どもの精神科看護師@こど看 (@kodokanchildpsy) January 2, 2024
時間しか解決しないことがありますが、一刻も早い回復を祈るばかりです。