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「社会の接点」がないと、人は壊れる。|辻村深月「盲目的な恋と友情」

大好きな小説家、辻村深月さんの「盲目的な恋と友情」を読んだ。

長編小説なんやけど、前半「恋」、後輩「友情」と別れている。

物語としては、大学以来の友人で、卒業後同居生活もする2人の女性が主人公。それぞれの視点が前半後半のストーリーとして綴られている。

前半はべつにいい。うん、別にいい。()

僕にとってぐりぐりぐり!と刺さったのは、後半の方だ。

後半「友情」の主人公は、傘沼留里絵。
小学校時代、クラスの男子・両親から見た目のことを言われ続け、容姿にコンプレックスを抱いていた。

中高はそのコンプレックスを忘れることができていた。
しかし、大学サークルの、大学生らしい、あの人間関係のやり取りを目に、コンプレックスが息を吹き返す。

キラキラしてて男ウケが良い「あっち側」と、男の目にすら入れてくれない「こっち側」。

線引きされた感覚を覚え、当時のコンプレックスが蘇る。

だから私は恋愛なんていらない。そう思っていた時に起こる出会いと、その裏切り。

彼女のコンプレックスの傷が少しずつ深くなっていく。

しかし、前半「恋」の主人公、蘭花の存在が留里絵をこの世に留める。

あまりにも理想的な容姿を持った蘭花には、嫉妬すら湧かない。それどころか、趣味が合って、立ち振る舞いも表裏ない彼女に、どんどん引き寄せられていく。
彼女のそばにいたいと、留里絵の気持ちが強くなる。「親友」であり続けたいと、強く、強く思い続ける。

「蘭花の『親友』でない私なんて考えられない。」

恋は盲目、という言葉があるが、この物語では「友情」も「恋」のように、いや、それ以上に盲目的になることを描いている。

その盲目さは最後、彼女が今まで受けてきた傷からとんでもないものが吹き出すことになる。

**

僕は「友情」を読んで、留里絵にとって、蘭花が社会への唯一の接点だったと感じた。

蘭花からの「親友」という称号を得ることで、留里絵は留里絵として社会で生きていける。

僕は、留里絵の感情にずっと揺さぶられ続けた。
だって、自分も「こっち側」の人間だと、大学時代ずっと思い続けていたから。

留里絵は、小学校時代に抱いたコンプレックスが、大学時代で吹き返したことで、自分と周りの人間との間に、「線引き」されたと感じた。

社会から断絶されたと感じてしまったのだ。だからこそ、社会と繋がれるきっかけが目の前にころがると、想像以上に期待してしまう。

でも、その期待は裏切られる。

相手にとってはさりげない事でも、留里絵にとっては特別なきっかけ。
この認識のギャップが、結果彼女の傷を深くする。

相手は何も悪くない。自分で自分に傷を付けただけ。

でも、人間関係において、期待を裏切られたという認識が、めっちゃくちゃ辛い。

僕も同じ経験を、何度も、何度も経験してきた。
彼女の傷が深くなるたびに、僕が過去に得てきた(自分で付けた)傷も疼いた。

物語のクライマックス、留里絵の傷からは、想像以上のどろどろした血が吹き出す。
読み終わった瞬間、背筋が凍った。

ただそれは、僕も留里絵のようになってしまった可能性が、無きにしも非ずだと感じたからだ。

でも僕は、今こうしてnoteを書いて、過去の自分を文章として綴ることができる。
普通に?生きている。

読み終わったあと、「なんで僕は、留里絵みたいにならなかったんだろう?」と思いを馳せた。

その瞬間、今でも僕の中で生きている、「社会との接点」があったことに気づいた。


陸上だった。
陸上を教えてくれた、中学校の恩師の存在だった。


厳しかったけど、その厳しさは、僕たちが社会を生きていくために大事なことを伝えてくれるためだった。

彼のおかげで、僕は一定の成果も出せた。彼のもとを離れて、高校では全国大会までもう少しという所までいけた。

恩師の存在を思い出した瞬間、涙がとめどなく溢れた。

彼のもとで陸上ができたことが、どんだけ僕の支えになっていたのか、改めて感じたからだ。

「感謝の気持ちを忘れるな!」
彼が毎日のように言っていた言葉。

感謝どころではない。僕は彼のおかげで今立っていられる、生きていられる。


本当に心の底から「ありがとう」と言いたくなったのは、人生初めてだ。

でも、、



今はもう、彼はこの世にいない。



ただただ悔しかった。
彼がいないことが「悲しい」とか、彼がまだいる間に、感謝の気持ちを言えなかった「後悔」とかじゃない。

わからないけど、ただ、ただ悔しい気持ちが、僕の中で強く芽生えた。


**


今僕は、Blind Up.という、働き方に悩んでいる当事者のためのチームを作っている。

7月にクラウドファンディング、今年中にはNPO法人化する予定。

僕がなぜ、この活動をしているのか、

当事者たちが「社会の接点」を持つことができるようにしたいからだ。

それは僕みたいな「陸上」でも良いし、「絵」や「営業」などの仕事関連でも良い。

でも、大事なのは、それらが他者に依存したものではなく、ちゃんと自分に根付いたものかどうか。
社会の接点を通して、当事者が当事者自身を、ありのまま社会へ投影できること。

そのためのサービス開発と、根底にある価値観「伴走」を、Webメディアを通して発信している。

これが僕とパートナーが心からやりたいこと。

今はまだ、関わってくれているみんなのおかげでなんとか動けている。
正直、あまり健全ではない。

だから、しっかり事業として回して、ちゃんとみんなに「感謝の気持ち」を伝えられるようにしたい。


それが、僕の中で芽生えた「悔しさ」を晴らす、唯一の方法かもしれないから。

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