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責任とは過去を“精算”すること
人は、絶えず変化する。
その変化はいろんな形があって、人にとっては、それを成長という言葉で表現することもある。
もし、何か目的があって、そのために習慣を変えたり、会う人を変えたり、もしくは仕事を変えたりする人もいるだろう。
その時、周りの人たちは、自分の変化を称賛してくれることもあれば、嫉妬の表れとして非難することもあるだろう。
その周り人たちの態度に対して、どう反応するかが、本当に変化したかどうか、問われるんじゃないかと思った。
僕は今、自分の人生の出口のために、環境を変えて、必死に学んでいる。
そんな最中、自分の中で大きな変化があった。
ちょっとした雑談も含めて、相手の発言に「どういう意図で言ってくれてるんだろう?」と考えられる余裕が生まれたのだ。
今まで、言葉のまま反射的に自分が思ったことを話すことが多かった。
特にひと昔前はその傾向が顕著で、コミュニケーションが成立しないことがあった。
そんな変化を感じたゆえに、一つの気付きがあった。
人は、想像以上に感情的な発言が多い、ということだ。
本来の意図を、感情というオブラートで覆い隠す方法を頻繁に取るのだ。
実際の発言と本当の意図に乖離が生まれてしまう。
僕にとって、この気付きを得られたのはとても大きい。
僕自身も、ある意味感情的なコミュニケーションを強く取っていたと分かったから。
そして、その気づきがあったゆえに、感じたこともある。
「ちょっと、返すの面倒…」だ。
発言の意図が汲み取れず、かつ感情が強い発言が来た時に、反応に困るようになった。
これだけだと、めちゃくちゃ偉そうなことを言っちゃってるんだが、僕が本当に言いたいのは、そこじゃない。
そんな状況を作ってしまったのは自分が原因
ということだ。
相手が感情的な発言をしても良いって判断してしまうような姿勢、振る舞い方をしていた、ということ。
自分のしてきたことが、巡り巡って自分に返ってきただけ。
それを実感したのだ。
だから、面倒だと思ったまま、逃げたり、切り捨ててしまうと、本当に変化、成長したとは言わないじゃないか、と思ったのだ。
そのような状況を作り上げてしまったことを受け入れ、責任を取る。
”精算”する義務があるんじゃないかと。
要は、過去の起きたことは、少なからず自分に原因があって、それを受け入れる必要があるということ。
それが出来たら、本当の意味で変化、成長できたという証になるはず。
立つ鳥跡を濁さず。
本当に変化していきたかったら、自分が作った「過去の遺物」を、しっかり精算してから、進めていく必要があるんじゃないかな。