ツルでもガキでもわかる、アラン・ドロン主演作『太陽がいっぱい』の解説【決定版!】<中編>
さて、前編で提示した謎を解き明かしていこう。
よっ!待ってました!
ディッキーからフィリップへの名前の変更、そしてNYからSFへの場所の変更…
名匠ルネ・クレマンが仕込んだ「神と子と天使」の愛憎物語の仕掛けを説明するよ。
そもそもパトリシア・ハイスミスの原作自体もそうなんだけど、この頃の小説は聖書をストレートに題材にしたものが多い。今みたいに情報があふれている時代じゃないから、訴えたいことを多くの人に理解してもらうためには聖書の物語を引用するのが一番なんだ。
ちなみにこの原作小説が書かれた1955年といえば、ジェームズ・ディーン初主演作『エデンの東』が大ヒットした年だ。原作者のスタインベックは、聖書の創世記の物語を20世紀初頭のアメリカ社会に当てはめた。エリア・カザンが手掛けたこの映画では「カインとアベル」のテーマに絞ったストーリーだけどね。
当然パトリシア・ハイスミスもこの作品に大きな影響を受けたはずだ。父の愛を独占するために争う兄弟という物語を、愛憎劇のベースに使った。
イケてないくせに羊を捧げたおかげで父から後継ぎに指名されるアベルを、自分のほうが賢くて後継ぎに相応しいって思ってるカインが殺しちゃうんだよね。
そやな。聖書における羊が『エデンの東』では女になっとる。そういや『太陽がいっぱい』でもアホボンには女がいて、賢い方にはおらんな。あと、どっちの映画でも、アホボンが女といちゃつくとこを賢い方が覗くシーンがある。そんでもってアホボンは死んで、賢い方がその女を奪う。まったく同じや。
そう。そして殺されるアホボンの父は造船業を営む大富豪グリーンリーフ氏だ。
「船」と「グリーンリーフ」って言ったら、何を思い浮かべる?
グリーンリーフちゅうたら緑の葉っぱやな。緑の葉っぱと船…?
ノアの箱舟だ!
その通り。
そして放蕩息子のアホボンが女とシケ込んでいるのが、イタリアのモンジベッロという町だ。これは物語の中の架空の町なんだけど、モンジベッロとはエトナ火山の古い呼び名なんだよね。シチリア島にあるヨーロッパ最大の活火山だね。
そしてこのモンジベッロが大噴火を起こした際に大津波が発生し、それがノアの洪水となった…という説があるんだよ。
つまり、舞台設定がすでに旧約聖書の世界そのまんななんだ。
ほう
『太陽がいっぱい』の原作であるパトリシア・ハイスミスの『The Talented Mr. Ripley』を超速&超訳でまとめると、こうなる。
父なる神の寵愛を妬んでいたユダはイエスを殺害してイエスになりすます。そうして神の子の座を奪うことに成功したユダは、愛するペテロを連れてmy神殿を建てにローマへ旅立つ。しかし途中で自分の過去がバレそうになり、ついにはペテロの命までも…
へっ?
ハイスミスは、創世記の物語を新約の世界にスライドさせたんだ。新約聖書ってのは、旧約の美味しいところをイエスひとりに集約して再編集したものだからね。
1950年代当時、同性愛は明確に罪だとされていた。同性愛を獣姦や肛門性交と共に法律で厳しく禁止している国もたくさんあったんだ。神の意思に背く悪の行為だとね。パトリシア・ハイスミスも自身の同性愛について苦悩していたことだろう。だから聖書きっての罪人ユダと自分を重ね合わせた。そしてイエスを殺し、ユダを生き残らせたんだ。新しい時代がやってくることを願って。
なるほどな。ワイも「ツルのくせに」って差別に苦しんだ狂言作家や。わかるで、その気持ち。
この小説は、保守的なアメリカよりも進歩的なフランスで人気になってね。フランスは当時「最も進んだ価値観」を持っていたんだ。他の国が80~90年代になって合法化した同性愛を、フランスはフランス革命後に非罰則化していた。だから映画化も、ハイスミスの本国アメリカじゃなくてフランス人が真っ先に手をあげたんだ。
ところが、大変な事態になってしまった…
な、なに?
保守派がこの「進歩的価値観」に待ったをかけたんだ。「同性愛は国家の危機だ!」と叫んでね。そうして1960年、フランス議会で同性愛を社会悪とする法律が可決されてしまった。アルコール依存症や売春と同様に更生対象だと…
1960年っちゅうたら、『太陽がいっぱい』が公開された年やんけ…
そうだ。そんなわけで、ルネ・クレマンは原作通りに映画化することができなくなった。ちなみにこの法律が廃止されるのは1981年のことなんだよ。
自由の国フランスもいろいろあったんだね
まあ、表現の自由や社会道徳問題に限らず、人気原作の映像化ってのは今も昔も大変なものさ。短編やライトノベルとか、最初から映像化を想定して書かれようなたものならいいんだけど、作家ががっつり書いたものを2時間の映像にするのは至難の業だからね。エリア・カザンの『エデンの東』だって、スタインベックの原作の一部分を再構築したものだ。しかもヘビーなテーマを扱ってるとなると余計難しい。
そこでルネ・クレマンは考えた。共同脚本のポール・ジェゴフとね。どうにかして映画化できないものかと。
そうして生まれたのが、ホモセクシュアルという重要なテーマが排除されたのにもかかわらず、愛憎物語として成立し、娯楽作品としても楽しめる映画『太陽がいっぱい』なんだ。
なるほどな。で、「ディッキーからフィリップへ」と「NYからSFへ」の2つの変更の謎は?
簡単だよ。
フィリップに名前が変わったのは、イエスの弟子である使徒フィリポを想起させるため。そして出身地がサンフランシスコに変わったのは、アッシジの聖フランシスコを想起させるためだ。
な、なんやて!?
えっ!ナンボクは意味がわかったの?
おいら、何のことだかさっぱりわかんない…
ワイもわからん。とりあえず驚いてみたんや。
クレマンは映画化にあたり、さまざまな仕掛けを加えた。この、名前と場所の変更がそうだ。そしてもう一つ重要なアイテムを加えた。
それが、フラ・アンジェリコの画集だ。
ローマでフィリップがトム・リプリーに買いに行かせ、恋人のマルジュにプレゼントした画集やな。あれ重要なん?
重要なんてもんじゃない。
画集にあるアンジェリコの『受胎告知』という絵は、映画『太陽がいっぱい』の全てだと言っていい。
マジで!?
本当だとも…
これが映画の中に出てくるフラ・アンジェリコの『受胎告知』だ
この絵にどんな謎が隠されてるんや…
そして名前と場所の変更とは…
ああ!もう待てへん!
おかえもん!早う謎解きせえや!
ふっふっふ。焦るな、ナンボクよ。
しかしなんだか腹がへってきたな…。
おっと、もうこんな時間じゃないか!そろそろ晩飯にしよう
てことで…
謎解きはディナーのあとだ!
ずこっ!