ツルでもガキでもわかる、アラン・ドロン主演作『太陽がいっぱい』の解説【決定版!】<vol.3>
さあ、いよいよ謎解きをするよ。
ここまで来るのに随分時間かかったな。ちなみに前編はコレ、中編はコレや。
オイラわくわくすっぞ!
まず最初に「ディッキーからフィリップ」名前変更の謎から行こう。
原作の壮大なドラマを約2時間という映画の尺に収めるのは大変だ。映画を観る人のほとんどは原作を知らない。だからと言って登場人物の背景をいちいち説明的に描写するわけにもいかない。しかも、原作の同性愛要素を消すために、人物設定に様々な手を加えなければならない。
わかる。時間とか文字制限とか表現方法とか何も気にせんで、どんだけ自由に作れたらええかって、いつも思うわ。でも、いろんな制約がある中で、ええもん作れるのが本当のプロやねんな。
そうだね。そこでルネ・クレマンが考えたのが、名前と地名で想起させる方法だ。
彼は大胆にも、ディッキーをフィリップに変えた。映画を観る人に、使徒フィリポのイメージを持たせるためにね。
原作知ってる人は、さぞかし驚いただろうね。準主役の名前が違うんだもん。しかも男が惚れるくらいの美男子キャラだったのに。
そうだね。実は映画化プロジェクト開始当初は、イケメンのアラン・ドロンがディッキーを演じる予定だったんだ。でも脚本の大幅変更により、トム・リプリー青年が美男子となった。そしてトムをアラン・ドロンが演じることになったんだ。結果としてこれが大成功になるんだけどね。
全世界の腐女子はガッカリしたやろな。その頃おったかどうかは知らんけど。
で、使徒フィリポってどんな奴やねん?
12使徒の中におけるフィリポの役割を一言で言うと「親から見て出来の悪い息子」だね。聖書の中で彼はかなり愚かに描かれている。二度もイエスや他の使徒たちをKY発言でドン引きさせているんだ。
二度も!?
そう。まず一度目のドン引き発言は、
「パンと魚」事件だ。
5千人のファンが集まった野外フェスでの事件やな。
そうだ。5千人もの人々が集まる大イベントだったのに、なんと食べ物が「パン5個と魚2匹」しか準備してなかったという歴史的大事件だね。
しかし、後にわかったことだが、それは運営サイドの作戦だったらしいんだ。
えっ?作戦?
運営サイドは、このイベントでイエスをスーパースターにしたかったんだ。旧約聖書の預言を実現させるミラクルマンだってね。
具体的に言うと、旧約聖書の申命記にある「人はパンのみに生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という言葉を、5千人の前で実演しようとしたんだ。わざと食べ物を足りない状態にしてね。
そして本番前、フィリポに対して確認テストをした…
「これだけで人々を満たすには、どうしたらいいだろう?」
さて、イエスは当然フィリポの口から申命記のセリフが出てくると思っていた。これまで散々彼らに口を酸っぱくして教え続けてきたからね。荒野での修行中に悪魔から「そこの石コロ拾うて、パンに変えて食うたらええ」って誘惑された時、このセリフで撃退したっていう武勇伝を。
フィリポのアホボンは、何て答えたんや?
彼はこう答えた。
「5つのパンと2匹の魚を5千人で分けると…、ちょびっとずつになります!」
ドリフの学校コントやな
使徒たちはズッコケ、イエスは呆れて何も言えず本番に向かったそうだ。
そして二度目のドン引き発言は、最後の晩餐の時。
題して…
「じゃあ今すぐここでお父さんに会わせてください!」事件だ。
なにそれ?
最後の晩餐のクライマックス、弟子たちを前にしてイエスが宣言した…
「君たちサヨウナラ。私はもうすぐ死ぬでしょう。天の父のもとへ帰ります。そして今後すべての人間は、私を通じて父に会うことになるのです。私を知るということは、父を知ること。私を見る者は、既に父を見ているのです…」
歴史に残る感動のシーンだ。しかしここで、またもやKYフィリポがドン引き発言をかましてくれた。
「じゃあ今すぐここでお父さんに会わせてください!」
ええでええで。好きや、このアホボン
さすがのイエスもこれにはキレた…
「フィリポよ…。こんなに長い間一緒に過ごしたのに、なぜお前は私の教えを理解できないのだ?私を見る者は父を見るのだ。わかるか?私の中に父がいて、父の中に私がいるのだ。つまり、今お前の目の前にいる私が父なのだ!」
なんかそういう映画あったよね…
あっちはルカや。
まあこんな具合でフィリポは、イエスの親心のわからぬ弟子として聖書に描かれているんだ。大富豪のアホボンにぴったりの名前だね。
でも、海外の人の名前にフィリップさんって多いよね。なんでこんなアホボンの名前をわざわざ付けるんだろう?
フィリポはね、バカが付くくらい素直なんだ。思ったことを言わずにはいられない。でもそのおかげで、最後にイエスから重要な言葉を引き出したんだよね。神と子が同格であると。
それがのちに「三位一体」信仰の土台になるんだ。
ところで、欧米では「質問すること」を大切にするよね。何も言わないことよりも、どんな下らないことでも発言することが大事、みたいな。わかったつもりになってるよりも、何でもいいから質問しろって。
たぶんこれはフィリポから来ていると思うんだ。
スティーブ・ジョブズも言っとったな。「愚かでいろ」て。
そしてイエスは死に、復活して、また昇天した。
弟子たちは散り散りになり、真っ直ぐなアホボンだったフィリポは、各地の異教徒たちをイエスの教えに帰依させることに異常なまでの情熱を注ぐ。敵地へ乗り込んでは、片っ端から偶像を破壊して回ったらしい。しかしその傍若無人ぶりが反感を買い、ついには異教徒たちによって処刑される。いつも行動を共にしていた二人の娘と一緒に。
偶像…、傍若無人…、二人の娘…
なんか映画にも出て来たような…
殺されるもう一人の男フレディは、きっと晩年のフィリポのキーワードから作られたキャラクターだね。冒頭シーンで二人の女性を引き連れていたし。ちなみにひとりはアラン・ドロンと当時付き合っていたロミー・シュナイダーのカメオ出演だ。
きっと脚本を考えてたルネ・クレマンは、主人公トム・リプリーのトムって名前を活かすためにフィリップを選んだんだろう。
なんでや?
トムというのはトーマスの略称だ。そしてトーマスと言えば、使徒トマス。使徒トマスはフィリポに負けないくらいのダメ弟子っぷりで有名なんだ。”疑心トマス”ってあだ名があるくらいにね。そして彼が引き起こしたKY事件とは…
「僕は復活など信じない!」発言事件だ。
そこ否定したらアカンやろ、弟子的に!
いったい何があったんや?
イエスの死から数日後、トマスは弟子たちの集まりに行ったんだ。するとみんなが「復活したイエスを見た!」って盛り上がってた。トマスは焦ったね。自分ひとりだけが見てないんだから。そして思わずこんなことを叫んでしまった。
「僕は復活など信じない!あの方の手と腹の傷を触って確認するまでは絶対に信じない!」
って…
こどもだね
そしてその数日後、トマスはまた弟子たちの集会に行った。すると今度は集会所にイエスが現れた。
「トマスよ、ほれ、私の手が見えるか?腹の傷もあるぞ。ほら、この傷の中にお前の指を入れてごらん」
ホラーやな。ワイの好きな世界や。
『ヨシュア怪談』でも書いたろか。
いいね、夏の特別企画だな。
さて、トマスは恐る恐るイエスの手に触れ、腹の傷の中に指を入れた。そして「ごめんなさい、我が主よ、我が神よ!」と詫びた。そしてイエスはこう言った…
「疑わずに信じてくれてたら超嬉しかったのになあ…」
その後トマスはインドへ自分探しの旅に出かけ、布教活動をしながら最後は殉教したということだ。
フィリポもトマスも、親泣かせだね。フィリップとトムにぴったりだ。
で、サンフランシスコと『受胎告知』は?
もう疲れたな。また次回にしよう。
そのセリフ、あと2回はあるとみた