ツルガキ太陽がいっぱい

ツルでもガキでもわかる、アラン・ドロン主演作『太陽がいっぱい』の解説【決定版!】

まいど!ワイは鶴や!ツルヤナンボクや!

ええじゃろうだよ!

やあ、君たち。今回はアラン・ドロンの代表作『太陽がいっぱい』の話だ。

アラン…ドロン…?誰?

ええじゃろはんはガキやさかい、アラン・ドロン知らんのやな。

アラン・ドロンちゅうのは、1960年代から80年代にかけて一世を風靡した元祖イケメン俳優や。当時の日本での人気は、ほんまドエライもんやったで。全盛期のキムタクとヨン様を足した以上の存在やった、マジで。

『太陽がいっぱい』っちゅう映画は、そのドロンはんが一躍大スターになった出世作や。1960年公開当時、ドロンはんは25歳やったかな。

これや。

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へえ…。でも、なんで今頃になってそんな古い映画を紹介するの?

実はね、80代に突入したアラン・ドロンが、ついに引退するっていうんでニュースになったんだ。

スターチャンネルでも一年間にわたって50作品以上を放送するっていう大特集が組まれてね。あらためて過去の名作を観る機会を得たんだよ。

へえ。

そして、何気なく観た『太陽がいっぱい』に、すっかりやられちまってね…

映画冒頭から、すっかり画面に向かって前のめりになるくらいに(笑)

まさに釘付けだ。もう叫びたい気分だったよ…

なんてこった!ルネ・クレマンは天才だ!

ってね。ちなみにルネ・クレマンってのは監督&脚本の人だ。

そこまで!?

どうゆうこっちゃ?

単刀直入に言うと、『太陽がいっぱい』という映画は全く異なる2つの物語からできているんだ。

表向きの物語は、主人公リプリー青年が富豪の息子になりすまし、財産を奪おうというサスペンスドラマ

そして隠されたもう一つの物語が「神と子と天使」の愛憎悲劇だ。

神と子と天使でっか?

確か淀川長治はんは「『太陽がいっぱい』はホモセクシャル映画の第1号や!」って言うとったで。

そんで吉行淳之介はんをやり込めてた。「作家なのに気付かんのはアカンで」ってな。

影響力のある淀川さんの思い入れの強すぎる見立てが定着してしまい、この映画は「メジャー映画におけるホモ映画第1号」という妙な肩書がついてしまった。

淀川さんの見立ては、間違っていたというのに…

なんやて!?

原作では確かにホモセクシャルを描いているんだ。でもクレマンは、映画化にあたって同性愛要素を排除した。

そして登場人物も大幅に作り直し、犯罪ドラマと「神と子と天使」の愛憎物語とが表裏一体になるように再構成したんだ。

そんなに原作いじったら、原作者は怒るやろ?

そうだね。原作者のパトリシア・ハイスミスもかなりのショックを受けたらしい。実はパトリシア自身、同性愛者でね。彼女の作品では同性愛が重要なテーマになることが多いんだけど、そこを変更されたんだから面白くないに決まっている。

でも、1960年では仕方がなかったんだ。まだおおっぴろげに同性愛を描ける時代じゃなかった。パトリシアだって、それくらいはわかっていたはずだ。

この映画の原作『The Talented Mr. Ripley』を発表する3年前の1952年、彼女は自伝的小説『The Price of Salt』を書いたんだ。自身の体験に基づいた同性愛の作品だ。でも、さすがに本名では出せず偽名で発表したんだ。女性の同性愛、しかも不倫だなんて、とてもじゃないが世間的には許されない時代だったからね。

おとなの世界って大変なんだなあ…

パトリシアが『The Price of Salt』を自分の作品だと公にしたのは1990年のことだ。1995年に彼女は亡くなってしまうんだけど、2015年には『キャロル』というタイトルで映画化された。

おお、話題になったな、その映画。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラや。

さて、『太陽がいっぱい』の話に戻るよ。

全く別の物語に書き換えられた映画の大ヒットで、彼女の作家魂に火が付いたんだ。そりゃそうだよね、自分の書いたストーリーよりも、大幅に書き換えられたクレマン版のほうが有名になってしまったんだから。

しかも驚くことに、クレマン版は原作と違い、完全犯罪を失敗させてしまった!

えっ…。そんなとこまで変えてしまったの…?

二人も殺してるから、おそらく終身刑か死刑だよね。

原作者としてはたまらんな、自分のキャラを勝手に殺されてもうたら…

そこでパトリシアは映画公開から10年後、1970年に続編を発表した。『太陽がいっぱい』の呪縛を打ち破ってね。そしてそれが「トム・リプリー」シリーズとして全5作の人気シリーズになったんだ。

1999年には第1作目が再び映画化された。今度は原作に忠実な映画化だ。それがマット・デイモン主演の『リプリー』だね。

おお!マット・デイモン演じるトム・リプリー青年が、ジュード・ロウ演じるディッキーに惚れてしまうホモセクシュアル映画やな!

…ん?ディッキー…?

『太陽がいっぱい』では、確かフィリップやったよな?殺されるアホボンの名は…

そう。その通りだ、ナンボク。

原作ではディッキーだったんだけど、『太陽がいっぱい』ではフィリップなんだ。

なんで変えたんやろ?

トム・リプリーはそのまんまで、彼女の名前もマルジュで同じや。なんでディッキーだけ?

しかもディッキーもトム・リプリーもニューヨークから来たはずやったで!ディッキーのパパもニューヨークや!

でも『太陽がいっぱい』ではニューヨークやのうてサンフランシスコって言うとったな!

なんでや!?なんの意味があるんや!?

ディッキーからフィリップへの名前の変更、そしてNYからSFへの場所の変更。これこそがクレマンが仕込んだ「神と子と天使」の物語のキーなんだ。

ど、ど、どうゆうこっちゃ?

それはね…

次回にしようか、長くなっちゃったんで。

またかっ!


中編につづく…


『太陽がいっぱい』(HDリマスター版)スターチャンネルでの放送日はこちら

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