「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉒&読みたいことを、書けばいい。」(第248話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
現われたのは、猿。
もちろん神が投影された存在だ。
ここから二匹の猿による、謎めいたやり取りが始まる…
光の中を空から降りてきた「彼」と呼ばれる猿は、「カシの木」つまり「カミの木」を「おれの木だ」と主張します…
「それは、おれの木だ。」
崖を降りつくした彼は、そう答えて滝口のほうへ歩いて来た。私は身構えた。彼はまぶしそうに額へたくさんの皺をよせて、私の姿をじろじろ眺め、やがて、まっ白い歯をむきだして笑った。笑いは私をいらだたせた。
「おかしいか。」
「おかしい。」
ここも何か不自然な感じ・・・
太宰のジョークだよ。
「私を見て彼は笑った」というのは「私をイサクだね彼は言った」という意味。
は?
あっ…
ヘブライ語の「イサク」という名前は「彼は笑った」という意味…
そして、父アブラハムによって生贄にされた子イサクは、父なる神によって生贄にされたイエスの「予型」でした…
『イサクの燔祭』
ローラン・ド・ラ・イール
うふふ。この絵といえば…
カール・ハインリッヒ・ブロッホの秘密、知ってる?
カール・ハインリッヒ・ブロッホの秘密?
何ですか、それは?
数多くの名画を残したことで知られる19世紀の画家カール・ハインリッヒ・ブロッホは…
17世紀の巨匠ローラン・ド・ラ・イールの肩の上に乗った…
えっ?
ド・ラ・イールの『イサクの燔祭』に描かれる「イサク、アブラハム、天使、羊」をバラバラにして並べ替えると…
ブロッホの『ゲッセマネの祈り』になるのよ…
げえっ!
なんと…
で、でも『ゲッセマネの祈り』には「羊」は描かれてないでしょ?
それが、描かれているんだよ…
イエスの背後の暗闇の中に、「それ」が見えるだろう?
うそ…
見えますね… 確かに子羊が…
巨人の肩に、乗りまくり(笑)
だけど、これが人間の営みというもの。こうやって人は歴史を積み重ねてきたの。
元ネタのないアートなんて、絶対にない。
ゼロから1が作れるのは、クリエーター、つまり神だけじゃな。
それでは『猿ヶ島』に戻りましょう。
まず「彼」と「私」は「海」について語り合う…
彼は言った。「海を渡って来たろう。」
「うん。」私は滝口からもくもく湧いて出る波の模様を眺めながらうなずいた。せま苦しい箱の中で過したながい旅路を回想したのである。
「なんだか知れぬが、おおきい海を。」
「うん。」また、うなずいてやった。
「やっぱり、おれと同じだ。」
これって「海を渡る奇跡」のことですよね?
その通り。
『ヨハネによる福音書』には、イエスのこんなセリフがある。
「トーラー(モーセ五書)とは私のこと。モーセは私を書いたのである」
だからイエスも歩いて海を渡った。トーラーでは海底だったけど、その上を行くために水上を。
「せま苦しい箱の中」って、契約の箱アークのこと?
そうだね。
神の言葉「十戒」は、契約の箱に入れられて運ばれる。
「私は滝口からもくもく湧いて出る波の模様を眺めながらうなずいた。」は?
マンテーニャの『磔刑図』に「もくもく湧いて出る波の模様」なんて描かれてる?
『Crucifixion』Andrea Mantegna
描かれているよ。
それを見たから「私」は「契約の箱」や「海を渡ったこと」を思い出したんだ。
つまり「私」は「十戒の石板」を見たんだよ…
え?
「ひとすじの細い滝」とは「十字架を流れ落ちるイエスの血」のことだった…
その「滝」の下には「波の模様」をした「石板」が描かれている…
まあっ…
旧約がすべて成就され、新しい神との契約の時代が始まる…
それを表すために、十字架の根元に「アダムの頭蓋骨」と「モーセの石板」が描かれているのよね…
太宰という人は、本当に絵の性質をよく知ってる…
フィオ、感動しちゃった。
そして「彼」は「私」にこう言った。
「ふるさとが同じなのさ。一目、見ると判る。おれたちの国のものは、みんな耳が光っているのだよ。」
おれたちの国のものは、みんな耳が光る…
なぜ「耳が光る」のでしょう?
簡単だよ。
イエス・キリストによって「神の国」が約束された人たちは、「耳の周り」つまり頭部の周囲が光って描かれる…
かたや、そうでない人たちは、光っていない…
なるほど。うまいわね太宰。
じゃあ、次のこれは?
絵の中に、こんなことしてふざけ合ってる人たちなんて、いないでしょ?
というか、そもそも「神」自体が描かれていないし…
彼は私の耳を強くつまみあげた。私は怒って、彼のそのいたずらした右手をひっ掻かいてやった。それから私たちは顔を見合せて笑った。
これは、直接描いてはいけないとされていた「神」の姿をモロに描いた、この有名な絵のことだね。
『アダムの創造』ミケランジェロ
なるほど。確かに見えるわ…
「いたずらしようとした右手を引っ掻いてる」ように…
だから田辺聖子は『ジョゼと虎と魚たち』で、この絵をネタに使ったんですね…
ジョゼが父の背におんぶされて、頭から上着を被せてもらった記憶とか…
だけどジョゼのその記憶が、テレビの野球中継で見た「にわか雨に降られて、あわてて新聞紙を頭に乗せた人」の記憶と混ざっていたとか…
その通り。
田辺聖子も太宰治の背に乗ったんだよ。『猿ヶ島』を元ネタに『ジョゼと虎と魚たち』を書いたんだ。
さて、「彼」とふざけ合った「私」は、周囲を見渡してみる。
すると丘の上に「おれたちと違う猿」つまり「耳が光っていない猿」がたくさんいることに気付いた。
これはマンテーニャの『磔刑図』に描かれている、ローマ兵やユダヤ人たちのことだね。
そして二匹の猿は、また「木」について語り合う…
私は彼に囁ささやいた。
「ここは、どこだろう。」
彼は慈悲ふかげな眼ざしで答えた。
「おれも知らないのだよ。しかし、日本ではないようだ。」
「そうか。」私は溜息ためいきをついた。「でも、この木は木曾樫のようだが。」
だけど「彼」は「木曽樫ではない」と否定したわ。
当然だ。これは「木曽のカシ」ではなく「基督耶蘇のカミ」だから。
なるほど。
そして「彼」は、丘の上の「木」について説明する。
「春から枯れているのさ。おれがここへ来たときにも枯れていた。あれから、四月、五月、六月、と三つきも経っているが、しなびて行くだけじゃないか。これは、ことに依ったら挿木(さしき)でないかな。根がないのだよ、きっと。あっちの木は、もっとひどいよ。奴等のくそだらけだ。」
「根のある木」ではなくて「挿し木」だと言っちゃってます…
しかも「あれから、四月、五月、六月、と三つきも経っている」とも…
「あれから」の「あれ」って、十字架が立てられた日のことよね?
イエスの磔刑って四月の中旬とかじゃなかった?
エピローグで言及されるように、これは「1896年」の出来事。
この年の復活祭(イースター)は4月5日だった。
つまり、イエスが十字架に掛けられた日は「4月3日」ということになる…
太宰はそれを踏まえて書いていたんだよ。
そのための「1896年」だったの?
いや。「1896年」には、もっと重要な意味が隠されている。
それは最後に解説するとしよう。
さて、「彼」は突然、自分の故郷のことを語り出した。北国にある海峡の近くの故郷の話を。
「私」は思わずつられて、自分のことを語り始める。
私もふるさとのことを語りたくなった。
「おれには、水の音よりも木がなつかしいな。日本の中部の山の奥の奥で生れたものだから。青葉の香はいいぞ。」
「日本の中部の山の奥の奥」って言い回し、何だかアヤシイです…
その通り。
太宰は「中部」という言葉を出しておきたかった。重要な伏線として。
伏線?
それも後で話す。
ちなみにヤン・マーテルは、この「日本の中部の山の奥の奥」を…
「飛騨」だと思ったんじゃないかしら?
Yann Martel
確かに位置的には飛騨のあたりでしょうが…
なぜですか?
だからヤン・マーテルは、突然チバに「日田」の話をさせたのよ。
日田に住む盆栽好きのおじさんが持っていた、信じられない「木」の話を…
映画版ではカットされちゃったけど(笑)
なるほど…
「飛騨」と「日田」は、木材で有名なだけでなく、響きもよく似てますね…
それに「日田」という字は「十字架」を書く工程だったでしょ?
あっ、そうでした。
そして「彼」は、股を開いて「赤黒い傷跡」の話、つまり割礼を説明し…
「私」はそれを「知らなかった」と謝る…
「彼」は「私」を許し、この木を「ふたりのもの」にしようと言った…
その瞬間、事態は思わぬ急展開を迎える。
霧はまったく晴れ渡って、私たちのすぐ眼のまえに、異様な風景が現出したのである。青葉。それがまず私の眼にしみた。私には、いまの季節がはっきり判った。ふるさとでは、椎(しい)の若葉が美しい頃なのだ。私は首をふりふりこの並木の青葉を眺めた。しかし、そういう陶酔も瞬時に破れた。私はふたたび驚愕の眼を見はったのである。
ここもよく読むと不自然な描写だわ…
さっきまでは「樫の木」だったのに、今度は急に「椎の若葉」を思い出す…
そして「椎の若葉」を思った瞬間、「私」は自分の置かれている恐ろしい現状に気付く…
「椎の若葉」には、何か深い意味が隠されていそうですね…
「カシ」みたいに、またマッチ棒パズルかな…
今度は「シイノワカバ」だから、えーと…
えっ?
どうしました?
今、トラが…
トラの歌う声が、聴こえた…
トラが歌った?
こんな歌を…
イエにあれば
けに盛るメシを
くさまくら
旅にしあれば
椎の葉に盛る
イエ? メシ? 椎の葉?
うふふ。
万葉集よ。難波の悲劇の皇子の歌…
万葉集? 難波の悲劇の皇子?
何ですかそれ?
咎無くて死す…
大阪を愛し、無実の罪で処刑された、悲劇の天皇の子、有馬皇子のことだよ…
ありまのみこ?
つづく
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