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ツルでもガキでもわかる!”日本で20の名を持つ男”ジェームズ・ステュアートのすべて(没後20年記念)

まいど!ワイは鶴や!ツルヤナンボクや!

ええじゃろうだよ!

おかえもんです。

今回は没後20年を記念して、名優ジェームズ・スチュアートを紹介します。

(James Stewart: 1908年5月20日 - 1997年7月2日)

名匠フランク・キャプラの『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』や、ヒッチコックの『ロープ』『裏窓』『めまい』なんかに出てた俳優さんだね!

そういえばステュアート朝のハナシもしとったよな、別のシリーズで。

あれ、いつ終わるん?

そうだったね。あれはまだまだ終わらないだろう。気長に待っててくれたまえ。

それにしても「20の名前を持つ」って、どうゆうこと?

もしかしてスパイだったとか?

ふふふ。

スパイなんてチンケな存在ではないよ。

彼は本物の「将軍」だから。

?????

それはあとでゆっくり解説しよう。

「20の名」ってのは「20種類の日本語表記名を持つ男」って意味だよ。

へ?

「Stewart」って日本語表記がバラバラなんだ。

「ステュアート」「スチュアート」「ステュワート」「スチュワート」の4種類が混在してるんだよね。

しかも名前の「James」にも「ジェームズ」「ジェイムズ」「ジェームス」「ジェイムス」という4種類の日本語表記があるから…

James Stewartは、

16通りの日本語表記が存在する!

ひゃあ!

ロッドは4種類ですんだのに!

この歌いいよね。愛の素晴らしさを謳う歌詞の中に、イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドの4つの国を「四つ葉のクローバー」に例えて団結を訴えるメッセージも込められている。この『Love is』を含むアルバム『Another Country』は、彼のイギリスへの思いがぎゅうっと詰まっている力作だ。発表の後、英国政府からナイトの爵位を授与された。

おかえもん!話をはぐらかさないで!

16じゃなくて20でしょ!

あと4つ足りないじゃんか!

そうだったね。

実は愛称の「Jimmy(ジミー)」+「Stewart」のパターンもあるから、「ジミー・ステュアート」「ジミー・ステュワート」「ジミー・スチュアート」「ジミー・スチュワート」という4つの表記も存在する。

だから全部で20種類なんだ。


ひゃあ!

どうにかしてくれ文部科学省!

ただでさえ紛らわしいのに、僕はPCのキーボード音痴だから、いまだに「TYU」と「THU」と「TWU」で混乱してしまう。

「あれ?”テュ”ってどう入力するんだっけ?」ってね。

だから、以後は愛称の「ジミー」で呼ぶことにしよう。

よっしゃ、ジミーで行こう!

ジミーは”アメリカの良心”と呼ばれていた。

アメリカ人の”鑑”ってことだ。

なんでやねん?

そんな偉かったんか?

ジミーは”理想的なアメリカ人男性”像を貫き通したといえるね。

しかも、完璧なまでに。

米国史上こんな人はそうそういない。

そんなに凄い人なのか!

ざっとジミーの人生を振り返ってみよう。

1908年にペンシルベニア州に生まれたジミーは、音楽やダンス、芝居が好きな少年だった。でも1927年のリンドバーグによる大西洋単独無着陸飛行に衝撃を受け、飛行機乗りになろうと決心する。

でも父親は反対し、ジミーをプリンストン大学へ行かせた。そこでジミーは建築学や都市工学なんかを学んだ。

『素晴らしき哉、人生!』('46)で演じた主人公ジョージと似てるね。ジョージも若い頃に夢があったんだけど、父の死によって家業だった不動産ローン貸付組合を嫌々継ぐことになる。

でも町の貧しい人たちのために一念発起して、郊外の宅地開発を行い、低金利ローンを始めるんだよね。

「まじめに頑張れば、誰でも郊外に夢のマイホームが持てる!」っちゅう時代の幕開けを象徴するようなハナシやな。

ちなみに「まじめに頑張れば」を省いてもうたのが、サブプライムローンやった。

ははは。そうだったね。

さて、ジミーは学生時代に演劇にハマった。仲間たちと劇団を立ち上げて、舞台に立ち始めたんだ。

ジミーはピアノやアコーディオンやダンスも上手だったからね。リズム感が良かったんだろう。学生芝居とはいえ、そこそこ人気も出て来た。

プリンストンは演劇の本場ニューヨークにも近いから、絶好の環境だよね!

そして運良く時代は世界恐慌のおかげで大不況だった。

なんで「運良く」なんや?

就職しなくて済んだからね。建築・不動産業界は最も不況だったから。

ジミーはニューヨークの学生演劇仲間たちと、ブロードウェイでの成功を夢見て日々芝居に明け暮れる。

その当時の劇団で演出家だったのがジョシュア・ローガン。第二次世界大戦後には『南太平洋』でトニー賞やピュリッアー賞を獲得し、自身で監督して映画化もした。

ローガンっちゅうたら『サヨナラ』やで!

そうだね。この映画のおかげで『007は二度死ぬ』が生まれたと言ってもいい。海外の年配の方で、初めて見た”日本映画”がコレっていう人はかなり多いんだ。

さて、ローガンが看板作家だった劇団には、ジミーの他にもうひとり、後にビッグスターとなる人物がいた。

誰だと思う?

誰?

ヘンリー・フォンダだよ。

おお!ミスター反骨!

そして”キャプテン・アメリカ”ことピーターの父ちゃん!

バーバレラ…じゃなくてジェーンのパパでしょ!

そう、ピーターとジェーンの父であり、ジミーとはまた違った意味で”アメリカの象徴”ともいえる存在だったヘンリー・フォンダ。

ジミーとヘンリー・フォンダは、当時ルームメイトだったんだ。役者としての成功を夢見て、共同生活を送っていたんだね。

キャラクターは正反対の二人なんだけど、なぜだか馬が合って大親友になったんだ。

へえ~!

そして二人は、映画スターになることを目指してハリウッドへ向かった。世界の”映画の都”、不況知らずの黄金時代、1930年代のハリウッドにね。

運が良かったことに、すぐに端役に食い込めるようになる。ハリウッドでも二人は共同生活しながら夢に挑戦した。そしてそこから二人はとんとん拍子で映画に出演していくことになる。

ジミーが端役としてデビューしたのが1935年だったんだけど、翌年にはもう主演のチャンスを得た。その映画が『超スピード時代』。

まさに超スピード!

そして天才フランク・キャプラに

「彼の平凡な魅力は、どこにでもいそうで、どこにもいない」

と絶賛され、『我が家の楽園』('38)、『スミス都へ行く』('39)と立て続けに主演に抜擢されたんだ。

なんかビミョーな褒め言葉やな。

そんなことないよ。

映画が「特別なもの」から「娯楽の主役」になった時代だ。今までみたいな浮世離れした二枚目や美女ばかりじゃ良質なドラマは作れない。「どこにでもいそうな人」じゃないとリアリティがないからね。

そして『スミス都へ行く』は大ヒットを記録した。

主人公のMr.スミスは、アメリカにおける平均的かつ理想的な人物像でもある。つまりアメリカの”良心”を体現する存在なんだ。

良心?

ジミニー・クリケットのこと?

ははは。確かに”良心”といえば”ジミニー・クリケット”だ。

映画『ピノキオ』は『スミス都へ行く』の翌年、1940年に公開されて大ヒットする。ウォルト・ディズニー渾身のアニメーション寓話は映画界に衝撃を与えた。キャプラはさっそく1941年に『Meet John Doe(邦題:群衆)』という映画を作るんだ。『ピノキオ』と聖書を足して2で割ったような大人の童話に仕立て上げてね。

ピノキオ役が御存じゲイリー・クーパー、ジミニー・クリケット役がアカデミー助演男優賞最多獲得を誇る名優ウォルター・ブレナンだ。ジミーがもう少しガタイが良ければ主演できたかもしれない。なにせ元プロ野球選手っていう設定だからね。ジミーは痩せっぽちすぎる。

しかしこの『群衆』って映画は、『ピノキオ』から歌までちゃっかり拝借してて笑えるよ。よっぽどキャプラはジミニー・クリケットがツボだったんだろう。

それくらいキャプラは”アメリカの良心”にこだわっていた監督だったんだよね。


で、”アメリカの良心”って、いったいどんな人なの?

田舎育ちで、大自然と子供たちを愛し、都会の毒に染まらず、お金や権力や権威に屈せず、真っ直ぐに生きる人物。愚直なまでにね。

アメリカ人は、そういう人が好きなんだ。建国以来そういう人こそが「真のアメリカ人」だとされてきた。もちろん今でもね。

だからアメリカ人は、40歳くらいまでに田舎に土地買って農場とか牧場をやりたいって言うんやな。バースみたいに。

あと田舎の小さいラジオ局のオーナーとかね。

まあともかく、この映画でMr.スミスを演じたことにより、ジミーはアメリカ中産階級の理想像となった。理想的な”普通の人”だね。巨額のカネが動くワシントンに身を置いても、アメリカ連邦議会という特別な舞台に立っても、自分を見失わず、理想と信念を貫き通す人間だ。

なるほど!一歩間違ったら危険人物だけどな!

この作品ではアカデミー主演男優賞も期待されたんだけど、受賞には至らなかった。でも翌1940年の 『フィラデルフィア物語』 で主演男優賞を獲得したんだ。

順風満帆の俳優人生や。

いや、そうとは言い切れない。

ちょっとした「しこり」を生んでしまうことになったんだ。

なんや?しこりって?

この年は『怒りの葡萄』のヘンリー・フォンダが大本命と見られていた。ジミーの『フィラデルフィア物語』は、そんなに注目されていなかったんだ。

じゃあ何でこんなことになったの?

よくはわからない。受章したジミーにも驚きだったようで「本来はヘンリーが受け取るはずだったのに」と周囲に漏らしたという。

ヘンリーはガッカリやな。

さて、すっかり大スターの仲間入りしたジミーだけど、時代は戦争へ突入する。アメリカの欧州戦線への本格参戦だ。

ジミーは10代の頃の憧れだった飛行機乗りになりたくて、陸軍航空部隊に入隊しようとする。

なんやねん?「しようとする」っちゅうんは。

ジミーは長身で瘦せっぽちだったから、検査で落とされたんだ。でもハードな筋トレに励んで、無事に航空部隊に入隊することができた。

検査で落されようと必死になっとった映画関係者もぎょうさんおったらしいけどな。

そうだね。

ジミーは憧れの陸軍航空部隊、第8空軍に所属することになった。

イギリスに駐屯し、ドイツが占領してたフランスなどの沿岸地域にある軍事施設へ空爆を行う部隊だ。戦争中に航続距離が長いB24が開発されると、ドイツ本国へ直接空爆もできるようになる。時に数千機もの爆撃機の大集団で、ドイツ主要都市を爆撃したんだ。

ジミーは爆撃機のパイロットになったのか!

ただのパイロットではない。彼は少佐として連隊を率いていたんだ。重爆撃機の部隊をね。一機あたり10人くらいの乗員がいるから、200名近くの兵を指揮していた。

爆撃作戦ってのは、ドイツ軍に見つからないように深夜に海を渡って行くんだけど、真っ暗な空の上で無線からジミーの指示が聞こえてくると、兵たちは自分が映画の世界にいるような気分になったそうだ。当時は「ドイツへの空爆」なんてことすら現実離れしたことなのに、無線からは大スターであるジミーの声が聞こえてくるわけだからね。

そりゃそうやろな。アメリカのド田舎から出て来た若い兄ちゃんにとっては、ほとんど夢の世界やろ。

ジミーは20回もの爆撃作戦に従事し、20回とも無事に基地に帰還した。

対日本戦と違い、欧州戦線ではアメリカの爆撃機はドイツ軍によって大量に撃ち落とされた。4000機以上が撃墜されたそうだ。

一機に十人くらい乗り込んでるわけだから…

だから文字通りジミーは英雄だった。

『メンフィス・ベル』って映画があったよね。何度も爆撃に行って、毎回無事に帰って来ることは奇跡にも近かったんだ。

ジミーは終戦間近には、大佐にまで出世していた。

ハリウッドから出征した人の中で最高位だ。

ほう。親友ヘンリー・フォンダはどうしてたんや?

フォンダは海軍に入って、一兵卒として太平洋で戦っていたよ。

さて、戦争が終わり帰国したジミーのもとには、戦争映画への出演依頼が殺到した。本物の英雄が主演したら話題になること間違いないからね。

でもジミーはそれを全て断った。

なんで?

本当に悲惨な戦争の現実をたくさん見て来たからだよ。多くの部下を失ったし、多くの命も奪った。だから、美化された偽物の”戦争”映画に出演することは我慢できなかったんだ。

それにジミーは、戦争が終わったとはいえ本物の大佐だ。こんな高い地位にある以上、誤解を招くような作品に出演するわけにはいかない。

そんなわけでジミーの復帰作は、フランク・キャプラがウィリアム・ワイラーらと立ち上げたリバティ・ピクチャーの第1号作品『素晴らしき哉、人生!』となった。


クリスマスの定番!

そうだね。『スミス都へ行く』で築いた”アメリカの良心”像を、さらに決定付けた作品だ。

人生すべてに失敗し、死のうとまで考えていたジョージが、”あること”に気付かされる。正しさや信念が勝つとは限らない。でも負けたとしても全てを失うわけじゃない。決して失うことのないものの中にこそ本当の価値があるんだって…

キャプラ節、全開やな。

『スミス都へ行く』と『素晴らしき哉、人生!』、そして戦争での輝かしい武勲と愛国心で、ジミーは文字通り”アメリカの良心”となった。

「ふだんは素朴で平凡な人物だけど、いざという時は命を懸けて本気で戦う」っていうアメリカ中産階級男性の理想像だ。

マッチョでギラギラしてへんところがええんやろな。言われんかったら、まさか戦争の英雄だとは気が付かへんで。どっちかと言えばナヨっとしとるちゅうか物腰柔らかやさかい。

数々の美人女優と共演したんだけど、これといった浮名も流さず、ラブシーンでも照れていたそうだ。映画スタアに珍しく、40歳過ぎまで一度も結婚せずに独身だった。

40歳って言ったら、ハリウッドでは3度目の結婚をする年頃だよ!

どこまで素朴なんだ!

だね。

さて、ようやく長かった戦争が終わったと思ったのも束の間、ハリウッドは戦争以上の大激震に襲われる。

マッカーシズム、つまり…

”赤狩り”の時代だ。

来たな!

トランボのオッサンが議会侮辱罪でハリウッドを追放されたやつや。

”アメリカの良心”ジミーさんは、どんな立場だったの…?

親友である”反骨”のヘンリーさんとは…

アメリカ陸軍の大佐だったジミーだから、当然「反共」の立場で裁判の判決を支持した。

一方のヘンリー・フォンダは、有罪判決を受けたダルトン・トランボら「ハリウッド・テン」を救う会のリーダー的存在だった。

こうして二人はついに…

絶交状態となってしまったんだ。

ああ…、ジミー…、アメリカの良心…

仕方ない。これも含めての”アメリカの良心”なんだ。

ジミーだって無二の親友ヘンリーとの決別には、強く心を引き裂かれる思いだったはずだ。

きっと多くのハリウッド関係者も同様の思いだったに違いない。もちろんエリア・カザンだって…。

銀幕の中の世界と違って、現実世界には純粋無垢な”良心”とか”正義”なんて存在しえない。

どちらが正しいとか間違ってるかとかの世界ではないからね。”赤狩り”推進派・反対派両陣営とも「自分たちこそ真の愛国者」だと思ってたんだ。

で、ヘンリーはどないなったんや?

彼もハリウッド・テン同様に映画界を去ることになった。もうハリウッドでは仕事がもらえないからね。東海岸へ戻り、舞台に活動の場を移したんだ。

なんかモヤモヤするね…

ジミーさんは、もっとそうだったんだろうけど…

だね。

ハリウッドが…、いやアメリカ全体がモヤモヤしていたことだろう。

そこでジミーは、自分の心やアメリカ社会全体を覆っていたこの”わだかまり”を解くために、「ある作品」を映画化しようと行動し始めた。

ある作品?

1944年にブロードウェイで発表され、翌年のピューリッツァー賞を受賞した舞台『Harvey(ハーヴェイ)』だよ。

どんな作品なの?

町で変人扱いされている中年男エルウッド・ダウドと、いつも一緒なんだけど彼にしか姿が見えない2mの巨大ウサギ「ハーヴェイ」の話だ。

なんだそれ!?

カイテル?入ってる?

ナイスなオヤジギャグだね!

でも残念でした、誰も入っていない。透明だから。

エルウッドは隣にいるハーヴェイといつも会話してて、みんなに紹介して回るんだけど、エルウッド以外には誰も、もちろん観客にもハーヴェイが見えないんで、色んな騒動が巻き起こっていく。

他の登場人物は3種類に分かれているんだ。エルウッドを「拒絶する人」、ハーヴェイの存在は信じないけどエルウッドのことは「受け入れる人」、エルウッドそっちのけでハーヴェイの存在に「憑りつかれてしまう人」。

変なお話!

あれ!?動画でエルウッドを演じてるのは、大ヒットコメディ『ビッグバン★セオリー』のジム・パーソンズじゃんか!

そうだね。

さて、ジミーはこの舞台に出演し、物語もエルウッド役もとても気に入った。

いつも側にいるんだけど誰にも見えない存在「ハーヴェイ」っていう設定が、観る人によっていろんな意味をもつから、とっても面白いんだ。

神だったり、精霊だったり、愛だったり、国家だったり、思想だったり…、目に見えないけど「ある」とされている大切な「何か」だね。

ふむふむ。

でも映画会社は、これを嫌った。

現在ならともかく、当時では娯楽作品として難し過ぎたんだ。ニューヨークのような場所ではウケても、映画として全国で興行するにはリスクが大き過ぎた。

そこでジミーは、今まであまり乗り気でなかった西部劇への出演と抱き合わせで、『ハーヴェイ』の映画化を勝ち取った。

そうして1950年10月に映画は公開されたんだよ。

すごい…。そこまで執着する「何か」がこの作品にあったんだ…

アメリカ社会の…、いや、ヘンリーはんとの”わだかまり”を解くために、この『ハーヴェイ』が必要やったんか…

その通り。

空軍大佐であり国家の英雄でもあるジミーは、政治的なことを軽率には言えない。でも、”アメリカの良心”として映画の中で「何か」を訴えることはできる。だからエルウッドを演じたかったんだろう。

なるほどな。ちなみに何言うたんや?エルウッドとして。

まあ、素晴らしいセリフだらけなんだけどね。僕はこの映画こそ、ジミーが”アメリカの良心”である一番の証だと思っているくらいだ。

数ある名セリフの中から、僕がジミーの本心だと確信する1つを紹介しよう。

かつてエルウッドは誰もが羨むほど完璧な青年だったらしいんだ。人望もあったし、仕事もできたし、女性にもモテた。でも、ある日を境に「ハーヴェイ」のいる暮らしに変わってしまった。その理由を尋ねられた時のセリフだ。

「母さんがこう言ったんだ。世の中ではね、抜群に抜け目なくやっていくか、抜群に親切でいることよ、って。僕は何年も抜け目なくやってきたから、今度は親切な方にしようと思ったんだ…」

国家の英雄、米国民の理想像が、これ言うか!

ワイがヘンリー・フォンダやったら、グッとくるな。

スピルバーグはトム・ハンクス主演で『ハーヴェイ』をリメイクしようと考えたんだけど、トム・ハンクスは彼の憧れであるジミーのエルウッドが好きすぎて断ったらしい。あれ以上の演技はできないってね。

まあ、キャラがちょい被るフォレストガンプをやったしな。

ねえねえ、結局のところ2mの巨大ウサギ「ハーヴェイ」は、いるの?いないの?

そこは誰にもわからない。

アル中の幻覚かもしれないし、本当に妖精プーカかもしれない。観る人の想像にお任せだ。

そういえばジェーンお姉さんも、妖精プーカらしき黒い馬に魅了されてしまうお嬢様を演じたことがあったよね。弟のピーターとのラブシーンも話題になった。

あったね、そんな映画。エドガー・アラン・ポーの原作だ。イギリスやアイルランドでは有名な妖精らしい。

プーカは馬や山羊やど大型の動物の姿をしていることが多いみたいだ。「ハーヴェイ」みたいにウサギってのは珍しい。まあ巨大ウサギっているけどね。

まあでも、自分の知人にエルウッドみたいな人がいたら、ちょっと話を合わせてあげるのは難しいだろうね(笑)

そもそもドラマの舞台となる三カ所の場所の名前がこれだから…

「ダウド家」のダウドは英語のダウト(doubt)「疑う」から。

「酒場CHARLIE's」にはLIE「嘘」が入ってる。

「チャムリー病院」は、チャーム(charm)「魔法にかかる」から。

なるほど!作者の遊び心だね!

そうなんだ。この映画はホントに面白いよ。

物語を観てるうちに人々は「ハーヴェイが見えない人は心が汚れてるんじゃないのか?」って思えてくるんだ。だから、劇中でエルウッドを信じる人に対し、だんだん好印象をもつようになっていく。

うまい仕掛けだよね。だって冷静に考えると、それってとっても「おかしなこと」なんだ。だから作者も至る所にこっそりサインを忍ばせている。「そんな単純なハナシじゃありませんよ。気をつけてくださいね」って。

なんだか美しい話にもとれるし、その手の感動ストーリーにすぐに乗せられてしまう人々への警句にもとれる。ホントにうまく出来た物語だ。

さすがピューリッツアの戯曲部門を受賞するだけあるな。これに目を付けたジミーもさすがや。メッセージを潜ませるには、もってこいの作品やで。

ホントに傑作だから!

ただ僕が不満なのは、この映画を紹介するサイトの文章が、まるで判を押したように「エルウッドの優しい心に打たれた周囲が、次第にハーヴェイを信じるようになっていくハートフルコメディ」みたいな説明になってることなんだ!

だって全然ちがうんだよ!

ドラマの中でハーヴェイを信じてしまうのは、不幸な人なんだ!

エルウッドに対して好意的な人は、ハーヴェイにはあまり関心がないんだよね!

そうなのか!

ちなみに、ジミーはこの作品を準備してる頃、ついに結婚したんだ。ジミー41歳の時だ。『ハーヴェイ』のエルウッドが42歳で未婚の設定だったから、もし結婚が遅れてたら、映画公開時のジミーはエルウッドと同じ状態になってたわけだね。

それはそれでオモロかったかもな。

結婚相手のグロリアは再婚で、二人の少年の母だった。それでジミーは二人の息子の父となった。

大スターの初婚としては珍しいケースだね。

そして『ハーヴェイ』公開の翌年には、双子の女の子が生まれた。

ジミーはたった2年の間に4児の父となったんだ。

男の子二人と、女の子二人?

『素晴らしき哉、人生!』で演じた主人公ジョージの家庭と同じ構成じゃんか!

まさに素晴らしき哉、人生!

だね。

で、ヘンリーさんは?

ジミーさんの思いは伝わったのかな?

1955年、ヘンリー・フォンダは6年ぶりにハリウッドへ帰って来た。

二人はお互いの撮影現場を訪問するんだけど、まったく会話らしい会話はしなかったそうだ。

4時間一緒にいて、単語6つしか口にしなかったとも言われている。

やっぱり…

二人の間にできた溝は大きかったんだな…

でも、”わだかまり”も徐々に雪解けしていった。

二人の共通の趣味である模型飛行機作りなんかを通して、徐々に友情を取り戻していったんだ。もちろん政治の話は抜きでね。

”赤狩り”で袂を分かつことになった映画界のビッグスター二人が、こうして仲直りしたことは、ハリウッドにとって、いや、アメリカ社会にとっても大きなことだった。

ジミーはやっぱ「アメリカの良心」やな。

その後ジミーは、ヒッチコックの一連の作品や、『グレン・ミラー物語』に出演。自身が最も尊敬する人物であり、アメリカを代表する英雄でもあるチャールズ・リンドバーグの自伝映画『翼よ! あれが巴里の灯だ』でリンドバーグを演じることになる。映画会社の反対を押し切って、48歳なのに20代前半の役を見事に演じ切った。

ジミーは声が太くないから若者っぽく聞こえるよな。でも見た目はやっぱりオッサンや。

そこは脳内補正するんだ。

そして最後に、晩年の代表作ともいえる『リバティ・バランスを射った男』を紹介しよう。

ジョン・フォードとジョン・ウェイン最後のタッグ映画で、ジミーは渋い演技をみせる。

こうゆう「正義感だけは強いんだけど、腕っぷしが弱くてちょっと情けない役」をやらせたら、ジミーはピカイチだよね!

だよね。

でもこの時ジミーは、空軍の准将にまでなっていたんだ。

准将って偉いんか?

「Brigadier General」、つまり「将軍」だよ。

10万人の軍人の中で、30人くらいしかなれない。大統領からの指名と上院の承認が必要とされる重責の地位だ。

コスプレやのうて、ガチの衣装やな!

胸の略綬もぎょうさん付いとる!

軍隊では将軍職なのに、この役をやるってのは、ちょっと意味深いよね…

だって…、荒くれ者との決闘で勝って町の英雄になり、そこから上院議員にまで出世して、ワシントンで副大統領候補にまで登り詰めた男が、実は決闘に勝ってはいなくて、その事実をずっと隠して嘘をつき続けていた…って話だもんね。

その役をジミーがやることに意味があるんだ。

しかもジョン・フォードが監督で、ジョン・ウェインが主演の映画で。

ジミーが「アメリカの良心」であるためには、この映画が必要だったんだ。

そして還暦を迎えたジミーは空軍を引退。最後は少将となった。こんな肩書きをもつ俳優は、世界中探してもどこにもいない。

大スタアであり、アメリカの良心であり、本物の将軍なんだもんね。

映画界での「わだかまり」をすべて清算して、思い残すことなく軍人としての引退を迎えたっちゅう感じやな。見事やで。

でもその翌年に最愛の息子さんをベトナムで亡くしてしまうんだけどね…。

空軍を引退したジミーは、アメリカの若者たちを勇気づけるためにベトナムへ慰問に行った。そして、海兵隊員として従軍していた息子と、束の間の家族の時間を過ごした。でも、ジミー夫妻がベトナムを去ってしばらくした後、息子さんの戦死の知らせが届く…。

いろいろ辛いこともあったけど、ジミーは最後まで「アメリカの良心」であり続けた。

最晩年にもテレビなどに出演しては、その独特のキャラクターやユーモアを交えて、笑いを全米のお茶の間に届けた。

常連だったトゥナイト・ショーで見せる名司会者ジョニ―・カーソンとのやりとりなんて、最高に楽しいよ。

さすが名優、みごとなボケっぷり!

なんか、アメリカの”いいおじいちゃん”って感じ!

だね。

ジミーは1997年、89歳でこの世を去った。

20世紀のアメリカと共に歩んだって感じやな。

こんな人、もう二度と現れんやろ。

なんかちょうど7月にスターチャンネルでジミーさんの特集するみたい。

これは観なくちゃね!

ホントだ!奇遇だね!

おい、『ハーヴェイ』が入ってへんで!

どうゆうこっちゃ?

しゃーない、YouTubeで観とこか。

わお!おいらも一緒に観るぞ!

「おかえもんスーパー実況解説」付きってのはどう?

まずは集中して観させてくれ!

冷たいね…

いいよ、どうせ僕なんか…

お、おかえもん…

今日から僕は、透明だ…

よっしゃ!これで集中して観れる!

憧れの…Oh!透明人間…

中二の頃の夢だった…

あ゛~~っ!

透明のほうがむしろ目障り!


『Harvey』(邦題:ハーヴェイ)'50米

監督 :ヘンリー・コスター

原作・脚本:メアリー・チェイス

出演:ジェームズ・スチュワート、ジョセフィン・ハル、セシル・ケラウェイほか


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