「深読み INCEPTION(インセプション)⑪」(第209話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
では解説しよう。
いったいジャック・ドゥミ監督は、この作品で、何をしようとしたのか…
そして、あの若者に何を託したのか…
あのガソリンスタンドのお兄ちゃん、「レギュラーガソリンか、ハイオクか」を聴くだけの役割なのに、それが作品上で超重要だなんて…
意味が分からない…
「ハイオク」じゃない。フランスでは「super(スペール)」だ。
ジャック・ドゥミ監督は、彼にこう言わせたんだよ。
「ガソリンは super ですね?」
このセリフが重要なんですか?
その通り。
このセリフは『シェルブールの雨傘』という物語を完全なものにするために必須な言葉。
なぜ主人公ギイは「ガソリンスタンド」を夢見ていたのか…
なぜ、そのガソリンスタンドが「Esso」だったのか…
これらの伏線はすべて、あのセリフで回収されるんだ…
Essoが伏線?
シェルや出光じゃダメだったということですか?
その通り。Esso以外では物語が成立しない。
さすがにそれはちょっと大袈裟じゃないの?
大袈裟でも何でもない。Essoであることはマストだった。
うふふ。さっさと答えを言っちゃえばいいのに。
これのことでしょ?
et descendit pluvia et venerunt flumina et flaverunt venti et inruerunt in domum illam et non cecidit fundata enim erat super petram...
は? 何て言ったの?
今のはラテン語。日本語に訳すと、こんな意味になる…
雨が降り、流れが押し寄せ、風が吹いて打ちつけても、その建物は倒れることはない。土台である岩の上にあるから…
それ聞いたことある気がする。何だっけ?
『マタイによる福音書』第7章の第25節だ。
あっ、有名な「山上の垂訓」の一節ですね。
その通り。
イエスが大勢の聴衆に対し「幸福」について語る有名な場面…
小高い丘の上にある岩の上に座り、「人が幸せであるとは、どういう状態のことをいうのか?そのために人は何をすべきなのか?」ということを、切々と述べるんだ…
『山上の垂訓』
カール・ハインリヒ・ブロッホ
「豚に真珠」「汝の敵を愛せよ」「狭き門より入れ」「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」「人からしてもらいたいとあなたが望むことを、人々にしなさい」、そして「求めよ、さらば開かれん」などなど…
後世、様々な芸術作品の元ネタになった、名言格言の宝庫ともいえます…
確か、長い話をまとめるため、イエスは最後に「喩え」を出すんでしたね…
人としての正しい在り方を真摯に実践する人は「岩の上に家を建てる人」であると…
それが先程の第7章第25節…
その通り。
そしてこれが『シェルブールの雨傘』という物語の本質だ。
『シェルブールの雨傘』の本質は「マタイ7:25」に他ならない。
つまり、クリスマスの夜に「本当の幸せ」を手に入れた主人公ギイが「岩の上に家を建てる人」だということですか?
だから「Guy(ギイ)」という名前なんだよ。
「男・人」って意味だからね。
あ、なるほど…
じゃあ、あのガソリンスタンドが「岩の上に建てられた家」ってこと?
そうだよ。
どこからどう見ても「岩の上に建てられた家」でしょ?
は?
平らなコンクリートの上にある建物にしか見えないけど。
うふふ。この「岩」っていうのね…
あたしたちの目からは隠されているの(笑)
隠されている?岩が?なぜ?
だって、地上にあったら大変でしょ?
邪魔だし、すっごく危険…
だから埋めておくしかないの(笑)
地下に大きな岩があるの?
ガソリンスタンドは「ペトロ」の上に建てられている…
「ペトロ」の入った地下貯蔵タンクの上に…
は?
もしや、それってガソリンのことですか?
その通り。
イギリスなどでは「ガソリンスタンド」を「ペトロ・ステーション」と呼ぶ。
元々は「岩・石」という意味だ。
「石油」の「石」ですね。
ちなみにガリラヤ湖の漁師シメオン・バル・ヨナは、師イエスからアラム語で「ケファ(岩・石)」というニックネームをつけられた。
ギリシャ語では「ペトラス」、ラテン語では「ペトロ」だ。
だから「岩の上に建てられた家」とは、ペトロが礎になる「キリストの家・教会」のことも意味する…
その通り。
さて、先程の「マタイ7:25」のラテン語版は、こんなフレーズで終わっていたよね。
erat super petram
この部分は「岩の上にある」という意味だ。
あっ!
フランスで「ハイオク」を意味する「super(スペール)」が入ってるじゃないですか!
そうなんだよ。
だから「super petram」は「ハイオク・ガソリン」とも読める。
なんと…
じゃあ「erat」は?
「erat」とは…
「ある・存在する」という意味の動詞「ESSE」の活用形だ。
エッセ?
なんだかエッソに似てる…
そう。だから、こういうこと…
erat super petram
⇩
esse super petram
⇩
Essoのハイオクガソリン
ええっ!?
ダジャレってことですか!?
そう。駄洒落。
巨匠ジャック・ドゥミによる、渾身の駄洒落だ。
いかにも駄洒落とか言いそうな、お茶目な雰囲気を醸し出してるでしょ?
言われてみれば、確かに…
主人公の夢が「ガソリンスタンド」だった理由は、それがイエスの預言した「岩の上に建てられた家」だから…
そして、ラストシーンがガソリンスタンドだったのは、従業員に「ガソリンはスーパーですか?」と言わせたかったから…
すべては「マタイ7:25」を成就させるため…
そういえば…
「マタイ7:25」は「雨」で始まってたわ…
だから『シェルブールの雨傘』も「雨」の描写で始まった。
Les Parapluies de Cherbourg
(The Umbrellas of Cherbourg)
そういうことだったのか…
すべては「マタイ7:25」のため…
だからラストシーンはクリスマス・イブの夜、つまりイエス・キリストの降誕祭だったのね。
ちなみにこれは、映画のオープニングで予言されていた。
気がつかなかった?
予言!?オープニングで?
港でのタイトルとクレジットが終わった後、ギイの働く自動車整備工場が映し出されたよね…
ええ、確かにそうでしたけど…
ある意味これが物語の最初のカットです…
ショーウィンドウには、何と書かれているかな?
ショーウィンドウですか? えーと…
VEDETTE
OCCASION
CHRYSLER
です…
オケイションとクライスラーはわかるけど、ヴェデッテって?
「VEDETTE」とは「とても注目すべきモノ・コト・ヒト」という意味だ…
注目に値する人物、映画や舞台の主役や大スターにも使われる言葉…
そして「OCCASION」は…
「スペシャルな出来事・記念日・祭典・好機・契機・誘引」という意味だから…
あっ… わかりました…
え?何が?
つまり「L」に柱が被ってる「CHRYSLER」は…
「CHRIST」のこと…
その通り。柱と上の窓枠で「T」を作っているんだ。
この映画が、クリスマスの夜に起きる奇跡で終わることを、予言していたんだね。
なんてことなの…
ガソリンスタンドに書かれた文字みたい…
L'Escale Cherbourgeiose
立ち寄る・シェルブールの女
ジャック・ドゥミ監督は、こういう「遊び」を随所に仕掛けた…
映画の中の建物に書かれている文字は、すべてラストシーンへの伏線になっている…
「シェルブールの雨傘店」の看板も?
もちろん。
店名「Les Parapluies de Cherbourg」は「Les Para-pluies de Cher-bourg」だから…
これを言葉通りに直訳すると…
「防がれる雨、高い場所にある頑丈な建物」
防がれる雨…
つまりホワイト・クリスマス…
雪のことね…
高い場所にある頑丈な建物…
つまりこれは、どんな雨風にも耐えられる「岩の上にある家」…
ペトロの上にあるガソリンスタンド…
そういうこと。
まさか『シェルブールの雨傘』が「山上の垂訓」を下敷きにした物語だったとは…
ちなみに…
「山上の垂訓」は「7:25」で終わりではない…
え?
「岩の上に家を建てる人」の喩えの後に、もうひとつ喩えがあるの…
その喩えで、イエスの歴史的な演説は、幕を閉じる…
まだ続きがあったの?
最後に、イエスの教えを守らない人の末路が、語られるんだ…
それが「マタイ7:26-27」…
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、激しい流れが押し寄せ、風が吹いて打ちつけると、その家は倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
ああ、これか!「砂上の楼閣」という言葉の元ネタですね!
「待つ」という約束を破り、目の前の欲望に飛びついてしまったジュヌヴィエーヴのことっぽく聞こえない?
その通り。
ちなみに「Geneviève(ジュヌヴィエーヴ)」という名前は…
Eve(イヴ)の gene(遺伝子)という意味にもなっている。
あっ…
つまり…
「この実を食べてはいけない」と神に言われていたにもかかわらず、誘惑に負けてしまい、約束を破ってしまった女イヴの遺伝子を継ぐもの…
という意味ね…
そういえば「Adam(アダム)」という名前も、「Guy(ギイ)」と同じく「人・男」という意味がありました…
名は体を表す。
「DOM」は「人工流れ星」、「MAL」は「死」…
ちなみに「K」という名前なら、それは十中八九「クリストス」。
物語の基本中の基本じゃ。
さて、『インセプション』の話に戻ろう。
『シェルブールの雨傘』が「マタイ7:25」の再現であるということは、この僕が気付くくらいだから、当然クリストファー・ノーランも気付いていた。
だから彼は『インセプション』の中で、その続きである「マタイ7:26-27」を再現したんだね。
欲望の世界LIMBOで…
打ちつける波によって浸食され、吹きつける風によって崩壊していく砂上の楼閣…
まさに「マタイ7:26-27」です…
夢の中の描写ついでに言うと…
『インセプション』のあの有名なシーンも、『シェルブールの雨傘』へのオマージュよ(笑)
INCEPTION
ええっ!?
折り畳まれるパリの街がですか!?
「コピペの街」だけどね。よく見ると同じ建物だらけだとわかる。
ドムの妻モルが「夢の世界」だと気付き、抜け出すために飛び降りたロサンゼルスの街と一緒。
だけど『シェルブールの雨傘』に、街が折り畳まれるシーンなんてあった?
あんな有名なシーン、忘れたの?
ほら… この動画の1分40秒から…
えっ!?
もしかしてギイとジュヌヴィエーヴが止まったまま街の中を移動する、あのシーンのこと?
そうよ(笑)
でも違うでしょ。これは二人が止まったまま移動しているだけで…
僕には疑問なんだけど…
なぜこのシーンを見て「人の方が移動している」と決めつけてしまうのかな?
え?
あれは人間が移動しているのではない。
街が動いているんだ。
あっ…
街がダイナミックに動いているのに、その中にいる人間はなぜか気付いていない…
『インセプション』の折り畳まれる街の中で、気付かずに普通にしている人たちと一緒だね…
クリストファー・ノーランは、あのシーンをもとに「ダイナミックに動く街と、それに気付かない人々」を作り上げたんだよ…
マジですか…
それに、あそこで歌われる主題歌の歌詞は、『インセプション』そのもの…
え?
あの主題歌の導入部と歌詞は、こんな内容なんだよ…
アルジェリアでの戦争のために召集令状がきた主人公ギイ…
頭の中が結婚生活でいっぱいのジュヌヴィエーヴは、ギイに行かないでと要求する…
だけど徴兵拒否や脱走兵は重犯罪。見つかったら矯正施設か刑務所行きだ…
苦悩するギイに対し、ジュヌヴィエーヴはこう言った…
「逃げればいい。私が匿うから大丈夫。あとはうまくやってあげる」
つまりジュヌヴィエーヴは「ふたりのため」と言いながら、最愛の人ギイを指名手配の犯罪者にしようとしたわけですね…
イヴがそそのかして楽園の果実を食べさせたアダムと同じように…
そして『インセプション』のモルとも同じ。
夫ドムが犯罪者になるように仕向けた。こちらも「ふたりのため」にね。
さらにジュヌヴィエーヴは「2年も待てない」と繰り返す…
『インセプション』でドムが家族と離れていたのも「2年」だった(笑)
この歌詞のために、クリストファー・ノーランは、わざわざ子役を変えたのね…
「2年間」の空白を感じさせる子役に…
そして、追い詰められたギイは、あるアイデアを思いつく…
それなら二人だけの「思い出」を作ればいいと…
誰にも邪魔されない、ふたりだけの、永遠に残る想い出を作ればいいと…
こ、これは…
切羽詰まったドムが夢の中に作った、エレベーターで移動する「思い出の階層」そのもの…
このようにしてクリストファー・ノーランは…
『シェルブールの雨傘』の主題歌を、見事に『インセプション』の中に落とし込んだ…
改めて、あのシーンを見てみよう…
ま、まさか…
LIMBOでの別れのシーンで交わされた会話そのもの…
そういうことだったのね…
岡江クンが言ってたことが、やっとわかったわ…
『インセプション』の原型になった「作品」とは…
『シェルブールの雨傘』のことだった…
これにて、Q.E.D…
ちょっと待った。
あっ、すいませんでした!教官のキメ台詞を勝手に…
そうじゃない。
まだ終わりじゃないんだ。
え?
『インセプション』の原型になった「作品」は、別にある…
ま、まだ他にもあるの!?
そうだよ。
もっとダイレクトに影響を与えた作品があるんだ。
だけどもう、朝の8時過ぎなんだけど…
それが何か?
僕はまだ全然眠くない。
わしも。
聞いたアタシが馬鹿だったわ…
それにしても変な日ね…
こんなに長い時間ずっと話してるのに、全く疲れないし、ちっとも眠くならない…
それにまだ遠くで音楽が鳴ってます…
何でしょうか、あれは…
うふふ。変な日よね(笑)
それでは、エンゲルベルト・フンパーディンクの話に戻ろうか。
また?
そうだよ。最初に言っただろう…
すべての秘密は「エンゲルベルト・フンパーディンク」にあるって…
まだ彼の最大のヒット曲を紹介していなかったからね…
最大のヒット曲?
1967年にイギリスで最も売れたレコード…
『Release Me』だ…
1967年に、こんな古臭い曲がNo.1だったの?
あれ、このセット…