深読み 米津玄師の『さよーならまたいつか!(『虎に翼』主題歌)』第17話
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2024年3月中旬
東京都渋谷区神南
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おっと。これは一本取られたな。
神南恭一郎…
そろそろ「谷間の白百合」と『奥飛騨慕情』の話を…
そうだった。
どうも今日はいつも以上に余談に花が咲く。
これではいつになっても米津玄師の『さよーならまたいつか!』に辿り着けんな。
米津玄師が逃走している間に急ぎましょう。
手短にお願いします…
このエロい演歌に、いったいどんな秘密が?
「奥ヒダが濡れていて、まるで雨が降ったようだ」という意味じゃないんすか?
だから、そうではないと言っているだろう。
それではレオナルド・ダ・ヴィンチになってしまう。
まずはヒダヒダのことを忘れるんだ。
は? なぜヒダヒダでレオナルド・ダ・ヴィンチ?
呉羽君、今はソコを話している時間は無い。
神南恭一郎の言う通り、一旦ヒダヒダのことは忘れろ。
はい… わかりました田木さん…
まずは『奥飛騨慕情』の1番。
ここからどんな物語が見えて来るかな?
ある男が、誰かから女の噂を聴き、その女に会うために、奥飛騨へやって来た…
男は、立ち昇る湯煙の香りを嗅いで、その女のことを想った…
その女がいるところは、水が流れ続けているところ…
おそらく川沿いにある温泉街のスナック…
男がやって来たその日、奥飛騨には雨が降っていた…
そのまんまだな。
すいません… だけど他にどう解釈しろと?
単刀直入に言おう。
「女を訪ねた男」「女の噂をした人物」「奥飛騨の女」の三人とは、この三人のことだ。
こ、これは…
フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』に描かれた三人。
天使ガブリエル、預言者イザヤ、聖母マリアだな。
いったい、どういうことなんすか?
風の噂に 一人来て…
「噂」とはイザヤが伝えた救世主の預言…
イザヤ書7章14節「見よ、乙女が身籠り男の子を産む。その子はインマヌエル(神と共にある)と呼ばれる」のこと…
このイザヤの「噂」をもとに、天使ガブリエルは「一人」でマリアに会いにやって来た…
そういうことだ。
だから「湯の香 恋しい 奥飛騨路」と続く。
湯の香… 湯煙…
マリアの太ももから立ち昇る謎の湯気…
そうだ。いいぞ呉羽君。
では「水の流れも そのままに」は?
水の流れも… そのままに…
何だろう?
ヒントをあげよう。
米津玄師のアルバム『BOOTLEG』ジャケット画の部屋の床…
この部屋は、なぜか床が水浸しのように見える…
床が水浸しに…
あっ!
マリアのテラスの床!
フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』に描かれるマリアのテラスには、なぜか大きな水溜りがある。
その理由には諸説あるが、奥の部屋がバスルームになっていて、そこから漏れた水が流れ出ているとも言われている。
確かにバスルームっぽく見える…
あの赤いカーテンはシャワーカーテン…
これが元ネタになっている有名な歌がある。
風呂場が重要な意味をもつ歌が。
まさか、電気グルーヴの『シャングリラ』?
そうではない。
ジブリ映画のテーマ曲にも使われた有名な歌だ。
ジブリ映画のテーマ曲?
♬あのひとのママに会うために♬
『魔女の宅急便』に使われた、荒井田 実の『ルージュの伝言』だよ。
荒井田 実ではなく荒井由実、ユーミンです…
赤い布が垂れ下がっている奥の部屋と、聖母マリアのテラスの水浸しは、洋の東西を問わず多くのクリエーターの妄想をかき立てた。
ビートルズの『LET IT BE』、サイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』、そして映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』…
例を挙げたらキリがないので、今はやめておこう。
水の流れも そのままに…
そういうことだったのか…
ジブリ映画ついでに言うが、宮崎駿はフラ・アンジェリコの絵『受胎告知』に描かれた「別のもの」も「水の流れ」に喩えている。
別のものを? あの水溜りの他に「水の流れ」なんてありました?
『千と千尋の神隠し』の「琥珀川(コハク川)」ですな。
琥珀川?『受胎告知』の中に「川」なんて無いだろ?
宮崎駿は「光り輝く粒子の流れ」を「琥珀の川」に喩えたのだよ。
「神の手」から放たれた「光線」を流れていく「聖霊」を「靴」にね。
なるほど…
あの光線は、確かに「琥珀色の川」だ…
神は、ひとりの乙女を身籠らせるため、己の子種を天から黄金の雨として降らせた…
そして乙女は、男を知らぬ処女のまま、神の子を産んだ…
キリスト教の「マリアの処女懐胎」は、ギリシャ神話の「ダナエの処女懐胎」の影響が見られる。
神南恭一郎…
それは Foorin『パプリカ』のジャケット画です…
わかっている。わざとだ。
確かに「雨」は「水の流れ」だ…
奥飛騨の温泉街で流しの歌手をしていた竜鉄也は、街を流れる「水の流れ」を見て、フラ・アンジェリコ『受胎告知』の中に「川」のように描かれたあの光の流れを思い浮かべたのかもしれない。
宮崎駿があの光の流れを「琥珀川」としたように。
どういうことっすか?
山深い地にある奥飛騨の街や道路は、川の流れに沿ってつくられている。
その川の名前は「神が通る川」と書いて「神通川(宮川)」という。
神が通る川… そんな、まさか…
偶然だろ…
偶然ではない。
奥飛騨には神岡町という場所があり、そこにはカミオカンデがある。
カミオカンデ? いったい何の関係が?
カミオカンデは、神のオカン…
つまり、神イエス・キリストを産んだ聖母マリアのこと。
ええっ!?
そして「水の流れもそのままに」のあとは「君は出湯(いでゆ)のネオン花」と続く。
フラ・アンジェリコ『受胎告知』のマリアは、まるで風呂に入ろうとしていたかのように、上着を脱ぎかけている。
ネオンは頭の背後から差す光「光背」だな。
ネオン花の「花」は?
後ろから前からゴールドの光を浴びるバージン・マリー…
つまりマリーゴールドだ。
マリーゴールド… 黄金色のマリア…
そして「あゝ奥飛騨に雨が降る」で締めくくられる。
「雨」は神が降らせた光の川、黄金のシャワーであり…
「AMEN(アメン)」のことでもある…
この絵のどこに「AMEN」が?
どこにって、書いてあるだろう。
書いてある?
会ったばかりの天使ガブリエルから火野正平のように「はい、妊娠」と告げられたマリアは当惑した。
マリアには夫ヨセフがいたし、まだ初夜前の処女だったから。
すると天使ガブリエルは、これはイザヤの預言が成就したもので、神の偉大な力に身を任せれば何も不安はないと説明し、それを聞いたマリアは答えた。
“Behold the maidservant of the Lord! Let it be to me according to your word.”
「私は主のはしためです。お言葉の通り、この身になりますように」
絵にはラテン語で書かれているが、マリアはヘブライ語もしくはアラム語で答えたはず。
「お言葉の通り」は「AMEN(アメン)」だな。
ああ… なるほど…
しかも天井からマリアの首筋を通って下へ続く「線」が、まるで「雨垂れ」のようにも見える…
あの「線」も実に興味深い。
夏目漱石の小説『三四郎』や、落語の『宮戸川』、そして加藤シゲアキの処女作『ピンクとグレー』…
話し始めるとキリがなくなるので2番へいこう。
2番では、花の哀れさが歌われる…
盃(さかずき)に浮かんだ面影をとおして…
歌詞をビジュアルに落としてみると理解が早い。
盃に浮かぶ「哀れな女」の面影とは、こういうことだ。
ん? これって、もしかして…
そう。真上から見れば絵の中のマリアのようになる。
マリアは神の大いなる力に覆われて子を身籠った自分のことを「主のはしため」つまり「主の女奴隷」だと卑下した…
そして神がマリアに種付けしたのは、この時の一度限り…
まさにマリアは、情けの淵に咲く「哀れな女」と言える…
マジかよ… なんてこった…
このマリアの「主のはしため」発言は、竜鉄也の出生秘話や奥飛騨で出会った運命の女(夫がいる人妻)の話とも重なることが多いのだが、話すと長くなるので割愛するとしよう。
それでは最後の3番。問題の「谷間の白百合」の件だ。