「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇⑲&読みたいことを、書けばいい。」(第245話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
それにしても…
フランス系カナダ人のヤン・マーテルが『ジョゼと虎と魚たち』を読み、そこに隠された日本の創造神話を読み取るなんていうことが有り得るのでしょうか?
ジョゼの下肢の麻痺が「国産み」と「海に流された神の子」から来ていると気付く、なんていうことが…
実は、もっと簡単に「ジョゼの下肢の麻痺」の理由がわかるシーンがあるんだ。
誰でも、特別な知識が無くても、それだと気付けるように書かれたシーンがね…
おそらくそのシーンを描きたいがために、田辺聖子はジョゼに車椅子生活をさせたはず…
どのシーンだろう?
ホテルのシーンよ。
エレベーターにジョゼがブチ切れたホテル(笑)
ええっ?
ホテル到着から部屋に入るまでの間、ジョゼは気に入らないことだらけだった…
建物に対し、従業員に対し、そして客に対し…
だから部屋で二人きりになると、ジョゼは管理人こと恒夫に対しブチ切れて、こう怒鳴り散らした…
「管理人が悪いからや! 管理人がちゃんと前もって調べへんから、エレベーターに車椅子が入らへんのや! あのおばはんらにじろじろ見られるんや!」
このシーンを描きたいがために、田辺聖子はジョゼを車椅子生活にしたっていうの?
そうだよ。ジョゼにこの「キレ芸」をさせるためだ。
このギャグを言わせたいがために、田辺聖子はジョゼの足を不自由にし、車椅子生活にした。
キレ芸? ギャグ? あのセリフが?
劇中でジョゼがキレている時は、とっておきのギャグを言っている時。
ジョゼの「いばり」はネタなんだよ。
吉本新喜劇の未知やすえみたいなもんじゃな。
マジですか?
そもそも、いちいち些細なことにキレまくるジョゼって、変だと思わない?
しかもキレられた恒夫は、嫌がるどころか、内心では喜んでいるんだ。
確かにコントみたいですけど…
その理由は「海っぷちに建つリゾートホテル」での描写を見ていけばわかる。
ホテルの玄関前で車を止めた恒夫は、出迎えの従業員に対してこう言いながら、トランクから折り畳み式の車椅子を取り出した。
「電話で言うたけど、・・・階段使わへん部屋、ありますか。車椅子なんで」
田辺聖子は、この時の従業員の様子を、こう説明している。
出迎えた黒服の若い男は、ジョゼの足を見ないようにしようという努力がまる見えで、こちらが気の毒になるくらいだった。
そういえば、この描写… なんか変ですよね…
どうして?
だって不自然すぎますよ。ここまで意識する必要があるでしょうか?
大きなリゾートホテルなら、障害を持った人や車椅子のお客さんなんて珍しくも何ともないはずです。
確かにそうね…
もう始まってるんだよ、コントが。
次に田辺聖子はジョゼの様子を説明する。
ジョゼは長いスカートをはいている。それはうすいピンクで、上衣(うわぎ)も半袖のピンクだった。ジョゼはつんとして、顎を上げかげんにし、ホテルの男には一瞥もくれない。ましてお愛想笑いをすることなどはないのだ。
上下ピンクって微妙よね、ジョゼのファッション。
林家パー子じゃないんだから…
上着じゃなくて「上衣」なのは、田辺聖子のコダワリなのでしょうか?
そこ、けっこう大事かも(笑)
え?
次に田辺聖子は、従業員に建物の構造を説明させる。
そして予想外の展開に…
「二階の部屋にしておきました。エレベーターがございますので。一階は食堂と宴会場になっておりまして」
しかしエレベーターは狭くて、車椅子が入りきらぬことがわかり、結局、ジョゼは恒夫に背負われてエレベーターに乗った。
ここもオカシイわよね?
観光地の立派なリゾートホテルでしょ?
そこのエレベーターが、車椅子も入らないほど狭いなんてありえる?
ありえません…
古い雑居ビルみたいに、狭いスペースの中に無理やり後からエレベーターをつけたわけじゃないんですし…
お客さんの荷物とか、どうやって運ぶんですか?
ポーターの台車もエレベーターに入らないってことですよね?
すべてはギャグのため。
とっておきの「嘘」のために、こんな無理な設定になってるんだ。
うそ?
さて、ジョゼたちが2階に上がると、そこに待ち構えていたのはオバサンの集団だった。
団体客の中年女たちが無遠慮にじっくりジョゼを見るので、ジョゼはすっかり腹を立てていた。
そして田辺聖子は部屋の様子を説明する。
まず、飾ってあった「花」について…
それから、窓の外に見える「海」について…
部屋の窓二面はいちめんに拡がる海景だった。ジョゼの機嫌はやや直った。テーブルと椅子を伝って窓へ寄り、声もなく海をみつめる。
部屋の窓二面は一面に拡がる海景?
二面と一面がヤヤコシイ書き方ですね。
確かに…
「二面なのか一面なのか、どっちやねん!」ってツッコミたくなるわ…
それが狙いだ。わざと混乱する書き方をしたんだよ。
田辺聖子はこう言いたかったんだ。
「部屋の一面にある二面の窓いちめんに海が広がっている」
わけわかめ…
まだわからない? 田辺聖子が「何」を描いているのかを…
「何」を再現するために、こんなコントじみた描写を続けたのかを…
ホテルの描写はすべて、何か「別のこと」を言ってるってこと?
見てはいけない足…
ピンクの長いスカートと、ピンクの半袖の上衣…
1階は食堂と宴会場…
不適切なエレベーター…
2階でジョゼをじろじろ見る中年女の集団…
2階の部屋に飾られた花…
テーブルと椅子の奥にある二つの窓…
そして、二つの窓いちめんに広がる海…
まだ気がつかないかな?
はい。見当もつきません…
実は、これらはすべて…
この絵の説明になっているんだよ。
『The Last Supper』
Leonardo da Vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』?
ジョゼたちが泊ったホテルは、これのことだったの?
その通り。
ずっと田辺聖子は、この絵を説明していただけなんだ。
しかし「見てはいけない足」とは?
さっき紹介したのはレプリカ、つまり「復元図」だ。
イタリア・ミラノにある本物の『最後の晩餐』は、こういうふうになっている…
イ、イエスの足が…
何なの? あの不自然な灰色のスペースは…
あれは塞がれた通路の跡だ。
『最後の晩餐』は、床から2メートル上、ほぼ2階の高さに描かれている。
田辺聖子は、あの通路跡を「不適切なエレベーター」と表現したんだね。
なんと…
しかしなぜ通路があんなところに?
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、15世紀末、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の、修道院の食堂の壁に描かれた。
神聖な聖堂内ではなく、日常的に使う食堂の壁に描かれたんだよね。
だから絵の完成から百数十年後、壁の裏手にある台所から直接食堂に行けないのは不便だということで、壁を壊して新たに通路を作ってしまった。
こうしてイエスの下肢は失われたというわけ…
それにしてもなぜイエスの下肢を失わせる形で…
どうしてそうなってしまったのかはわからない。
ただ、当時はそこまで大切にされてはいなかったんだ。なにせ食堂の壁に描かれた絵だからね。
湯気の湿気などで、完成直後から劣化が猛スピードで進んでいた。
しかもあの部屋は、食堂として使われなくなった後、家畜部屋として使われていたんだ。
動物たちの糞尿から出るガスによって、絵はさらに傷んでしまったんだよ…
人類の宝ともいえる壁画のある部屋が家畜部屋に…
イエスの下肢を失わせて通路を作ったり、家畜の「いばり」に晒させたり…
そりゃジョゼもブチ切れるわよね。
「管理人がちゃんと前もって調べへんからや!」って(笑)
そして「ピンクの長いスカートと、ピンクの半袖の上衣」とは、イエスの服装のことだ。
確かに昔の人の服は、布を巻いた「スカート」状の服です…
そして「半袖」とは「半分の長さの袖」ではなく…
「左右の半分だけ見えている袖」のこと…
うまいわね、田辺聖子…
だから田辺聖子は「上着」ではなく「上衣」と書いた。
絵の中の服装のイメージに合わせて。
そして「無遠慮にジョゼをじろじろ見る2階のおばはんら」は、中央のイエスを凝視する使徒たちのこと。
「最後の晩餐」は2階で行われたからね。
部屋に飾られていた「花」は?
部屋の壁には、花が描かれたタペストリーが飾られている。
「テーブルと椅子の奥にある二面の窓」とは?
描かれた窓は2つではなく3つです…
それに、あそこはエルサレム…
窓から「海」なんて見えるはずがない…
そうかな?
よく見てごらん…
田辺聖子が説明した通り「部屋の窓二面はいちめんに拡がる海景」だから…
あっ!確かに「海景」っぽい!
そして、真ん中の窓だけ形が違う…
3つの窓のように見えるけど、よく見るとそうじゃない。
両脇の2つは「窓」だけど、真ん中は床まで穴があいているように見える。
つまり「窓」ではなく、ベランダへ続く「出入口」なんだね。
「最後の晩餐」が行われたのは、エルサレム旧市街地の南西隅に位置し、ダビデ王の墓があることで有名な「シオンの丘」と呼ばれる場所…
その丘の上の、とある建物の2階の部屋…
だから、窓から旧市街地が一望できた…
ちょっと待って。
ジョゼたちが窓から見た「海」は、エルサレム旧市街地なの?
そうだよ。
だって『ジョゼと虎と魚たち』は、イエス・キリストの物語だから。
なぜ田辺聖子は旧市街地を「海」に見立てたわけ?
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に描かれた外の景色が、そう見えたから?
おそらく、ポール・サイモンの…
この歌の影響じゃないかな…
『Bridge Over Troubled Water』
S&Gの『明日に架ける橋』!?
この歌における「bridge」とは「十字架」のこと。
十字架の「横木」は「bridge」でもあるからね。
そしてポール・サイモンは、「十字架」にまつわる人物、自分と名前が同じ「Simon」をモチーフに、歌詞を書いた。
あっ、キレネ人(びと)のシモン…
その通り。
磔刑が決まったイエスは、ピラトの邸宅からゴルゴダの丘まで、重い十字架を背負わされて歩くことになった。
その途中、イエスは力尽き、倒れ込んでしまう。
それを見ていたキレネのシモンは、イエスを助け、代わりに十字架を背負って歩き始めたんだ…
Simon of Cyrene
なるほど…
つまり「trouble water」とは、イエスの受難のこと…
「サイモンとガーファンクル」は、1982年に初来日を果たした。
コンビが活動していた60年代後半は、忙しくて世界ツアーを行えなかったから、これが初めてだったんだよね。
しかも世界が注目するS&G再結成ツアーのスタート地点は日本。これには日本中が沸いた。
そして5月7日、8日と、当時南海ホークスの本拠地だった大阪スタヂアムで、S&Gワールドツアーは幕を開ける。
ちなみにこの公演では、ポール・サイモンが「阪神タイガースの帽子」を着用したことが大きな話題となった。
関西在住の多くの著名人が観に行ってるから、おそらく田辺聖子も…
きっと行ってるわよね。
そして、大阪から始まったS&Gワールドツアーの旅は…
エルサレムがゴールだった…
田辺聖子が『ジョゼと虎と魚たち』を発表したのは1984年5月…
このコンサートで『Bridge Over Trouble Water』を聴き、ポール・サイモンの阪神タイガースの帽子から着想を得て、小説を書いた…
時系列は合っています…
じゃあ、部屋の窓から見えた海の底にある「海底水族館」は?
なぜエルサレム旧市街地に「海底水族館」なの?
「海底水族館」というのは…
「聖墳墓教会」のことなんだよ…
ええっ!?
イエスの墓とゴルゴダの丘は、エルサレム崩壊によって、地中に埋もれてしまった…
後にその場所が発掘され、上に聖墳墓教会が建てられる…
そして、墓を覆っていた岩石が取り除かれ…
現在は、教会の地下深くに、こんな世界が広がっている…
まさに… 海底水族館…
田辺聖子は「海底水族館」をこんなふうに表現していたけど、これは「聖墳墓教会」のことだったんだ。
水族館は地上からいうと八メートルも底にあり、長いコンクリートの階段を下りていくのだった。
田辺聖子も、ポール・サイモンみたいに、エルサレムへ行ったのかしら…
もしかしたら取材旅行に行ったのかもしれない。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見にミラノへも。
それにしてもなぜ田辺聖子は『最後の晩餐』を、あそこまで再現しようと考えたのでしょう?
前半部「謎の手に押されて坂道を滑り落ちたジョゼと、それを体を張って止めた恒夫」で再現されたフラ・アンジェリコの『受胎告知』もそうですが…
なぜ有名絵画を元ネタに?
『Annunciation』
Fra' Angelico
巨人の肩、だよ。
巨人? 阪神じゃなくて?
その巨人じゃない。
nani gigantum umeris insidentes…
何?
「巨人の肩の上に立つ矮人」だ。
田辺聖子は、巨人におんぶしてもらったんだよ。
巨人におんぶしてもらった?
えっ…?
どうしました?
トラが… こう言ったの…
ふぶきのこえ
われをよぶ
ふぶきのこえ?
なんですか、それ?
トラ、われの
われをよぶ
だって(笑)
は?
いのちともしき
われをよぶ
なるほど。確かにそのトーリです…
な、何がその通りなのですか?
『猿ヶ島』だよ。
田辺聖子は太宰治の肩に乗り、その田辺聖子の肩に…
ヤン・マーテルは乗った…
Yann Martel
太宰治? さるがしま?
つづく
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