「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)&読みたいことを、書けばいい。」志賀直哉『小僧の神様』篇④(第271話)
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2020年 ✕月✕日
南の島
とある施設の中
すごい…
SGTには専属の楽団までいるんだ…
うん。それにしても、あれには驚いたな…
実に奇妙な歌だった…
奇妙?
これまでの歌も十分奇妙だったけど…
これまでの歌は、少し考えれば意味がわかった。
「ATM」は「A Ta Ma」
「KRD」は「KaRaDa」
「TKN」は「TaKaNa」
こんなふうに、省略されている母音を補えばよかったからね。
だけど今度の歌は違ったんだ。
違った? どんなふうに?
SGTが歌っていたのは、こんな歌…
ヘイラッシャイ ヘイラッシャイ
ヘイラッシャイ ヘイラッシャイ
ヘイラッシャイ? どういう意味なの?
わからない…
日本語のようにも聞こえるんだけど…
なんだか不思議な響きよね…
ペルシャ語とかアラビア語とか中東の言葉っぽくも聞こえるわ…
それからSGTは、こんなふうにも歌ってた。
アガリ アガリ アガ リガリガリ
アガリ、アガリ、アガ、リガリガリ?
まるで「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」みたい…
僕もそう思った。
日本の歌にもヘブライ語っぽく聞こえる歌があるから。
「かごめかごめ」って、知ってる?
かごめかごめ?
ごめんなさい、知らないわ…
古くから伝わる「わらべ唄」なんだよね。
こんな感じの…
なんだか不思議な歌…
楽しそうなんだけど、ちょっと怖いような感じもする…
ここだけの話、あの歌詞は全部ヘブライ語なんじゃないかって噂があるんだ。
あれが全部? ホントに?
「かごめかごめ」の歌詞をヘブライ語として訳すと、こんな内容になるらしい…
何が守られているのか? 誰が守られているのか?
封印され、閉ざされていた神宝を、今こそ取り出せ
すべてが炎に包まれ、神の社は消滅する
水際にお守りの岩を造り、神宝を安置せよ
無人の地に水を引き、人を導け
ん?
どうかした?
なんだろう…
この歌詞のストーリー、どこかで見た気がする…
もしかして、これのこと?
そうそう!『Your Name.』!
よく気付いたね。
日本では社会現象にもなった、この『君の名は。』という映画は、ヘブライ語で読んだ「かごめかごめ」が元ネタになっているんだ…
だからヒロインの名前が「三葉」だったのね…
ヘブライ語で「戒律」を意味する「ミツヴァ」のことじゃん…
そういうこと。
ちなみに「三葉」のお母さん「二葉」はこの世にいなくて…
おばあちゃんは「一葉」で、妹は「四葉」だった…
この意味、わかるかな?
そういえば、あの家の女性はみんな数字の入った名前…
そして「二」の母親がいない…
なぜかしら?
簡単だよ。
「三葉」「一葉」「四葉」で…
3.14…
は? パイ?
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
そこまで手が込んでいたなんて…
さすが、小説の神様…
志賀直哉
では、第二場を見ていこう。
第一場に引き続き第二場も『ヨハネ伝』第一章の再現になっているんだけど、全文を説明していたらキリがない。
だから要点だけ解説する。
第二場は、二三日後の午後、夕方頃のこと…
小僧仙吉は用事を言いつけられ、京橋のSという店まで使に行きます…
仙吉は、外濠の電車を鍜治橋で降り、京橋にある鮨屋の前を通り過ぎる…
そしてこんなことを夢想した…
その時彼はかなり腹がへっていた。脂で黄がかった鮪の鮨が想像の眼に映ると、彼は「一つでもいいから食いたいものだ」と考えた。
鮪の鮨が黄色っぽい?
「鮪の鮨」とは「イエス・キリスト・神の子・救世主」という意味。
人の肌は黄がかっているでしょ?
『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ
あ、そうか…
小僧仙吉は、四銭の電車賃を浮かせるために、帰りは歩いて行こうと決める。
屋台の鮨なら四銭で一貫食べられるから。
そして京橋のSに到着…
なんで「S」なのかしら?
「四郎兵衛」の「S」じゃ。
室町時代から分銅の製造・販売を幕府から唯一認められていた後藤四郎兵衛の店。
銀座の京橋新両替町に店を構えておった。
なぜ分銅が専売事業なのでしょう?
「はかりごと」は世の中を安定させるための重要事。
昔は「計り売り」が基本で、そもそもお金の単位も、重さの単位「銭・両」をそのまま使ったものじゃ。
つまり「銭」が、今でいうところの「g」だったんですか?
その通り。「g」である「銭」は世の根本…
為政者にとっては、これが世の隅々まで遍く行き渡ることが求められる。
これに従わぬものが横行すれば、世の中が乱れるからのう…
だから後藤四郎兵衛のみにその責を任せ、その子孫である代々の四郎兵衛の専売特許にしたのじゃ。
なるほど。
だから分銅を使う秤の売買も登録制だったんですね。
さて、Sでの様子を志賀はこう書いた。
Sの店での用は直ぐ済んだ。彼は真鍮(しんちゅう)の小さい分銅の幾つか入った妙に重味のある小さいボール函をひとつ受け取ってその店を出た。
「妙に重みのある」とか、なんか意味深ね…
小さい分銅が入っているだけなのに…
その「分銅」がクセモノなんだよ。
分銅が?
「分銅」って、どんなものか知ってる?
これでしょ? ピンセットでつまむやつ。
昔、理科の時間で使ったわ。
これは戦後に普及したもの。
もっと昔は、違う形をしていたのよ…
え?
これが昔の「分銅」だ。
これ1枚で十両。約374. 62g…
これが分銅?
昔は板状だったの?
何か気付かない?
あっ!石板だ!
十戒が刻まれたモーセの石板!
『十戒の石板を持ってシナイ山を下りるモーセ』
ギュスターヴ・ドレ
つまり「小さなボール函」とは?
契約の箱…
失われたアーク、聖櫃です…
だからこの後に「分銅の入ったボール函」の存在は忘れられてしまうのね…
どこかに消えてしまった「石板の入ったアーク函」のように…
そういうこと。
だから小僧仙吉は「分銅の入った函」を妙に重く感じたわけだ。
『ヨハネ伝』第1章の第17節にも、こう書かれていた。
17 律法(おきて)ハモーセに由(より)て傳(つたは)り 恩寵(めぐみ)と眞理(まこと)ハイエス、キリストに由て來(きた)れり
そして小僧仙吉は、京橋で見かけた鮨屋と同じ名前の書かれた屋台を見つけ、暖簾をくぐる…
京橋の鮨屋とは「幸鮓」のことだね。
だけどなぜ志賀は店名を伏せたのかしら?
他のお店は「与兵衛の息子の店」とか「松屋」とか「Sの店」とか名前を出していたのに。
伏せられていることには意味がある…
ここは知恵が必要なの(笑)
ちえ?
その意味は、第三場をよく読めばわかる。
まず第三場は「A」の説明から始まった。
若い貴族院議員のAは同じ議員仲間のBから、鮨の趣味は握るそばから、手掴みで食う屋台の鮨でなければ解らないと云うような通(つう)を頻(しき)りに説かれた。
あとで小僧仙吉が、神様か、仙人か、それとも稲荷か、とにかく超自然的存在に違いないと思う「A」ね。
「A」は神様でも仙人でも稲荷でもないけれど、超自然的存在であることは間違っていない。
なぜなら「A」は、イエスと同じように神の力で受胎した洗礼者ヨハネだから。
『John the Baptist』
マッティア・プレッティ
しかしなぜ志賀は洗礼者ヨハネを「若い貴族院議員」にしたのでしょう?
ヨハネの生まれた家は、エルサレム神殿で聖なる儀式を行う大祭司の家系…
つまり、とても身分の高い貴族みたいなものじゃ…
本来なら長男のヨハネも父ザカリアの跡を継ぐはずじゃった…
そして、志賀直哉の妻 康子は、子爵 勘解由小路資承の娘…
つまり志賀の義父は貴族院議員だった…
それじゃあ「若い貴族院議員A」は志賀ってこと?
違うよ。志賀自身は貴族ではない。
義理の父が、たまたま子爵だっただけ。
父? 子爵?
もしかして、また駄洒落では…
その通り。
当時の聖書「明治元訳新約聖書」では、ヨハネは「ヨハ子」と表記されていた。
つまり「余は子爵」だね。
やられた…
ちなみに、なぜ名前が「A」と「B」なのか、わかる?
AとBにも意味があるの?
うふふ。さっきも言ったでしょ。
この世に意味の無いことなどないのよ。
「AとB」といえば?
えーと…
ABブラザーズ?
なんですかそれ?
だって「AとB」と言ったら、ABブラザーズか『恋のぼんちシート』しか思い浮かばないでしょ?
他にもいろいろあるじゃないですか…
たとえば「ABBA」とか…
でも志賀直哉はABBAを知らないでしょ?
それはもちろん知らないでしょうけど…
というか、知ってたら怖いですよ。
うふふ。ABBAで正解なんだけど。
ええっ?
志賀はABBAを知っていた…
あの「A」と「B」は、ABBAのこと…
そ、そんな馬鹿な!
何か勘違いしているようだ。
「ABBA」とはアラム語で「父」のことだよ。
アラム語? 父?
アラム語は中東地域で広く日常語として使われていた言葉で、聖書には「父」のことを「アバ(ABBA)」と呼ぶ場面がいくつもある。
だから志賀は、義父がモデルの貴族院議員とその同僚の名を「AとB」にしたんだ…
なんてこった…
天才作家は登場人物に無意味な名前などつけぬのじゃ。
たとえ「A」とか「B」とか適当につけられたような名前でも、そこには深い意味が隠されておる。
ちなみに物語の中に唐突に「ABBA」が出て来たら、それは「父」を想起させるためだと思っていい…
「ABBA」は「父」の枕詞みたいなものね…
「垂乳根」が「母」なら、「ABBA」は「父」…
さて、BはAにこうアドバイスしていた。
本当の鮨というのは、店舗の中ではなく、屋台で、つまり屋外で食べるものだと。
これは神殿の否定ですね。
神との接見の場「幕屋」とは、本来、屋外にテントを張り、そこで生贄の子羊を捧げるもの…
だけど、昔ながらの放牧生活から都市への定住が進み、ダビデ王の頃には人々が常設の幕屋、つまり「神殿」を要求し始めていた…
そこで神はダビデの息子ソロモン王に、特例として神殿建設の許可を出す…
しかし、いつしかそれが当然のことになってしまい、人々は黄金に輝く神殿自体を崇拝したり、神殿内で商売を始めたりと堕落が進んでしまう…
だからイエスはそれを強く否定した…
自分の死後に神殿は破壊され、そのまま消えて無くなると…
これはトーラー(モーセ五書)の 「出エジプト記」に描かれる「モーセが人々の崇拝する黄金の子牛像を破壊したこと」が予型になっている。
モーセは怒りのあまり十戒の石板を叩き割り、黄金の子牛像を跡形もなく破壊した。
そしてAは、Bから聞いた屋台の鮨屋に出かける…
志賀はこんなふうに説明した…
そこには既に三人ばかり客が立っていた。彼はちょっと躊躇した。然し思い切ってとにかく暖簾を潜(くぐ)ったが、その立っている人と人の間に割り込む気がしなかったので、彼は少時(しばらく)暖簾を潜ったまま、人の後に立っていた。
人の後ろに立っていた?
鮨を食べてて、後ろに人が立っていたら怖いなあ…
「後ろの正面だあれ?」じゃないんですから…
よく考えたら、妙な行動よね…
屋台の暖簾を潜ったまま、中には入らず、人の後ろに立っていたなんて…
どう見ても、挙動不審なアヤシイ客じゃん…
「入らない」んじゃなくて「入れない」んだよ。
え?
だってAはヨハネだから。
このシーンに関わってはいけない。
あっ、もしかして「立っていた三人」とは…
そう。あれは十字架に掛けられた3人…
この屋台は3本の十字架が立てられた「ゴルゴダの丘」が投影された場所なんだ。
洗礼者ヨハネが活動していたのはヨルダン川周辺で、エルサレムには一度も現れない。
だからAは中に入れなかった。
志賀もアンドレア・マンテーニャの『磔刑図』を元ネタに?
たぶん間違いないわね…
だって「暖簾を潜ったまま、人の後ろに立っていた」というのは…
あの絵に描かれた「同じ名前のヨハネ」のこととしか思えない…
同じ名前のヨハネ?
ほら…
使徒ヨハネは「人の後ろに立っている」でしょ?
まるで「暖簾を潜ったまま」のポーズで…
確かに「暖簾を潜ったまま」に見える!
ていうか、もうそうとしか思えないわ!
細かい、志賀…
だから「小説の神様」なんだよ。
志賀の文章はサラッと何気なく書かれているように見えるけど、実は細部までトコトン計算し尽くされている。
意味の無いことや無駄なことなど一切書かれていない。
そして、そんなAの目の前に、小僧仙吉が飛び込んでくる…
仙吉はAを尻目に、カウンターに割って入った…
小僧仙吉の役割は、神の子イエス・キリスト…
自分が贖いの子羊だとも知らずに…
第一幕の「私の後から来る人は、私の先にいた人」に続き、「後の者が先になる」も成就じゃな。
ここでも志賀の筆は冴えわたる。
第一声で、志賀は小僧仙吉に驚くべきセリフを言わせた…
「海苔巻はありませんか」
は?
すごい… ゾクゾクしちゃう…
全身鳥肌もの…
「のりまきありませんか」ですよね?
これのどこが凄いんですか?
「今日はできないよ」と言った時の鮨屋の主が、明らかに動揺していたのがわからぬか?
「ああ今日はできないよ」肥った鮨屋の主は鮨を握りながら、尚ジロジロと小僧を見ていた。
小僧仙吉はトンデモナイことを言ったのじゃ…
「海苔巻ありませんか」のどこがトンデモナイことなので?
トンデモナイでしょ、どう考えても。
そりゃ主も「今日はできない」と否定するわ…
「海苔巻ありませんか」がトンデモナイ?
だから主は「今日はできない」と否定した?
いったいどういうことなの?
教えて、岡江クン…
いいだろう。
それでは「海苔巻ありませんか」のトリックを解説しよう…
つづく
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