「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉓&読みたいことを、書けばいい。」(第249話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
万葉集? 難波の悲劇の皇子?
何ですかそれ?
咎無くて死す…
大阪を愛し、無実の罪で処刑された、悲劇の天皇の子、有馬皇子のことだよ…
ありまのみこ?
有馬皇子は第36代天皇である孝徳天皇の長男で、父の難波への遷都に従って摂津国で少年時代を過ごしていた。
だけど叔父である中大兄皇子をはじめ有力な皇族たちは大阪での生活を拒否。みんな飛鳥へ帰ってしまったんだ。
孤立した孝徳天皇は病に倒れ、そのまま難波で崩御。有馬皇子の叔母に当たる斉明天皇が即位し、飛鳥に都を戻した。
平和主義者の有馬皇子は権力闘争に興味はなく、飛鳥からも距離を置いて温泉でノンビリしていたんだけど、次期天皇の座を確固たるものにしたい中大兄皇子からすると、政敵たちが有馬皇子を担いだりすると非常に厄介なことになる…
そんなわけで有馬皇子は「クーデターを起こして天皇になろうとしている」という濡れ衣を被せられ、処刑されてしまったんだ。
無実の罪で処刑されたイエスみたいですね…
イエスの罪状も「ユダヤ人の王になろうとしている」という濡れ衣でした…
だから太宰は引用したんだよ。「椎の若葉」という言葉を出して。
イエにあれば けに盛るメシを くさまくら
旅にしあれば 椎の葉に盛る
万葉集に収められているこの歌は、有馬皇子が処刑前に詠んだとされる辞世の句。
「家ならば器に盛られた飯を優雅に食べられるが、今は遠く離れた寂しい場所で、椎の葉に盛られた飯を手にしている」
という意味ね。
この歌には「イエ」とか「メシ」という言葉が使われている。まるで「イエス」や「メシア」のことみたいに。
そして「椎の葉に盛る」は「死の杯に盛る」にも聞こえる。
太宰もそう思ったに違いない。
『Agony in the Garden』
Master of the Imhoff Altar
なるほど。だから「私」は、故郷の「椎の若葉」を思った瞬間、自分の置かれている状況を理解したのね。
自分は「咎無くて死す御子、イエス・キリスト」だと。
そういうこと。
では続きを見ていこう。この朗読動画では12分あたりからだ。
「私」は、白い石が敷き詰められた道の上でこちらを見ている人々に気付き、不安に襲われます。
そして、震える「私」を「彼」は強く抱きました…
彼は私のわななく胴体をつよく抱き、口早に囁いた。
「おどろくなよ。毎日こうなのだ。」
「どうなるのだ。みんなおれたちを狙っている。」山で捕われ、この島につくまでの私のむざんな経歴が思い出され、私は下唇を噛みしめた。
「彼」は、恐怖に震える「私」を強く抱いた…
そして「私」は、山で捕らえられ、辱めを受け、ここに連れてこられた経緯を思い出す…
つまり、これは…
オリーブ山での出来事、そして裁判のことだね。
『ゲッセマネの祈り』
カール・ハインリッヒ・ブロッホ
『ユダの接吻』
フラ・アンジェリコ
『この人を見よ』
ピーテル・パウル・ルーベンス
そして「彼」は、これが「見世物」であることを教えます。
そして「こういう楽しみ方もある」と言い、見物人たちの解説を始めました。
まずは「人妻」について…
あれは人妻と言って、亭主のおもちゃになるか、亭主の支配者になるか、ふたとおりの生きかたしか知らぬ女で、もしかしたら人間の臍(へそ)というものが、あんな形であるかも知れぬ。
これは「サマリアの女」と呼ばれる弟子のこと。
彼女は過去に五人の夫がいて、イエスと出会った時は六人目の男と同棲していた。
常に男がいないと生きていけない女だったんだ。
だけどなぜ彼女が「へそ」の形なの?
「サマリアの女」は「井戸の女」とも呼ばれる。
絵に描かれる時は、必ず「井戸」と一緒に描かれるんだよね…
あっ…
次に「彼」は「学者」の解説をする。
あれは学者と言って、死んだ天才にめいわくな註釈をつけ、生れる天才をたしなめながらめしを食っているおかしな奴だが、おれはあれを見るたびに、なんとも知れず眠たくなるのだ。
死んだ天才に注釈をつけ、これから生まれる天才をたしなめる?
誰のことでしょう?
福音記者こと使徒ヨハネじゃない?
『福音記者ヨハネ』
グイド・レーニ
その通り。
ヨハネは、十字架で死んだイエス・キリストの物語『ヨハネによる福音書』を書き…
晩年に書いたとされる最後の著『ヨハネの黙示録』では、これから現れるであろう邪魔な存在に対して天災が降りかかると、あらかじめ釘を刺しておいた…
22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
しかしなぜヨハネを思うと眠くなるのですか?
ヨハネといえば「居眠り」だからね。
『ゲッセマネの祈り』
ジョルジョ・ヴァザーリ
そして『ヨハネの黙示録』は、ヨハネが夢で見た物語。
ああ、なるほど…
次に太宰が取り上げたのは、年老いた女優。
なぜかここだけ奥歯に物が挟まったような描写になる。
あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素面(すがお)でいるときのほうが芝居の上手な婆で、おおお、またおれの奥の虫歯がいたんで来た。
突然、虫歯で誤魔化したわ。なぜかしら?
おそらく「処女懐胎」のことを言おうとしたんだろう。
さすがにバレるし、ちょっと畏れ多いので、急に虫歯が痛み出したと誤魔化した。
『受胎告知』フラ・アンジェリコ
なるほど、確かに…
次は「地主」です。
あれは地主と言って、自分もまた労働しているとしじゅう弁明ばかりしている小胆者だが、おれはあのお姿を見ると、鼻筋づたいに虱(しらみ)が這って歩いているようなもどかしさを覚える。
全否定するかと思いきや、「お姿」と敬意をこめたり…
だけど、鼻筋づたいにシラミが這って歩くようなモドカシサを感じたり…
この複雑な言い回しは、どういうことかしら?
「地主」とはローマ皇帝のことだよ。
イエスの存在を恐れたユダヤの長老たちは、イエスにローマ皇帝を全否定させ、反逆罪の罪を被せようと企んだ。
「神聖なる神殿に税をかけるローマ皇帝は正しいのか?」という質問で罠にはめようと考えたんだ。
しかしこの策略に気付いたイエスは、ローマ皇帝の顔が描かれたコインを持ち、慎重に言葉を選びながら、こう答えた。
「カエサルの物はカエサルに。神の物は神に」
なるほど。確かに「もどかしさ」を感じますね…
神殿への課税に対する正否の答えにはなっていませんから…
そして最後は「白手袋の男」…
最も酷い言われようです…
また、あそこのベンチに腰かけている白手袋の男は、おれのいちばんいやな奴で、見ろ、あいつがここへ現われたら、もはや中天に、臭く黄色い糞の竜巻が現われているじゃないか。
白手袋の男が現われたら、空に黄色い竜巻が現われる?
何を言ってるの太宰は?
聖書で最も重要な存在のことを言ってるんだよ。
「白手袋の男」とは「神」のことだ。
神? なぜ神が白手袋してるの?
ほら。してるでしょ。
あっ…
しかし太宰は、白手袋の男は「ベンチに腰かけている」と書いています。
手首だけ空にあって、体はこっちにあるんだ…
ベンチのすぐそばに…
お言葉ですが、教官…
神はベンチの上にいます。ベンチに腰掛けていません。
おぬしは何もわかっとらん。
あのベンチに接してる「柱」が神のボデーなのじゃ。
え?
洋の東西を問わず、古来より、神は「柱」に喩えられる。
神が1人なら「一柱」、2人なら「二柱」と数えることも知らんのか?
やられた…
『猿ヶ島』を読んだ田辺聖子は、このジョークに気付いたのね…
だから『ジョゼと虎と魚たち』で「白手袋の男」ネタを使ったわけ…
坂の上で、後ろからジョゼの車椅子を押した、謎の男の手として…
なんと…
ちなみに太宰は後年、この「白手袋」のなぞなぞの答えを、別の作品で明かしている…
「白手袋」とは「神」であると…
『猿ヶ島』から約十年後に書かれたエッセイ『如是我聞』の中で…
君たちの、所謂「神」は、「美貌」である。真白な手袋である。
如是…
「如是」は「にょぜ」とも「じょぜ」とも読み…
その意味は「その通り」というもの…
つまり、ヘブライ語の「AMEN」や、英語の「YES」だ…
その通り… YES…
そして「我聞」は「わたしは聴いた」という意味。
だから「如是我聞」は…
「YES、その通り。と私は聴いた」という意味になる。
田辺聖子は、太宰の『猿ヶ島』の「白手袋」から、そこまで深読みしたってわけ?
当然だろう。彼女は文学者だよ。
明らかに意味深なあの描写を深掘りすることは当たり前のことだ。
というか、あれを読んだら誰だって気になるだろう?
そして、その秘密に辿り着いた田辺聖子は…
数々の名画が元ネタになっている『猿ヶ島』のトリックをそのまま踏襲し…
「如是」という名前のヒロインを主人公にして『ジョゼと虎と魚たち』を書いた…
えっ!?
どうしました?
トラが言ったの…
「その通り。もう、そうとしか思えない」って…
確かに、もう、そうとしか思えませんが…
それにしてもこのトラは、いったい何なんですか…
矢が立った石のトラなのに、人の言葉を喋るなんて…
しかも教官や深代ママさんの脳にだけ直接…
おぬしはヘタレだから聴こえんのじゃ。
この、軟弱者!
ひどいなあ…
そんなこと父さんにも言われたことないのに…
わかった…
あたしって、深読み界の皇帝と呼ばれた父の血を引いてるからじゃない?
ニュータイプの血を引いていたガンダムのセイラみたいに。
え?
うふふ。あたしも聴こえるんだけど(笑)
文代さんもか…
だけど文代さんのほうがセイラさんって感じがするなあ…
今なんて言った?
あたしのどこがセイラじゃないってわけ?
金髪にしたらクリソツじゃん!
そ、そうですね…
深代ママはセイラさんそっくりです…
でしょ? これからはアルテイシアって呼んで頂戴。
うふふ。
それじゃあキャスバルは誰なのかしら(笑)
・・・・・
つまりわしは「難波なる」ってことじゃな。
難波なる?
言い間違えたわい。ランバ・ラルじゃ。
何の話をしてるんですか?
気にするな。わしらとトラのハナシじゃ。
????
さあさあ。無駄話はこれくらいにしましょ。
『猿ヶ島』最大のトリックであるオチを解説してもらわなくちゃ。
よろしく、深読み探偵さん(笑)
ええ。わかりました…
つづく
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