「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)&読みたいことを、書けばいい。」(第257話)
前回はコチラ
2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
太宰がスワに「すすき」を持たせたのは、これを想起させるため…
第三章で描かれる「問題の場面」には、この「芒」が隠されている…
ええっ?
それでは第三章を見ていこう…
この朗読では12分35秒から…
まず太宰は、スワの「きのこ採り」について語る。
なめこというぬらぬらした豆きのこは大変ねだんがよかった。それは羊歯類の密生している腐木へかたまってはえているのだ。スワはそんな苔を眺めるごとに、たった一人のともだちのことを追想した。蕈(きのこ)のいっぱいつまった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋へ持って帰るのが好きであった。父親は炭でも蕈(きのこ)でもそれがいい値で売れると、きまって酒くさいいきをしてかえった。
なんかエロチックよね…
たった一人の「ともだちのこと」を夢想するとか意味深だし…
もしかして、ぬらぬらした「きのこ」って、アレのことかしら…
妄想も大概にせんか。
いつもヌラヌラしたキノコのことばかり考えておるから、そういうふうに思えてしまうのじゃ。
しかし、よく考えたら変ですよね…
わざわざ「きのこ」の話に、第三章の四分の一を割く必要があるでしょうか?
うふふ。太宰は別のことを言ってるのよ。
この物語にとって、とっても大事なことを。
え?
「きのこ」を見て、スワは「たった一人のともだち」のことを追想した…
羊歯とナメコが腐木の根元にかたまってはえている、つまり「映えている」様子を見て、それをイメージしたんだ…
映えている?
つまり、これのこと…
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
アンドレア・マンテーニャの『磔刑図』?
そう。「きのこ」とは「木の子」…
スワが夢想した「たった一人のともだち」とは「木に架けられた子」のことだ。
なるほど、そういうことだったのね…
さらに太宰は、こうも言ってる。
「キノコのいっぱい詰まった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋へ持って帰るのが好きであった」
そして、そんな日は、父親が御機嫌で「酒臭くなる」とも。
これも何か別のことを言っているのでしょうか?
たくさんのキノコと青々としたコケがつまった籠を持ち帰った娘…
それを喜び、上機嫌で酒臭い息をはく父親…
太宰は、この絵のことを言ってるのよ。
『ロトと娘たち』
ヤン・ハルメンス・ミュラー
あっ!
ロトと娘による「子作り」を描いた絵では、お酒の他にも、食べ物と葉っぱで満たされた籠が描かれる。
スワの「きのこ採り」は、これから起こることの伏線になっていたわけだ。
「父を受け入れる処女」というモチーフの伏線に…
そして場面は「問題のシーン」に移る。
スワはこの日が「特別な日」であることを理解していたので、普段はしないお洒落をして父を待っていた…
スワは一日じゅう小屋へこもっていた。めずらしくきょうは髪をゆってみたのである。ぐるぐる巻いた髪の根へ、父親の土産の浪模様がついたたけながをむすんだ。それから焚火をうんと燃やして父親の帰るのを待った。
「たけなが」って何ですか?
紙製の髪飾りのことだよ。
わかった。「紙」も「髪」も「カミ」だわ。
この直前にも「カガミのついた紙」が出て来たでしょ?
これは「カミ」づくしね。
それもある。
だけど、スワが普段しないヘアメイクをしたのは、この姿を再現するためだ。
フラ・アンジェリコ『受胎告知』のマリア?
『Annunciation』
Fra Angelico
あっ!
「滝の近くの茶屋」は、この絵の一部だ!
その通り。
太宰が言っていた「茶屋」と「滝」、そして離れたところにある「炭焼き小屋」とは、フラ・アンジェリコ『受胎告知』の構図のことだったんだ。
そんな、まさか…
そしてスワは、ひとりで夕飯を食べる。
その献立も、これから起こることの伏線じゃ。
日が暮れかけて来たのでひとりで夕飯を食った。くろいめしに焼いた味噌をかてて食った。
くろいめしに焼いた味噌が?
くろいめし、やいた味噌(笑)
あっ! メシヤ…
そして太宰は、こんな日は不思議なことが起こると語り、3つの例を挙げる。
夜になると風がやんでしんしんと寒くなった。こんな妙に静かな晩には山できっと不思議が起るのである。天狗の大木を伐り倒す音がめりめりと聞えたり、小屋の口あたりで、誰かのあずきをとぐ気配がさくさくと耳についたり、遠いところから山人(やまふと)の笑い声がはっきり響いて来たりするのであった。
まずは天狗ですね。
天狗が大木を切り倒す音が、めりめりと聞こえた…
『東京開化狂画名所 虎ノ門』月岡芳年
「めりめり」だって(笑)
何が可笑しいのですか?
太宰のジョークだよ。
「受胎告知」は『ルカによる福音書』第1章26節から38節に描かれているんだけど、そこでは「Mary」という名前が何度も呼ばれる。
『Luke』
1:26 In the sixth month of Elizabeth's pregnancy, God sent the angel Gabriel to Nazareth, a town in Galilee,
1:27 to a virgin pledged to be married to a man named Joseph, a descendant of David. The virgin's name was Mary.
1:28 The angel went to her and said, "Greetings, you who are highly favoured! The Lord is with you."
1:29 Mary was greatly troubled at his words and wondered what kind of greeting this might be.
1:30 But the angel said to her, "Do not be afraid, Mary; you have found favour with God.
メリ、メリ…
そして「メリメリ」言っていたのは…
天使ガブリエル…
神の忠実なる使いだから、確かに「天狗」ね…
2つ目の不思議は…
誰かが小屋の外で小豆をさくさくと研いでいる気配…
「あずき」を研いでいる気配?
妖怪「小豆洗い」でしょうか?
あっ!わかった!
フラ・アンジェリコ『受胎告知』別バージョンの方だわ!
え? これですか?
ほら!小豆を洗ってるみたいじゃん!
なんと…
そして3つ目の不思議…
遠いところから響いてくるような、山人(やまふと)の笑い声…
もうわかるわよね?
「受胎告知」の絵の中で、いちばん遠いところにいる登場人物は?
遥か空の彼方にいる天の父です…
あまりにも遠くにいるため、集合写真の欠席者みたいに描かれています…
次に太宰は、うとうとするスワの姿を説明する。
父親を待ちわびたスワは、わらぶとん着て炉ばたへ寝てしまった。
スワは「わらぶとん」を「着て」いた…
確かに「ふとん」を「着ている」ように見えます…
そしてスワは「むしろ」の向こうに山人の気配を感じ…
部屋の中に舞い込んできた「白いもの」を見る…
うとうと眠っていると、ときどきそっと入口のむしろをあけて覗き見するものがあるのだ。山人が覗いているのだ、と思って、じっと眠ったふりをしていた。
白いもののちらちら入口の土間へ舞いこんで来るのが燃えのこりの焚火のあかりでおぼろに見えた。初雪だ! と夢心地ながらうきうきした。
「山人」は「天の父」…
つまり「むしろ」の隙間から舞い込んで来た「白いもの」とは…
白い鳩…
「芒」に包まれた、聖霊…
そして太宰は「空白の一行」を設けた。
スワが「父」を受け入れる過程は描かなかったのよね。
これが、この作品最大のトリック。
スワの「覚悟」や「幸福」といった感情描写を隠したので、多くの読者は、これを「父による娘への性的虐待」だと思い込んでしまった…
確かに、父ロトを受け入れた娘も、天の父を受け入れたマリアも、そこに嫌悪感や罪の意識はなかったわ…
なぜなら、それは自身で納得して、望んだ行為だったから…
しかしなぜ太宰はこの2つを結びつけたのでしょう?
太宰が結び付けたのではない。
元々結びついているものなんだ。
えっ?
「マリアが天の父の子を産む」という物語の原型は、「ロトの娘が父の子を産む」なんだよ。
そうなんですか?
『ヨハネによる福音書』で、イエスはこう言っている。
「トーラー(モーセ五書)は私のことを書いている。モーセは私のことを書いたのである」
『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』の五書は、イエス・キリストの物語だと語ったんだね。
だから四福音書は、トーラーの言葉や有名な場面を想起させる描写で埋め尽くされている。
幼い頃にイエスがエジプトへ行ったり、主人公なのにクライマックスで神によって殺されてしまうのも、トーラーのモーセを踏襲しているからだ。
つまり…
ロトと娘の行為も、イエス・キリストの物語で再現されなければならない…
そういうこと?
そう。モーセが書いたことには必ず意味がある。
だから「処女マリアが天の父の子を産む」という物語が生まれた。
そもそも、ロトと娘の行為に嫌悪感を抱くほうがオカシイわよね。
なぜですか? 明らかに異常でしょう?
だって、イザナギとイザナミも、実の兄と妹よ。
二人が産んだ日本の島々と八百万の神々は、禁断の関係から生まれたものなの?
あっ…
洋の東西を問わず、創世神話というのは、どれも似たり寄ったりじゃ。
ちなみに、ロトの娘が産んだ子は「モアブ」と名付けられた。
「モアブ」とはヘブライ語で「父親より」という意味だ。
そしてモアブはモアブ人の祖先となり、その中からルツが生まれた。
ルツ?『ルツ記』のルツ?
その通り。
モアブ人の土地に亡命していたユダヤ人ナオミの息子の嫁になり、ナオミたちがユダヤの地へ帰る際、偏見や人種差別を恐れず、姑に付き従ったルツ…
ナオミとルツは「人種の違いを超えた愛と絆」の象徴。
だからこの二人の名前は、マイノリティやハーフの子によく付けられる。
ミレーの『落穂拾い』のモデルでもあるわね。
ちなみに正教会では「ルツ」を「ルフィ」と呼ぶ。
人種の違いを超えた友情の物語『ワンピース』の主人公の名にも使われとるな。
そして、モアブ人ルツの曾孫が、ユダヤ人の王となる。
羊飼いダビデだ。
ええっ!?
ダビデは、ロトの娘が父の種をもらって作った子の末裔だったの?
そうだよ。
そしてダビデの子孫として大工ヨセフが現われる。
だからイエスは「ダビデの子」と呼ばれたんだね。
つまり…
ロトの娘が父を体内に受けれ入れたことが、後のダビデ王の誕生につながり…
それが、救世主イエス・キリストの降臨につながった…
そういうこと。
だからロトと娘の行為は恥ずべきものでもなんでもない。
神聖な出来事であり、新約の要、マリアの処女懐胎の予型なのだから。
太宰はそこをよく理解していた。
「一行の空白」のあとの描写もキレッキレよね。
疼痛(とうつう)。からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。
「阿呆」
スワは短く叫んだ。
なぜここで「阿呆」と?
また「アタイ」ですか?
「くさい呼吸」だったから「あほ」と言ったのよ。
は?
「アホ(ajo)」はスペイン語で「にんにく」という意味。
スワは臭い息を嗅いで「にんにく!」と思わず叫んでしまった…
まさか…
もしくは…
心酔していた芥川龍之介の遺作『或阿呆の一生』の「阿呆」…
えっ? 芥川?
そしてスワは、炭焼き小屋の外へ飛び出し…
気がつくと、足の真下で滝の音がしていた…
ほとんど足の真下で滝の音がした。
狂い唸る冬木立の、細いすきまから、
「おど!」
とひくく言って飛び込んだ。
足の真下に滝…
『猿ヶ島』と同じパターン。これのことだわ…
そして、最終章である第四章…
スワの「変身」と「結末」の意味について解説しよう…
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?