「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇⑰&読みたいことを、書けばいい。」(第243話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
やはり『ライフ・オブ・パイ』は「田辺聖子」なんだよ。
田辺聖子の中にすべての答えがあったんだ。
信じられません…
それでは解き明かすとしよう。
『ライフ・オブ・パイ』の主人公の名前「パイ」に隠された真実を…
Pi Patel(パイ・パテル)
そもそも「PI」(パイ)という愛称は「PISCINE」(ピシン)の略でした。
パイの叔父ママジは旅行好きで、もうすぐ息子が生まれる兄弟、つまりパイの父に手紙を書きました。
「世界でこんなに素晴らしいプールはない。パリのピシン・モリターは、人生で一度は訪れるべき場所だ」と。
そしてなぜかパイの父は、生まれた息子にそのプールの名前を付けます…
Piscine Molitor
「Parisのプール」とは「Palestineのプール」、つまり『ヨハネによる福音書』に出てくる洗礼の場所、ヨルダン川東岸のプール(溜池)のことだった。
『ヨハネによる福音書』
1:28 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。
そしてパイは小学校に上がると「おしっこ」とバカにされる。
先生から名前を呼ばれるたびにクラスメイトに笑われ、不良にスクールヤードでイジメられた。
「ピシンのくせに生意気だ!こんなところで小便するなよ!出て行け!」と。
なぜなら「ピシン」という響きが「小便をする」の「pissin'」と似ていたから…
『ライフ・オブ・パイ』で「おしっこ」がキーワードになるのは、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』をそのまま踏襲したからに他ならない。
冒頭、自動車旅行での描写でジョゼの高飛車ぶりが紹介され、そこから長い回想が始まる。
まず最初に回想されるのは、かつてジョゼが恒夫に言ったセリフ…
「あかん。オシッコなんかしたらあかん!生意気や!早よ出え!」
そのまんまですね…
うふふ。そのまんま過ぎるでしょ、ヤン・マーテル(笑)
Yann Martel
そして、田辺聖子は物語の中盤で、再び「おしっこ」をキーワードとして登場させた。
あれ以降に「おしっこネタ」なんて、出て来ましたっけ?
「いばり」の場面だよ。
恒夫がジョゼの「威張り」について分析する場面のこと?
日常的にジョゼが威張り散らすことについて、恒夫は「だいたいその意味はわかるけど指摘せずにおこう」と決める場面でしょ?
そう。「いばり」とは「聖水」のことだ。
聖水?
ジョゼの「いばり」とは「威張り」ではなく…
「尿」の古い呼び方「いばり」なんだよ。
にょ、尿?
トラなど縄張りをもつ肉食動物は「尿」で自身の存在をアピールする…
自分の通り道に「尿」を散らして標(しるし)をつけ、優位性や所有権を示すの…
いわゆる「marking(マーキング)」と呼ばれる行為のことね…
それを田辺聖子は、ジョセの恒夫に対する「いばり」と表現した…
なるほど。確かにそう言われてみれば…
これも『ライフ・オブ・パイ』で、そのまま再現されている。
パイはトラに対し優位性を示そうと、目の前で小便をしてみせた。
ここから先は俺の縄張りだ、俺に従えと…
しかしトラは少しも動ぜず、パイに尻を向け、豪快に「尿」を浴びせかけました…
「この方舟は俺のもの。そしてお前も俺のもの」と嘲笑うかのように…
虎の「いばり」には勝てないわ…
なにせ相手は神の投影。かたやパイはイエスの投影だから…
ジョゼの本名も「クミ」、つまり「カミ」だった…
だから恒夫も、神の「いばり」を受け入れた…
ちなみに「尿(いばり)で争う」は『源氏物語』が元ネタね。
え?
「光源氏」と「明石の方」の娘である「明石の姫君」は、光源氏の正妻「紫の上」の養女として引き取られ、最高の英才教育を施されて入内し、見事に天皇の寵愛を受け第一皇子を産む。つまり将来の天皇を産んだわけだ。
そんな孫の誕生が嬉しくて仕方ない光源氏は、孫を抱きに明石の姫君のもとへ行くが、紫の上が皇子を独占していてなかなか抱かせてもらえない。
だからこんな愚痴をこぼすんだ。
「紫の上はもう何度もオシッコをかけられている!私も早く皇子のオシッコを浴びたい!」
オシッコを浴びたい?
これは紫式部の後援者であった藤原道長をネタにしたもの。
道長の娘も天皇の寵愛を受け皇子を産んだ。将来の天皇の「じいじ」になった道長は、嬉しさのあまり、皇子のオシッコを浴びては「わが世の春」と大喜びしていたという。
『ライフ・オブ・パイ』に「おしっこネタ」が頻出するのは『ジョゼと虎と魚たち』が元ネタで、さらに遡ると『源氏物語』に行き着くと?
そこは後程また詳しく話す。
さて、クラスメイトに馬鹿にされていたパイは、ある日、みんなの前でプレゼンテーションを行う。
自分の名前は「ピシン(おしっこ)」ではなく「パイ」、つまり「円周率 π」だと。
あっ!
どうしました?
パイが「円周率 π」を説明するために黒板に書いた図…
パイの「旅」そのものじゃん…
その通り。
パイの旅の軌跡は、インドとメキシコの上を走る標準時子午線、東経75度と西経105度を結んだ線を直径とする円の円周を、ちょうど半周移動した形になっている。
だから「パイ」という名前になった…
円周割る直径は「3.14」、つまり「π」だから…
これが『ライフ・オブ・パイ』に隠された真実…
そうじゃない。
え?
この作品には大きな前提があった。
「パイの物語=聴いた者が神を信じるようになる物語」
というものだ。
つまり「パイ」が「円周率」では、この定義が成立しない。
確かにそうね。「円周率の物語」では、神とか関係なくなってしまうわ。
では「パイ」とは何なんですか?
何の物語だったら、この定義が成立するのでしょう?
もしかして「乳」と「父」の駄洒落とか?
パイは「おっぱい」のパイ?
それなら成立しますね。
「チチの物語=聴いた者が神を信じるようになる物語」ですから。
確かに「パイの物語」は「父と子の物語」だけど、主役は「父」ではなく「子」だ。
だから「チチの物語」ではない。
あ、そうか。じゃあ何なの?
よく考えて欲しい。
なぜ「パイの物語」に「日本」が様々な形で関係していたのかを…
日本の船会社が所有する貨物船ツィムツーム号は、インドを出発した後にマニラに立ち寄り、マリアナ海溝に差し掛かったところで謎の嵐に遭遇して難破…
激しい衝突音の後、高波に飲み込まれて沈没した…
奇跡的に脱出したパイは、そこからトラと一緒に救命ボートで漂流し…
不思議な木々で出来ていて、海水から真水を生成し、生き物の肉を養分にしていた食肉島を経て…
最後は、中部メキシコの西海岸、まるで関西弁のように聞こえる Tomatlan(トマットラン)という場所に漂着…
パイが奇跡の生還を果たした関西弁風のトマットランという地は、標準時子午線である西経105度線が走っている町でした。
そして、サバイバーであるパイの出現をニュースで知った日本の運輸省海事局は、たまたまロサンゼルスにいたオカモトを調査員として現地に派遣…
オカモトは助手のチバと自動車に乗って、約2000㎞の距離を一日半かけて移動する…
標準時子午線「西経120度線」が近くにあるロサンゼルスから、同じく標準時子午線「西経105度線」のあるトマットランへの移動…
パイの乗った貨物船の沈没は、証拠が何も残っていない不思議な事件だった。
あの海域では誰も貨物船を見ていなくて、本来なら周辺海域に浮かんでいるはずの残骸の欠片すらも見つかっていないという、何から何まで信じ難い案件。
トマットランへ派遣されたオカモトの使命は、パイにインタビューして、太平洋上で何があったのかを確かめること…
沈没事故と奇跡の生還が「事実」であるという「証し」を立て、それをもとにレポートを作成することだった…
「証し」か…
なんだか「明石」みたいですね。
何くだらないダジャレ言ってんのよ。
すみません…
うふふ。それで合ってるのに。
パイは「明石」なのよ(笑)
は?
田辺聖子は『ジョゼと虎と魚たち』の物語を、こんなセリフで始めた。
「わっ。橋だあ」
「わっ。海だ」
これはジョゼこと「クミ」の言葉。
田辺聖子は何の意図があって、こんな始まり方にしたんだっけ?
『ヨハネによる福音書』の冒頭を再現するためです…
クミとは「カミ」ですから…
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
その通り。
『ジョゼと虎と魚たち』は『ヨハネによる福音書』を現代の関西に置き換えた物語だった。
だから冒頭の言葉が、クミによる「橋と海」だったんだよね。
この「橋と海」とは?
熊本県の天草諸島に架かる天草五橋ではなく、兵庫県の明石海峡に架かる明石海峡大橋です…
そう。田辺聖子は、大阪近郊の町に住む主人公カップルに自動車旅行をさせ、長大で目もくらむような高さの「赤い橋」と称して、当時まだ建設予定段階だった「明石海峡大橋」を渡らせた…
もうわかったよね?
田辺聖子がここまで手の込んだ嘘をついたわけが…
あっ…
「あかし」といえば『ヨハネによる福音書』第1章の続きじゃん…
1:7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。
1:8 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
その通り。
四福音書のひとつ『ヨハネによる福音書』は「あかし」をテーマにして書かれたもの。
全21章の中に、実に46回も「あかし」という言葉が出てくるんだ。
しかも書の締めくくりまで「あかし」について念を押した内容になっている。
21:24 これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である。そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている。
21:25 イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。
そして『ライフ・オブ・パイ』も『ヨハネによる福音書』の再現になっていた…
トーラー(モーセ五書)を再現して、それがそのままイエス・キリストの物語になるという『ヨハネによる福音書』と全く同じ構成で…
「イエス・キリストの物語」とは「あかしの物語」に他ならない。
つまり「パイの物語」とは「あかしの物語」だ。
半信半疑でやって来た日本人に、パイが自分自身の物語、つまり「あかし」を語り、神を信じるようにさせる…
「パイ=あかし」なら、あの定義もきれいに成立するよね。
「パイの物語=あかしの物語=聴く者が神を信じるようになる物語」
田辺聖子が「あかし」を「明石」で再現したから、ヤン・マーテルもそれに倣ったということですか?
その通り。
ていうか、なんで「パイ」が「明石」なの?
ヤン・マーテルが「日本人」と「子午線」のネタを使ったことの意味がここにあるんだ。
明石には「東経135度線」が走っている。
明石は日本標準時子午線の町として有名じゃ。
子午線上の明石市立天文科学館には、日本標準時を刻む大時計も設置されとる。
あ、そういえばそうだったわね。学校で習った気がする。
だけどそれだけで「明石」が「パイ」であるなんて強引だわ。
ヤン・マーテルは、田辺聖子が『ジョゼと虎と魚たち』で「明石」を「証し」として使っていることに気付き、深い感銘を受けた…
そして、明石についていろいろ調べているうちに、とんでもないことに気がついたんだ…
これは主人公の名前に使えるぞ、と…
とんでもないこと?
「明石」は「パイ」だったんだよ。
「明石」は円周率「π」そのものだったんだ。
は? 明石がパイ?
いったいどういうことでしょう?
円周率「π」とは何のことかな?
直径に対する円周の比率です。
直径が「1」なら円周は「3.14」、直径が「2」なら円周は「6.28」。
その通り。つまり「円周率 π」とは「円周」割る「直径」のこと。
こんなこと小学生でもわかるわ。だから何なの?
市章って知ってる?
市章? 家紋みたいなものでしょ?
そう。これが明石の市章。
・・・・・
な、何ですか、これ…
「円周・割る・直径」そのものじゃないですか…
なんと…
うふふ。ヤン・マーテル、最高(笑)
「あかし」とは「パイ」…
つまり「パイの物語」とは「あかしの物語」…
これこそが、ヤン・マーテルが『ライフ・オブ・パイ』という作品に仕掛けた最大のトリックだ…
信じられない…
明石家さんまの歌みたいに「真赤なウソ」じゃないわよね…
♬どんなに男が偉くても~♬
♬女の乳房にゃ敵わない~♬
♬真赤なウソ!♬
ありえない…
こんなこと、絶対にありえない…
えっ? 今、誰か「ありえる」って言った?
誰も言ってませんよ。ていうか、ありえないです。
矢が立った石のトラだ…
今あのトラが「ありえる」と言った…
また聴こえたわ…
「まだまだありえる。もっと信じられないことがありえる」って…
まだまだある? もっと信じられないことが?
・・・・・
教官、どうしました?
トラが岡江クンに、こう言ったの…
「君が『ライフ・オブ・パイ』と『ジョゼと虎と魚たち』のすべての謎を解き明かしたら、再び会おう」って…
すべての謎? まだ残ってるんですか?
パイの名前の謎も解けたのに?
まだ大きな問題が残ってるんだよ…
なぜヤン・マーテルが、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』を知ったのか、という問題が…
フランス系カナダ人のヤン・マーテルが『ライフ・オブ・パイ』を書いていた90年代後半に、どうやって田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』を知ることが出来たのか、という問題がね…
当時は、というか、おそらく現在も、田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』は英訳されていないから…
あっ… 確かに…
どうやら、すべてを語らねばならないようだ…
それをトラは望んでいる…
いったい何なの? あたしたち、どうなってしまうの?
うふふ。
何だかわからないけど、面白くなってきた(笑)
・・・・・
つづく
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