「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)完結篇㉘&読みたいことを、書けばいい。」(第254話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
「スワ」という名前に隠された「神」の文字…
いったい何のことだろう?
まだわからぬのか。
おぬしは本当にボンクラ、阿呆じゃな。
しょうがない。わしがヒントを見せて進ぜよう…
ヒント?
(パサァ…)
これを見れば…
さすがに気付くじゃろう…
は?
どこからどう見ても「スワ」じゃな…
この髪型は…
シュワちゃん?
ド阿呆!「スワ」だと言っとるじゃろう!
わかった…
もしかして、クリスティ・スワンソン?
おぬしら、揃いも揃って…
わしをコケにしとるのか?
じゃあ何なんですか、その髪型は?
この流れるような美しいロン毛…
どこからどう見ても、スケバン刑事の「神 恭一郎」じゃ!
じん、きょういちろう?
ああ、そっちか…
神 恭一郎は、スケバン刑事こと麻宮サキの師でありパートナー…
少年時代に悪の秘密組織「猫」に捕まり、世界から遮断するために鉄仮面をつけられて監禁され…
そこから逃げた後は、復讐をするために「闇の虎」となったの…
闇のトラ? 何ですかそれは?
「虎」といえば「闇」に決まっとる。
トラはネコ科。夜行性の動物じゃ。
そうでした…
しかし、少女時代に鉄仮面を付けられ監禁されていたのは、二代目 麻宮サキこと南野陽子ですよね?
うふふ。若い子は知らないのかもね。
和田慎二の原作では、鉄仮面を付けて世界から隔離されていたのは、神 恭一郎なのよ…
そうそう。あたしも神 恭一郎、大好きだった…
中学生の頃にハマったな、和田慎二のスケバン刑事。
妹と漫画本を取り合いしてたっけ…
しかしなぜ「スワ」が神 恭一郎なのですか?
「神」という苗字を名乗る「スワ神党」のこと。
その通り。神 恭一郎もスワ神党の末裔じゃ。
スワ新党?
諏訪さんが新しく作った党?
その「新党」ではない。
「神」と書いて「じん/みわ」と読む姓を名乗る諏訪一族の集団だから「諏訪神党」だ。
「スワ」氏は「神」氏なんだよ。
ええっ!?スワは神?
だから太宰は主人公の名前を「スワ」にしたんだ。
「神」という言葉を隠しながら「神の物語」をするために。
なんてこった。
そもそも主人公の名前が「答え」だったとは…
田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』も、そうだったでしょ?
「ジョゼ」とは「如是」、つまり「その通り・YES」という意味だった。
そして「ジョゼ」の本名は「クミ子」、つまり「カミの子」だった(笑)
あっ、そうでした…
この「名前が答え」というトリックは、そのまま『ライフ・オブ・パイ』でも踏襲された…
「パイ」とは「円周率 π」のことであり、それは「あかし」そのもの…
「パイの物語」とは「証しの物語」という意味だった。
田辺聖子は太宰治を元ネタにして『ジョゼと虎と魚たち』を書き…
ヤン・マーテルはそれを元ネタにして『ライフ・オブ・パイ』を書いた…
そういうこと。
では第一章の続きを見ていきましょう。
第一章の後半は…
「滝」と「色の白い都の学生」についてだわ…
『猿ヶ島』でも「滝」が重要な意味を持っていたよね。
「滝」とは何のことだった?
アンドレア・マンテーニャの絵『磔刑図』に描かれていた…
十字架を流れ落ちる、イエスの血です…
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
その通り。
そしてその滝壺に、ひとりの男が落ち、命を落とした。
「色の白い都の学生」だ。
太宰は誰のことを言っているのか、わかるかな?
モデルがいるんですか?
もちろん。これは「イエスの予型」だ。
モーセ五書をはじめ旧約聖書にはイエスの予型が何人も登場する。
その中の誰のことか、よく考えてごらん。
「色の白い」に何か意味がありそうね…
「都から来た学生」でも十分なのに、わざわざ「色の白い」って付けるくらいだから…
色が白いといえば…
モーセとエリヤを従え、白く変容して宙に浮かんだ時のイエスですが…
『主イエスの変容』
ラファエロ・サンティ
だけどイエスは「落ちて」いないよね。
太宰はこう言っているんだ。
彼は、とても珍らしい羊歯(シダ)を採取していて滝に落ちた、と…
そこにヒントがあるの?
ヒントというか「答え」だよね…
『磔刑図』では、「滝」の下に何が描かれていた?
「滝」の下?
アダムの骸骨でしょ?
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
アダムはね…
とっても珍しい植物の実を採取したがために「堕落」してしまったのよ…
いわゆる失楽園しちゃったから、あそこに白骨があったの…
『失楽園』
ピーテル・パウル・ルーベンス
あっ、知恵の木…
しかも、あの知恵の木の葉っぱ、シダっぽい…
「太宰」というペンネームは「堕罪」の駄洒落…
だから「失楽園」には人一倍関心があったはず…
きっとルーベンスの描いた「失楽園」を見て、「羊歯(シダ)」を思いついたのかも…
「シダ」は「師だ」と「死だ」の駄洒落の可能性もあるがな。
確かに「羊歯」には、色んな意味が込められていそうですね…
超レアなシダを採取しようとして滝に落ちた色の白い男は、イエスの予型「アダム」…
だから太宰は、その時の様子を、こんなふうに書いた…
滝の附近に居合せた四五人がそれを目撃した。しかし、淵のそばの茶店にいる十五になる女の子が一番はっきりとそれを見た。
滝のすぐ近くにいた四五人より、少し離れた茶店にいた女の子がハッキリと見ていた?
どういうことでしょう?
これのことだ。
そのまんまだろう?
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
あっ…
「四五人」って…
そう。
「アダムが落ちた滝」のそばには女性が五人いる。
しかもなぜか青い布をまとっている一人だけ後頭部に光輪が描かれていない。
マリアたち四人と一緒にいるのに、なぜか彼女だけはキリスト者ではないかのように描かれているんだ。
だから太宰は「四人」でもなく「五人」でもなく「四五人」と書いた。
太宰、細か…
では、一番はっきりと見ていた「茶店にいた女の子」とは、使徒ヨハネのことなのですか?
そうだよ。
あの「四五人」は、アダムが落ちた滝のすぐ近くにいるけど、よく見ていない。
だけどヨハネだけは、目をそらさずにハッキリと見ている。
確かに…
そして…
マンテーニャの『磔刑図』では男っぽく描かれているけど…
伝統的に使徒ヨハネは、「女の子」みたいに描かれることが多い…
『最後の晩餐』
レオナルド・ダ・ヴィンチ
なんと…
確かに「十五になる女の子」にしか見えない…
では第二章に行きましょう。
まず太宰は「炭焼き小屋」と「茶店」について説明する…
馬禿山には炭焼小屋が十いくつある。滝の傍にもひとつあった。此の小屋は他の小屋と余程はなれて建てられていた。小屋の人がちがう土地のものであったからである。茶店の女の子はその小屋の娘であって、スワという名前である。父親とふたりで年中そこへ寝起しているのであった。
スワが十三の時、父親は滝壺のわきに丸太とよしずで小さい茶店をこしらえた。ラムネと塩せんべいと水無飴とそのほか二三種の駄菓子をそこへ並べた。
普段スワと父が寝起きしている炭焼き小屋は、茶店から少し離れた場所にあった…
そしてその炭焼き小屋は、同業者たちの小屋から、かなり離れて建てられていた…
なぜなら、スワの父は余所者だったから…
スワの父は余所者? 同業者たちから離れた場所に住んでいた?
意味深ね…
別に無くてもいい情報を、わざわざ…
太宰は「何か」を伝えようとしている…
その通り。
ヒントは次の部分に隠されている。
夏近くなって山へ遊びに来る人がぼつぼつ見え初めるじぶんになると、父親は毎朝その品物を手籠へ入れて茶店迄はこんだ。スワは父親のあとからはだしでぱたぱたついて行った。父親はすぐ炭小屋へ帰ってゆくが、スワは一人いのこって店番するのであった。遊山の人影がちらとでも見えると、やすんで行きせえ、と大声で呼びかけるのだ。父親がそう言えと申しつけたからである。しかし、スワのそんな美しい声も滝の大きな音に消されて、たいていは、客を振りかえさすことさえ出来なかった。
ここにヒントが?
まだわからぬか?
太宰は、無駄な描写を省き、必要な情報だけをぎゅうっと圧縮しとるぞ。
え?
しかも、ここでもうフラグが立っているわよね…
後に起こる、父と娘の「あれ」のフラグが…
フラグ? どういうこと?
太宰は「ロト」のことを言っているんだよ。
旧約の『創世記』に登場する、アブラハムの甥で…
新約聖書では「義人」と呼ばれるロトのことを…
ええっ!?
ロトは当初、アブラハムら一族郎党と共にカナンで遊牧生活をしていたが、群れが大きくなり過ぎたため問題が起こり、皆と離れてソドムに新天地を求めた。
そしてある日、ロトがソドムの門に座っていると、目の前を旅人が通りがかる。
ロトは旅人に「どうぞ我が家に立ち寄って、休んでいってください!」と声をかけた…
『創世記』第19章1-2
そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。
スワも父親に言われていた通り、道行く観光客に「休んで行きなせえ」と大声で叫びました…
だけど観光客は、茶店に立ち寄ってくれなかった…
そしてロトは、堕落の罪でソドムに天罰が下ることを聴かされ、妻と娘を連れて人里離れた場所に移動する。
逃げる際には「決して後ろを振り返ってはならない」という決まりがあった。
しかし、ロトの後を歩いていた妻はソドムに未練があったので、禁を破り、振りむいてしまう。
そして塩の柱になってしまった…
『ソドムを離れるロトと娘、塩の柱になった妻』
「スワは父親のあとからはだしでぱたぱたついて行った」
「たいていは、客を振りかえさすことさえ出来なかった」
「父の後を裸足でついていく」と「振り返らない」というキーワードが組み込まれていますね…
そして、このあとにロトと娘は…
ああ。なんてこった…
しかしなぜ、あんなことをしたロトが「義人」なんて呼ばれるのでしょう…
酔った上での出来事とはいえ、娘と肉体関係をもち、しかも子を孕ませたんですよ…
わけがわかりません…
まあまあ。そう先を急がないで。
そのシーンまでに太宰は、まだまだたくさんの伏線を用意している。
父と娘の関係が「必然」であり、それが「幸福」かつ「救い」であることを描くために…
あれが「必然」で「幸福」で「救い」なの?
やっぱりどう考えても、堕落の罪としか…
だって「スワ」は「神」という意味でしょ?
彼女は父を受け入れて「神」になるのよ。
えっ?
どうやら「ロトと娘の行為」の意味も勘違いしているようだね。
あの逸話が、どれだけイエス・キリストの物語に決定的な影響を与えたか、わかっていないようだ。
どういうことなのでしょう?
それを描くために太宰は『魚服記』を書いたんだよ。
肉欲の堕罪、近親相姦のタブーが、救済の象徴に転換されるダイナミズムを描くために…
救済の象徴に転換?
田辺聖子も『ジョゼと虎と魚たち』で「肉欲」を「救済」に転換させていたでしょ?
『ライフ・オブ・パイ』でも、そうだった…
確かにそうでしたが…
太宰の書いていることを丹念に読み解いていけばわかる。
それでは第二章の続きを見ていこう…
つづく
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