「深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)&読みたいことを、書けばいい。」(第258話)
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
そして、最終章である第四章…
スワの「変身」と「結末」の意味について解説しよう…
太宰治『魚服記』
気がつくとスワは、自分が水底にいることに気付きました。
気がつくとあたりは薄暗いのだ。滝の轟きが幽かに感じられた。ずっと頭の上でそれを感じたのである。からだがその響きにつれてゆらゆら動いて、みうちが骨まで冷たかった。
ははあ水の底だな、とわかると、やたらむしょうにすっきりした。さっぱりした。
ふと、両脚をのばしたら、すすと前へ音もなく進んだ。鼻がしらがあやうく岸の岩角へぶっつかろうとした。
田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち』や、サイモン&ガーファンクル『Bridge Over Troubled Water』で解説した通り、「水の底」にあるのは「イエスの受難」つまり「ゴルゴダの丘」だ。
しかも近くに「岩角」があると太宰は書いている。
まさしくアンドレア・マンテーニャの『磔刑図』のこと。
『Crucifixion』
Andrea Mantegna
そして太宰は、スワに「すっきりした」とか「さっぱりした」と言わせた。
すっきり、さっぱり?
「すっきり」の「きり」は「キリスト」の「キリ」で…
「さっぱり」の「ぱり」は「ハリストス」の「ハリ」。
ハリストスって?
メシアを意味するギリシャ語「Χριστος(クリストス)」が、東欧などスラブ語圏で「フリストス」になり、それが日本に入って来て「ハリストス」となった。
そして「薄暗い」の「暗い」は「クライスト」の「クライ」で…
「すすと前へ」の「すす」は「イエスス」の「スス」。
なんと…
第四章の冒頭は、英語やギリシャ語での「救世主づくし」だったのですね…
この言葉遊びがオチの伏線よ。
え?
そしてスワは、自分が「大蛇」になったと大喜びする。
魚を食べて大蛇になり、二度と帰って来なかった八郎のように。
大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。
口ひげのある「だいじゃ」…
もしかして…
そう。「大蛇」とは「大いなる蛇」…
つまり「大いなるJah(ヤハウェ)」という意味…
『Annunciation』
Fra Angelico
なんてこった…
だけど、スワは勘違いしていた…
スワは「大蛇」になんて、なっていなかったのね…
というか、そもそも「大蛇」になれるわけがない…
イエスもヤハウェも神だけど、「イエス=ヤハウェ」ではないから…
三位一体図
そう。スワは「大蛇」ではなく「魚」だった。
しかも「十字架の上の魚」だ。
上田秋成が『夢応の鯉魚』で描いた「俎板の上の鯉」と同じ状況だったというわけ…
『雨月物語 夢応の鯉魚』
だから田辺聖子も、最後にジョゼを「魚」にして「死んだモンになった」と言わせた…
ジョゼとは「如是」、つまり「YES」という意味だったから…
まさに「ジーザス・フィッシュ」じゃな。
ギリシャ語の「ΙΧΘΥΣ(イクトゥス)」は「魚」という意味で、同時に「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ」の頭文字でもある。
つまり「魚」とは「イエス、キリスト、神の、子、救世主」という意味になっとるわけじゃ。
『ライフ・オブ・パイ』も「魚」の物語だったわね。
パイのお母さんは、幼い息子たちに「イエス・キリストの物語」を教えていた。
キリストの物語を、ヒンドゥーの神話に置き換えて…
えっ?
パイのお母さんは、バリバリのヒンドゥー教徒だったはずじゃ…
そう。
パイの母親は敬虔なヒンドゥー教徒だった。
だけどそれは表向きのこと…
彼女はクリスチャンであることを隠していたんだ。
いわゆる「隠れキリシタン」だね。
ええっ!? か、隠れ切支丹?
どこにそんな証拠が?
彼女がクリスチャンであることを明かすシーンがあるんだよ。
口には出さずにね。
口には出さず?
このシーンだ。
これは地面に砂絵を描く場面ですよね…
インドの女性の花嫁修業のひとつとされる、「Kolam(コーラム)」または「Rangoli(ランゴリ)」と呼ばれる、聖なる模様を…
パイのママは、蓮の花を描いていただけじゃん…
ヒンドゥー教における神のシンボルである蓮の花を…
この砂絵、よーく見てごらん…
何かオカシイと思わない?
おかしいって何が?
彼女は「たった1つの模様」を、繰り返し描いているんだよ…
たったひとつの模様?
あっ!
全部ジーザス・フィッシュ!
ええっ!?
しかも中央には「六芒星」が出来ている…
「神の子イエス・キリスト」は「ダビデの子イエス・キリスト」とも呼ばれるから…
なんと…
そもそも「ジーザス・フィッシュ」は、弾圧から逃れていた「隠れキリシタン」が使っていた印…
地面に無造作に描いた絵の中に魚のマークを隠すことで、自分がクリスチャンであることを伝えた…
つまりヤン・マーテルは、パイのママが「隠れキリシタン」であることを、あの砂絵で表していたということじゃ。
Yann Martel
だからパイが「洗礼を受けたい」と言った時、思わず笑みがこぼれそうになって、すぐに下を向いて隠したのね…
心の中では小さくガッツポーズしてたに違いないわ…
そう。彼女の教育の賜物だ。
パイには母のシークレット・メッセージ「ジーザス・フィッシュ」が、ちゃんと伝わっていた。
なるほど。秘密のジーザス・フィッシュのメッセージですか…
では『魚服記』に戻ろう。
小さなフナになったスワは、しばらくして動かなくなった。
それから鮒はじっとうごかなくなった。時折、胸鰭(むなびれ)をこまかくそよがせるだけである。なにか考えているらしかった。しばらくそうしていた。
動かなくなった…
そして胸ビレ…
ロンギヌスの槍ね…
『ロンギヌスの槍』
フラ・アンジェリコ
そして太宰は、こんなふうに締めくくる…
やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると木の葉のように吸いこまれた。
「くるくる」は、おそらく「クルス、クルス」…
なぜ「木の葉のように」なのかしら?
「木の葉」とは「木のハ」…
つまり「米」の字のことだ…
米?
「米」という字は、回転した2つの「十」の形をしている…
イングランドの聖ジョージ・クロス「十」と、スコットランドの聖アンドリュー・クロス「X」の組み合わせのように…
だから「くるくる」と「木の葉のように」とは…
「クルス、クルス」と「米のように」という意味…
は?
まさに「は?」じゃ。
太宰は最初から最後まで駄洒落や冗談を言っていたということですか…
パイと同じように…
そういうことだね。
『ユージュアル・サスペクツ』のカイザー・ソゼみたいに。
そして…
『僕はこの瞳で嘘をつく』のチャゲアスみたいに…
最高よね、この歌…
ミュージック・ビデオの演出も完璧(笑)
それにしても、なぜ太宰はスワを小さな鮒(ふな)にしたのかしら?
鯉、もしくは、せめて鮎くらいにしてあげればよかったのに…
鯉や鮎じゃダメなんだよ。
この小説のオチは「鮒」じゃないと。
なぜですか?
太宰はアンドレア・マンテーニャの『磔刑図』を最後に持ってきた。
だから「鮒」なんだ。
あの絵に「鮒」なんて描かれていないでしょ?
「磔刑」、つまり十字架刑は…
英語で「Crucifixion」という…
それくらい知ってるわよ。
マンテーニャの絵も、正式なタイトルは『Crucifixion』だもん。
じゃあ「鮒」を英語で何というか知ってる?
鮒を英語で? 何だろ?
フーナ?
うふふ。
「鮒」は英語で「Crucian carp」っていうのよ…
クルシアン・カープ?
ああっ!
「Crucifixion」と「Crucian」は、どちらも「Cruci」で始まります!
苦し?
クルシはクルスですよ!
十字架ってことです!
あっ!
そういうこと。
だから太宰はスワを「鮒」にしたんだね。
父の計画による定めを受け入れ、十字架に掛けられた子だったから…
まさに釣りの真理じゃ。
釣りの真理?
釣りは「鮒に始まり鮒に終わる」とされる。
つまり「鮒」は「アルファにしてオメガ」なのじゃ。
なんてこった…
完璧すぎるオチじゃないですか…
だけど、あまりにも駄洒落が完璧すぎて、誰にも理解されなかったの。
出来過ぎの嘘は、嘘だと気付いてもらえない(笑)
だから太宰は、当時こんなことを言っていた。
『魚服記』は結びの一句「三日のうちにスワの無惨な死体が村の桟橋に漂着した」を考えて作ったのに、最後に削ってしまった、ずるかった、たとえ批評家から糞味噌に言われたようと、作者の意図は声が枯れても力尽きても言い張らねばならなかった。
三日のうちにスワの死体が人々の前に現われる…
さすがにこれを書いたらバレバレになってしまいます…
まさに蛇足じゃな。
もちろんこれは嘘。
太宰は最初からそんなエピローグを書くつもりはなかった。
「おいおい。誰か気付いてくれよ」という太宰のメッセージだ。
そして、「それ」を書いた志賀直哉と…
「それ」を書かなかった芥川龍之介…
この両者の違いも、踏まえているんじゃないかしら…
志賀直哉と芥川龍之介?
つづく
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