2013年 夏の日記より
(明治三十三年一月二十六日)
終日風雪。
そのさま北国と同じからず。
風の一堆の暗雲を送り来るとき、雪花翻り落ちて、天の一隅には却りて日光の青空より漏れ出づるを見る。
九州の雪は冬の夕立なりともいふべきにや。
(森鴎外「小倉日記」)
北九州在住、叔母の坂本コトさん急逝す。
享年88歳。
告別式に参列すべく、両親の故郷である北九州に出向く。
想い起こすに・・97年の訪問以来、実に16年振りと記憶する。
北九州空港よりバスに乗り換え朽網まで。
のち日豊本線にて行橋まで。
茹だる様な天候の下、斎場までの焼けた道のりを粛々と歩み進む。
式の始まる一時間前に着くと、13年振りに会う美人従姉三姉妹が迎えてくれた。
久し振りに聴く北九州の方言である。
小説「鶏」で隣家の住人が、鴎外の飼う鶏の被害について大声で怒鳴り散らすシーンがあり、このような怒りの感情を出す時に純粋に方言が出ると評した豊前語である。
コトさんとは2000年の父の葬儀にお会いしたのが最後であった。
その後軽く認知症を患われていらして、ここ数週間は食事も満足に摂らず点滴のみで、亡骸を拝見するとかなりお痩せになった様子に激しく胸を衝かれた。
帰り道、小倉まで足を伸ばす。
幼少の頃、祖母に手を引かれ魚町界隈を散策した事や、小文字の山の微かな灯りを頼りに家路に着いたのを昨日の事の様に想い出す。
明治三十二年六月、陸軍医監を命じられた鴎外林太郎が小倉に赴任した日には雨が降って居た。
そう言えば火葬場からの戻り道、俄に雨が降り出した。
そして・・どんよりとした雲の狭間から陽が射し込み、水の粒子は屋根に打ち付けられ霧となり夏風に揺めき光り輝いた。
鴎外が見た風景は 雪の降る合間に陽射しが照りつける「冬の夕立」であったが、細かく砕かれた水滴は南国の暖かな風に誘われ天上へと昇華して行き、あたかもコトさんの魂が現世での様々なしがらみから遠く離れ彼岸に至るかの様だった。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボドィヒスヴァーハー
合掌
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