真面目過ぎるとアレ忘れがちになるよねぇ
意味のないことって、どのくらい必要なんでしょうね。
「自分にとって意味があると思えることなら意味のあること」というのはもちろんそうなんですが。
僕の場合、時々ゲームをしたり、なんでもない実況動画を観ている時に思うんですよね。「今自分は無駄なことをしているのかなぁ」と。
で、「意味のあることをしなくていいんだろうか...?」と、寝る前なのに考えてしまったりするわけです。
最近毎日、「一時間ごとに自分のしていることを記録して、その行動の『楽しさ』と『大事さ』を10点満点で何点だったか後からつける」というのをやってるんですよ。
で、ある程度の日数をモニタリングしたら、自分にとって必要な行動をバランスよく足し引きしていく、というものでして(ざっくりとした説明ですけども)。
今はモニタリング期間で、これが終わったら行動を足し引きするフェーズに入ります。
これが僕は割と楽しくできている方なんですが、時々「もっと時間を有効に使わないと....!」みたいな、漠然とした不安に襲われるんですね。
「今日はいろいろやったはずなのに何もしていない感じがする...!」と思う事はなくなったものの、こんなに自分は「大事さ」ばかりを追求して大丈夫なのか?と思ったりして。
無名ながらそこそこの年月、一見役に立たなそうな事を部品にして歌を作る、ということをしていますと、役に立つことと立たないことの境界線が曖昧になるんですよね。
知らない人に言われた何気ない一言や、病院の待合室で読んだ小説からたまたま得た話、初めて行く場所で食べた料理の味など、自分の人生の方向性には一見まったく関係がなさそうなものが、作品に関係してきたりするわけです。
もちろんこれはネガティブな出来事でもありえることで、飛行機が思うように飛ばないとか、突然想像した絶望的な未来の話とか、他人との関わり合いを避けている自分に「勇気がないなぁ」と考えたりとか、そういうことでさえも役に立ったり立たなかったり。
得なんだか損なんだかわからないですよね。笑
なので、「どこからが大事で、どこからが大事ではないか」を見極めるのはなかなか苦労したりします。
で、ここで思ったのは、「もしかして自分は、さっきのモニタリング項目の『楽しさ』の部分をおろそかにしていたのかも?」ということです。
できることならいつもしなやかに柔軟に生きていきたいなぁ、と思っているんですが、こういうところに自分の「よくない真面目さ」が発揮されてしまうなぁと。笑
まだまだ自分はどうも、「楽しさ」を追求することに罪悪感が芽生えてしまうので、じっくりと向き合っていくしかないなぁという感じです。
まーでもよくよく考えてみれば、歌を作って聴いてもらって暮らしていくことが、効率いいわけないか。笑
それでも自分なりに楽しめているということは、これはこれでちゃんと人生の楽しさを追求できているのかも。
そんな感じで今日は、
「大事さ」も必要だけど「楽しさ」も忘れない方がよさそうだよねー、というお話でした。
興味がある方は行動活性化療法(BA)で検索してみてくださいー。
それではー。
この日は大阪でした。暑かったけど、楽しかった。
ぬるっとトレーラーをYouTubeに上げました。よろしければー。