乗り損ねた白いバスが嗤う(前編)
未熟さは恥か、あるいは個性か。
自分の不出来に直面するたびに考える。
そもそもこんなことを考えなくたって、幸福に暮らしていくことはきっと出来る。
それをわざわざ考えてしまうのは、他人の評価ばかりをあてにして生きてきた自分の代償なのかもしれない。
「未熟ならば、未熟ではなくなればいいのではないか」と誰かは言うかもしれない。ごもっともだ。しかし、どこまで、どのようになれば、未熟ではなくなるのだろう。
自分という入れ物として生まれてきた以上、この未熟さは呪いのように続いていくのではないだろうか。
とはいえ、未熟さを自ら個性と呼ぶのは堕落のような気がしてしまい、なんだか気が引けてしまう。
「自分は未熟なままでいいのだ」と開き直って自らを正すことをやめてしまっているような、諦めのような怠惰さを感じる。
僕が社会から逃げ出すことは、必然だったのかもしれない。
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