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~ 誰のための結婚 ~
「自分」がないままはじめた一人暮らし。
物理的な距離を取ってもまだまだ親の言う通り。
1、2カ月に一度は実家に顔を出す。
盆や正月には実家に帰り、二泊三日ほど過ごす。
正直帰るのは面倒だったのですが、確かに食事は助かるし、親が理解できる説明もないままに家を出た後ろめたさもあり、これも親孝行だろうと自分に言い聞かせる。
仕事は相変わらず派遣社員。
正社員を目指すもなかなかタイミングが合わない。
安定を求めるなら婚活もアリなのだろうか、などと考えてしまう。
一人暮らしをはじめて結婚もしたとなれば、母も自立したと認めてくれるだろうか。
結婚しても母の言いなりになっている兄の姿を見ていることも忘れ、本心では望んでいない婚活を始めてしまう。
夢がない、やりたいことがない。
恋愛にもコンプレックスがありました。
なぜか「結婚することは当たり前なんだ」と思っていたので、幼稚園の卒園アルバムの「将来の夢」の中で誰かが書いていた「お嫁さんなりたい」を見て「何を当たり前のことを」なんて思っていた。
ところが私にとっては全く当たり前ではなかった。
喧嘩ばかりの両親を見ているので結婚に希望や憧れなんて持てない。
「子供はカワイイ」と聞いても、
「母がひどく父に怒られても我慢しているのは私たち(兄妹)のせい」
「子供って足枷」
それでも我が家のように、家族という安定した形を保つためには子供も必要なんだろう。でもその形を保つためにあんな我慢、自分にはできない。
男性芸能人、同級生やカッコイイ先輩・後輩の話題で盛り上がる女子グループには到底入れない。
「カッコイイ」とは思っても、それ以上の感情は湧かない。
告白されて付き合ったこともあったが、それは「好き」ではなく「嫌いではないし、付き合っていくうちに好きになれるのかな?」と…
だいたい半年か、1年もしないうちに終わる。
これが婚活でも続く。
婚活パーティーに2度ほど参加したが、パーティーで社交的に振る舞うのは得意だった。
でも終わったら即刻家に帰りたい、疲れた、一人になりたい。
お見合いの申し込みがあったと結婚相談所から連絡があり2、3度会ってみるも続かない。
自分からの希望条件は「怒らない人、優しい人」
ちゃんと優しい人を紹介してくれるが、自分でも何が不満なのかわからない。相談所の方からも「どうしたいの?」と聞かれる始末。
振り返ると本当に、勇気を持って私に想い伝えてくれた方々に申し訳ない。
自分のことにはポンコツですが、だからこそ人にはなかなか的確なことを言っていたのではないか?と今だから思うことがあるのです。
学生のころは賑やかな女子グループには属していなかったので、それが「余計な噂を言い触らされることはない」という安心感のように見えたのか、恋愛含め人間関係の相談をされることがよくありました。
あまり話したことない硬派な男子から相談されたときは驚きました。
「こんなとき女子はどう思うの?」
相手がどう思っているのか、気になりますよね。
怒らせてしまったんじゃないか、嫌われていないか。
私は好きだけど相手はどうだろう。
女子はどう思うかと聞かれても、今クラスの多くの女子はあっちに集まっているから、私の意見はどっちかというと少数派。
女子代表の意見にはなり得ない。
ただ、知りたいのは私の意見でも女子代表の意見でもなく、1人の意見だよね、と伝える。
相談してくれる人に伝えるのはいつも同じ。
知りたいのは私の意見じゃないよね。
本人に直接聞かないとわからないよね。
自分が両親に言えない、聞けないからよくわかる。
「好き」か「嫌い」か、ちゃんと自分の気持ちがわかるみんなを「すごいな」と思っていた。
社会人になってからも、気の合う女性の先輩から嫁姑話を聞かされたり。
買い物や近所の美容院など、母についていくことが多かった私は、奥様方の井戸端会議もよく聞かされて「耳年増」となっていたので、嫁姑話もわからなくはないが、自分がその立場になったことはないので「私に話さなくともあちらの経験豊富な女性先輩陣に聞いた方がいいのでは?」と聞いてみると、気の合う先輩は「自分も含め、経験しているから姑さんに先入観がある。変にフィルターをかけてしまう。その点(私は)ある程度の立ち位置がわかってる上で人対人のことを言ってくれるから、母(姑)に対する(自分の)素直な気持ちがわかるときがあるんよね」
おー、私、ありがたい存在なのねー。
私にコーヒーを入れてくれる先輩に「紅茶がいい」なんて言ってました。
最初の勢いは収まって、しばらく音沙汰なくなった婚活。
急に相談所から「会いたいと言ってる人がいるよ」と連絡が入る。
会ってみると優しそうでとてもにこやか。
すでに婚活疲れを感じていた私は、積極的に話を進めていく相手に押されて「まぁなんとかなるのかな」と安易な気持ちで結婚をOKしてしまう。
お互いの両親に会うとき、私の「式はしたくない」という希望に相手のご両親は了承してくれたが、私の両親との顔合わせで母が「式は必ず挙げなさい」の一声。
結婚式もできなくて、これから2人でやっていけるのか。
(えー…)
この後これが、ある意味功を奏する。
相手のご両親は、ウチにはしきたりなんてないから自由にやってと。
それを言っても私の母は「あちらのやり方に従いなさい」
これどうしようかな?と相手に聞くも「結婚式は女の子が主役なんだから好きに決めなよ」
何かと相手の意向を気にする母と、女の子が主役なんだからと一見優しく聞こえの言いことを言って要するに何も手伝わない相手。
さらには「好きに決めなよ」というわりに「それお金かかるんじゃない?」「そこまでやる?」と言ってきては何も好きにさせてくれない。
何も進まなくて母からも相手からも「間に合うの?」と聞かれて「お前らのせいで進まんのじゃ!!」と大爆発。
幸いこの時点ではまだお金は動いていなかったので婚約破棄を申し出る。
ここまできてようやく知ったのです。
自分が母という他人軸で生きていることに。
なんでこんなことになったのか。
こんな状況でも話そうとすると涙が出て何も言えなくなる。
この現象をどうにかできないのか。
自分の人生の大きなイベントのはずの結婚を、親孝行だとか世間体だとか、長年刷り込まされていた母の基準で決めていた。
自分の気持ちを考えもせず、自分の意志がないと気付いたが、でも何か強いものが心の中にあるような気がした。
自分の中の原因と正体を探すべく、心理学を勉強してみる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。
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対話の和/心の案内人 おかざき しずえ
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