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あなたは幸せを見つける人? それとも願って待つ人?

突然ですが、あなたにとっての「幸せ」とはなんでしょうか?

お金持ちになることでしょうか?

それとも
有名人になることでしょうか?

もしかしたら
かけがえのない運命の人と暮らす日々
という人もいるかもしれませんね。

どれも正解だと思います。
どれも素敵な「幸せ」だと思います。

では、「今」はどうでしょう?
今のあなたは果たして「幸せ」でしょうか?

私自身
これまで講師やカウンセラーといった立場で
色々な人たちと関わらせていただいてきました。

そして感じたのは、
多くの人は「今」は幸せではなく
幸せのために今頑張っている人たちでした。

つまり今に幸せを感じている人が少なかったのです。

確かにそれもそのはず。

毎日朝の通勤ラッシュに揉まれながら会社に行き、
無理を押し付けてくる上司の顔を見ながら仕事に励み、
定時で帰れるわけもなく、毎日毎日残業で疲れ果てて
電車でやっとの思いで家に帰ると、時計の針はすでに夜中。

そして翌朝また会社に行って…
の繰り返し。

そりゃ
今は幸せから程遠いと思う人もいるでしょう。

しかし、
100年や200年前の人が現代にタイムスリップして、
もしくは同じ今に生きる別の場所にいる人たちが
どこでもドアを使ってあなたの前にやってきたら、
きっとこう思うでしょう。

すでにあなたはとてつもない「幸せ」を手にしている
って。


それも毎日、
「そんなの当たり前」と思えるほどに。

…すみません。

もうここまで急に何を言ってんの?
と思う人もいるかもしれないので、
今回の結論からお伝えしますね。


私たちはどこか既に
たくさん小さな幸せが落ちているのにも関わらず、
より大きなもの多くの幸せを求めて生きています。

もっと成功して
もっと高い地位を目指して
もっとお金を持って・・・

どこかで完璧な幸せやなんでも言うことを聞いてくれる家族
そして何も部下にストレスを感じさせない気配りが素晴らしい上司

「あっ、これやっておきました!!」
と気を利かせて
仕事を先読みしてくれる部下がいる

そんな環境があったらどんなに最高なことでしょう。

でも、そんな理想な幸せばかりを求めていると、
目の前に落ちている幸せを見落としてしまうかもしれません。

もし、当たり前に見えていた目の前が、
ある日突然一瞬にして消えたらどうでしょうか?



これは実際に
私自身に起こったことです。


私自身大学時代に、
目が見えなくなったことがあります。

それまで当たり前のように見えていた景色が
一瞬にして闇に包み込まれました。


何かの間違いと目をこすってもこすっても
見えるのは何もありませんでした。


何かの嘘であってくれ、
夢なら早く覚めてくれ



そう願いながら
色々な人の手を借りて
慌てて病院へ向かいました。

すると、
医師から告げられたのは、


「可能な限りの最大限の手は尽くしますが、
限りなく厳しい状態です。
もう手術をしても視力が回復しない
という覚悟は
念のためしておいてください。」

でした。

「このまま一生暗闇で生きていくのか・・・」

「どうやって今後一生生活していけばいいのか・・・」

と、
もう恐怖しかありませんでした。

あの瞬間、頭が真っ白になった。
その感覚は今でも鮮明に覚えています。


でも一方で、不思議と
こうも感じたんですよね。

これまで当たり前のように
見えていた毎日の景色が
どれほど幸せなものだったことか。

朝起きてカーテンを開けたら、眩しい太陽の光が見える。
青空が広がっていて、雲がゆっくりと流れる様子を見られる。
そして、文字が読める
人の顔を見て、笑顔を感じられる

これまでの全てが「当たり前」という錯覚だっただけで、
本当は奇跡だったことに気付かされました。

その見えなくなった当時は、
就職活動が始まろうとしている時でした。

そのため自分の目指す理想像に向けて、
もっとこうやったら幸せになれる、
幸せをもっと実現するには、他の方法もあるかもしれない、

と、正直にお話しすると
そう思いながら生きていました。


でも答えは違っていたんですね。

幸せはもうすでに手にしていたんですね。

目の前が見えること、
歩けること、
食事ができること、
友人と話ができること、

全てが幸せなことでした。

その後、私の眼は緊急手術となり
別の紹介された大きな病院へ。

向かう途中も
もちろんのこと
何も見えません。

私が病院に行った際には、
手術ができるスタンバイが全て整っていました。


そして、運命の手術の結果。


最大限の手を尽くしていただおかげ、
奇跡的に視力を取り戻すことができました。

ちょうど緊急手術の行った病院に
たまたま日本に数台しかないという機械が置いてあったり、
一般の手術では不可能と言われている
特殊な症例に経験のある専門医がいたり、

私の病院到着までに麻酔科の先生や手術室、人と
全ての準備が整うタイミングだったり。

全ての歯車が
ちょうどうまく重なったおかげで
視力を取り戻すことができたんですね。

おそらくどれか一つでもこの歯車が欠けていたら、
今の世界は大きく違ったことでしょう。

暗闇の中でどんな人生を送っていたのでしょうか。

そう考えるたびに
今でも
その時の全ての環境やタイミングに
感謝しかありません。


私たちは、つい当たり前の幸せを逃してしまいます。
もっと大きな幸せを見つけようと
今ある幸せを気にしなくなります。

でも、その幸せって
本当に「足りない」のでしょうか。

また違った視点でも見てみましょう。

もし100年前、200年前の人が
現代にタイムスリップしてきたら
どう感じるでしょうか?

きっと、
「なんて君たちは贅沢な暮らしをしているんだ!!」
と驚くに違いありません、

それもそのはず。

例えば江戸時代。

あの250年ほど続いた江戸時代で
一番裕福な暮らしをしていたのは、
さすが将軍様である徳川家康でしょう。

でも家康はピザも食べたことがなければ
インド料理もない、そしてパエリアだってないはずです。

そして、江戸時代と比べると今は三食当たり前に食べています。
お風呂も毎日入れて、服だって自由に選べます。
結婚も個々の事情は様々にしても、法律上は誰とでも自由です。
仕事だって選べます。


そう。

私たちはもう「なんでもある」時代に生きています。

でも、その「幸せ」に気づくかどうかは自分次第なのです。

もし最近うまくいかないんだよな、と感じているのなら
試してほしいことがあります。

まず
朝起きた時に
「今日も目が見える」
「身体が不自由なく動く」
と意識してみてください。

次に
何かを食べるときに
「これは当たり前じゃない」
と意識してみてください。

そして最後に、
誰かと会話するときに
「会話できるって幸せ」
と意識してみてください。

こうした小さな幸せに気づくことができれば、
それだけで世界の見え方が大きく変わるはずです。

「幸せ」はあなたのすぐそばに
たくさん落ちています。


幸せは決して待つものではなく、見つけるもの

さぁ、あなたはどちらを選びますか?

今回もここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。

それでは。

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