おじいちゃんにクッキをー。


何年前か、祖父は肺癌で亡くなりました。


時々、ふと祖父のことを思い出しちゃいます。


普段から過去を振り返る癖があるので、色んなことを考えているのですが。


ちょっと、祖父のお葬式の日のことを思い出しました。


悲しいけれど決して悲しくないnoteですので、続きを読んでいただけたら嬉しいです。







祖父は89歳、何の偶然かはわかりませんが、祖父自身の誕生日の日の朝亡くなりました。


祖母は『私が気づいてあげられなかった』と一緒にそばで寝ていたのに朝ごはんを作り終え、祖父を起こしにいくまで気づかなかったことに落ち込んでいました。


祖父の病気が見つかったときは、すでに末期でした。


そのため、あとどれくらい一緒に暮らせるのだろうとなんとなく思っていた程度です。

私はちょうど高校生、そして身内の死を近づいていることを実感することができなかったんです。


毎日毎日トイレに行くのも苦しそうで、両手をついて苦しそうな表情で何とか這うようにしていく祖父のそばを祖母が付き添っていました。


そんな様子を見ても、なぜかサッとその場を通り過ぎて手助けすることが出来なかった私です。

今大人になって思い返すと、後悔がこみ上げてきます。

怖かったんだと思います。

どうしてあげることもできないと、子どもながらに怖くて目を背けてしまったんです。



「なんで入院しないの?」


私は母に聞いてみましたが、あまり母もそのことについては話を知らないのかハッキリとは答えてくれる事はありませんでした。


あんなに苦しそうなのに。


入院したら、少しは体が楽になるんじゃないかって。


単純なことばかり思っていました。







祖父の誕生日が近づいてきた頃から、プレゼントに手作りのクッキーを焼いてあげようと思っていた私。


その頃、お菓子作りが大好きでよく祖父や祖母にクッキーを焼いて食べてもらっていた記憶があります。

いつも、「おーきに。」と小皿に乗せたクッキーを受け取り、にこーっとしてくれた祖父。

そして、祖母はいつも「○○ちゃんが作ったクッキーはお店よりおいしいね!」と褒めてくれました。




祖父は物静かですが頑固な性格で、祖母とは口喧嘩ばかり。

でも孫の私たちには、いつもにこっとして可愛がってくれました。


祖父は若い頃に戦争を経験しており、シベリアへも満洲へも行った本格的な兵隊さんでした。

まともな食事は出来ず、ジャガイモが栄養源だったと昔話を聞いた覚えがあります。

そのためか、特に甘いものはご馳走だと心の中では私のお菓子を楽しみにしていてくれたのかもしれません。









そして。

材料の準備も、『その日』まで少しウキウキしながらしてました。



でも誕生日の朝、朝食のために祖母が起こそうとしたときには祖父は既に亡くなっていました。

救急隊によると、すでに死後硬直も始まっていたとか。


丸くなって、動かしてもその体制は変わらず、祖父が動かないことと死をすぐには受け入れられませんでしたが、そのうちパトカーが来て慌しくなり、『おじいちゃんは死んだんだ』と感じました。





死亡が確認された後からはバタバタで親戚への連絡や葬式の準備などで家族も悲しんでいる余裕はないようでした。


でも、何故かどうしてもクッキーだけは作りたかった。


おじいちゃんにあげようと決めていたんです。


みんな忙しい中、自分がどのタイミングでどのように作ったかは覚えていません。


ただ、焼いたクッキーの中から1番綺麗なものを選んで小皿に乗せて、祖父の祭壇に置いたこと覚えています。



おじいちゃんがまた喜んでくれるかなって思ったから。

体が苦しいけど、私のクッキーを食べたら少しは癒されるんじゃないかって。


誕生日のプレゼントとはいかなかったけれど、おじいちゃんにしてあげたいことをしてあげられた自己満足で私は少し心が落ち着いた気がします。










葬式が終わると、ふと、祖母が話してくれました。

「なんでおじいさんが入院しなかったのかってゆーとね。」

祖母の話を何をしていた時に聞いたのかも忘れてしまいましたが、じっと私は耳を向けていました。

祖母は話を続けます。

「おじいちゃんが入院したらばあちゃんがつきっきりになってしまうやろ。だから、家に子供たちが帰ってきて誰もいなかったらかわいそうだって言ってたんだよ。」




父母はバリバリ仕事をいていたので、生後2ヶ月から世話をしてくれていた私たちはおばあちゃん子だった。

ちなみに私、双子なんですけどね。

2ヶ月の双子を祖父と祖母が面倒見るなんて、当時60歳を過ぎていたくらいだと思いますが大変だったと思います...

どんなことをして遊んだか少し覚えているんですよね。

雷が鳴ったら、ばーちゃんがギュッとしてくれたこととか。

じいちゃんとお風呂に入ったこととか。

ほんの少しですけど。


悲しいから、このことを書いたわけではないです。


後悔しているから書いたのかも知れません。


もっと優しくしてあげれば良かったって。

クッキーをあげることの他に、もっとかけられる言葉も出来ることもあっただろうし。



なぜ、大切なことに気づくのは何かを失ってからなのでしょう。


存在が当たり前だからですかね☺︎

あなたがそこにいて、私がここにいる。

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話は逸れますが、

今日は主人の誕生日。

私より〇〇歳若い主人は働き者、子育て上手。

感謝です。



ではー♡


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