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罪と大切な人。

ひまなときに考えるハコの哲学。

はじまりましたー。


大切な人が罪を犯したら、責めますか?嫌いになりますか?縁を切りますか?

そもそも『大切な人』は誰。

彼かもしれないし旦那さんかもしれないし両親かもしれません。

大切なひとが罪を犯したことを責めるのは、自分が嫌な思いをしたからですよね。

何が嫌だったか。『悪いことをした相手のこと』が嫌なんだと思います。

でも大切な人の奥を覗いてみると、もっと見方が変わるのかもしれません。

小さい頃どこで生まれた?

お父さんやお母さんと何をしていた?

どんな会話をした?

その中で、相手の『心の深い傷』に気づけるかどうかです。

両親が何の仕事をしているかなんて関係ない。

大切に思っている人がどう育ってきたんだろう、どういう気持ちで経験してきたのだろう。

私は実際に毎日のように父親に怒鳴られたり蹴られたり閉じ込められたりしょっちゅうやられてました。昭和あるあるでしょうか。

その生活が当たり前だと思っていた。

でも、そうして育ってきてある友達に出会ったとき、「お父さんのことが好き。」というか子がいました。

『オトウサンスキ』ってどんな感情?

そんなことあるの。

今でも分からないのですが、そんな豊かな家庭で育った友達が羨ましく思いました。

あ、これは私が何か悪いことしたとかそういうnoteじゃないのでお間違い無く。笑


私にとって大切な人は主人と子ども3人です☺︎

何があってもどんなことをしても、ありのままを受け止めたいと思ってます。

『大切』と相手を思うなら、その人のどんな姿も丁寧に思い受け止めたうえでの次の言動があるはず。

罪を犯したことだけに囚われているのは寂しいことだと思います。

それは一つの点しか見えていないから。

もっと点を繋いだり、点が円になるように相手を見ることを大事にしたいなって思います。

『罪』というと幅広く極論、法的なことも含まれるかもしれません。

それでも、今あなたが大切にしたい人を大切に接することはできるでしょうか。

『大切な人』はいつまでも『大切な人』のはず。


なーんて考えてました♡


おわりでーす。



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