オールオッケー
今日の曼荼羅のピントぶれているね。
昨日の記事で、自分がかわいそうって思ってるんだって気づいたと書いたけど、それには理由があるんだよね。
今は結婚して子どももいるし、詳しいことは書かないけど、若い頃はそれですごく苦しみ続けて、混乱してて、なんで自分は正常に生まれてこなかったんだろうと否定し続けて、絶対に人には漏らしてはいけないと思ってた。
それをオフラインで告白したのは、夫さんだけである。
ちなみに、人とお付き合いしたことあるのも、いろいろしたことあるの夫さんだけである。
いわゆるモテない女だと思ってたし、混乱の極みで自分の人生をいかにごまかし演じあげるかに忙しくて、人に心を開く余裕がなかった。
今では、わたしのような人間は大勢ではないにしろ一定数いるし、生き方は多種多様で、性にはグラデーションがあるって十分すぎるほどわかっている。
要するに性の悩みですね。普通の異性愛者ではなかったということです。
世間一般の、男女の在り方が大勢でもそれはそれでいいんだけど、それをせねばならないという圧力がね、すごい気がしてたんだよね。その枠からはみ出した人間に対する風当たりって、めっちゃきつい気がしてた。
一般から外れた自分がすごくみじめだった。
でも、普通って何だろうね。
少数派、多数派って、数で何が決まるんだろうね。
全く同じ意見、同じ思想の人など、どこを探してもいるわけがないのだから、派閥も、数も、何にも意味ないんだけどね。
この世界は広大だから、どんな人もいるし、見た目では何もわからない。大事なのは見えない部分なのだ。
今はどうかというと、自分自身に対して、冷静に対処できている。
特に何も変わっていないけど、対処法が身に付き、捉え方が変わった。
具体的に書くと、オンラインでもオフラインでも、とにかく書き出してみて、分かったことが多い。人に知らせるのではなく、自分に知らせるために書くんだ。
結果、これでよかったなぁって思ってる。
なにも背負わなくていいし、抱えることもない。
自分は何者であるかを、わざわざ決めなくてもいい。
出会うこと全てに意味があり、自分が持って生まれてきたものも然り。
社会だけを見ていてはわからない、もっと大きな自然のサイクルがこの世にはあって、人は皆、生かされた存在であるとを知ること。
その途上にあると感じている。