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山月記観劇録
三連休の最終日は、諏訪耕志さんの山月記を観劇してきました。
長女ちゃんと一緒に。
山月記。
イラストは山月記のイメージ画です。
私は山月記という物語がかなり好きで、高校で習ったかどうかは全く覚えてないけど、習う前に教科書で読んで相当衝撃を受けて、その中に込められている苦悩や葛藤に共感を覚えました。10代の繊細で敏感な高校時代の教科書に、山月記載せる文科省の感性、嫌いやないで。
李徴と袁の関係性にも共感して、こういう激しい個性と穏やかな個性っていう一見なんで仲がいいんだろう?ってタイプの違う二人が仲良くしてるってこと、よくあるよね。
ちょうど高校のころ、自分は袁の立場で、李徴みたいな友達がいて、自分たちみたいだなぁと思うと同時に、私の中にも李徴的な性格はあったので、人の多面性にも気づかされました。
中島敦はすごく自分に向きあい、内面を掘り続けた人なんではないかと思ってます。
その大好きな山月記を、いつもお会いしている諏訪さんが演じる。
どんな感じになるかなぁと思いましたが、その一時間は、濃密で、多幸感あふれていました。
物語に没頭するというより、この物語と出会った高校時代から今までの人生全てに感謝したくなりました。
あぁ幸せだなぁ~、こんなに真剣な人の劇を見られるのは、この人生はいい人生だなぁ。
全方向にありがとうございます。
クラリネット奏者の小西さんが、この劇をリスペクトして全身全霊で演奏しているのも伝わって、二つ合わさったこの時間は相当濃かったです。
言語こそがすべてだと知っている人はどれくらいいるだろう。
言語こそがすべてだと思いながら生きている人はどれくらいいるだろう。
それを知れば、一瞬の言葉を発する時間が、どこまでも深くなる。
大事なのは音。音の響きは永遠だから。
濃い時間って言葉の意味が形を持って現れたようでしたね。
話す言葉は思う言葉よりとても軽いと思っていたけど、果たしてそうだろうか。音となって発された言葉には、その一音にすべてが込められている。
そんなことに気づかされました。
諏訪さんに言語造形を教えてもらえてるって、かなりすごいことだったんですよ。
わたしは、出会う人すべてが師だから、特定の師と呼べる人は持たないという拘りがあったので、言語造形を教わりながらも諏訪さんを先生と呼べずにいたのですが、山月記を見終わってからのシェアリングで、すんなりと「諏訪先生」と呼べましたよね。
この劇の前に、今年の夏にやる公演の台本をいただいて、古文苦手なわたしはだいぶ乗り気ではなかったんだけど、見終わった後は、よしやろうって気持ちになりました。
何を語るかではなくて、言葉といかに向き合うかなんですねぇ。
人生は短い。わたしはそのことを知って真剣に生きられているだろうか。
人生は短いけれど、変わり続ける。
諏訪先生、今年もよろしくお願いしますね~。
ちなみに、長女ちゃんはエンターテイメントとして楽しんでいたようです。
個人的には、小西さんとゆっくり山月記談義をしたかったです。
クラリネットの生演奏があまりにも世界観にマッチしていて、この言語造形を一番間近で観て感動していることが伝わって、安心して観劇することができました。
諏訪さんの言語造形については、こちらに詳細あります。
ことばの家 諏訪⇒https://kotobanoie.net/
あと、B品レモンもみなさん快く買ってくださって、何と完売しました!
ありがとうございます!
そして、その帰りに長女ちゃんと『親子で描いた曼荼羅展』の場所予約もしてきました。
3月21日にやるよー。見に来てね♪